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戦艦探偵・金剛~シルバー事件23区~ SOCIAL GAME %1 KILLER IS DEAD①

 空気が波を伴ってうねるのを、金剛はハッキリと体で感じた。体が宙に浮きあがる。
 耳が轟音を感じ取ったのは一瞬で、あとは無音となる。
 周囲の時間が鈍化する。慣れ親しんだ事務所の風景が、ゆっくりと荒れて言った。ソファーは浮き上がり、テーブルは飛び上がり、本棚の本は鳥のように飛び立っていた。
 窓ガラスの砕けた破片が金剛の頬を掠めた。しかし自分と金剛は艦娘だ。ガラスの破片に傷つくような体はしていない。
 心配なのは依頼人の方だった。当然だが彼らはただの人間だ。ガラスどころかこの爆風ですら死にかねなかった。
 前方を見やるとヤマダアキラはナツメサクラに覆いかぶさるようにして床へ既に伏している。金剛の体感だが、二人の位置は爆発の殺傷効果圏外にいる。死にはしないだろう。たぶん、だが。どのみち今の金剛にはどうすることも出来なかった。
 右目の端に五月雨がいた。彼女は前かがみに体を丸めていた。その腕の中には飼い猫の『フーちゃん』が抱えられていた。いつもはドジだが、こういうときは流石に素早いんだな、と金剛は感心した。
 金剛がここまで状況を認識するのに実時間では一秒にも満たなかっただろう。鈍化した時間が再び動き出す。空中で体がきりもみ回転するのを感じた。
 衝撃。
 気絶―――。

九月十四日 午後三時二分 東京都 中央区 大淀ビル二階『金剛探偵事務所』

「退屈デース」
 と言って、金剛は自分のデスクの上に行儀悪く両足を投げて、両手を頭の後ろで組んだ。
「そうですねぇ」
 一方の五月雨は来客用の茶色い皮張りのソファーの上でフーちゃんを膝に乗せて、フーちゃんの毛にくっついたノミを丁寧に丁寧に取っていた。
 八月も終わり、九月に入ってもう半分。このところ金剛事務所には一件の依頼も来ていなかった。
「このままだと、大淀に家賃も払えないデース」
「そうですねぇ」
「五月雨にも給料を払えないデース」
「そうですねぇ」
「聞いてるデース? 五月雨」
「そうですねぇ」
 はぁ、と金剛はため息をついて足を机から降ろして立ち上がる。
「理性を有する動物は全て退屈するものと言いマスガ」
 窓の外から上野駅を見る。いつもと変わらない風景だ。駅が人を吐き出して、また同じ分だけ吸い込んでいく。曇りがちだった天気は今日、めずらしく秋晴れだった。夏とは違う、寒さを予感させる透明感が、夏の残暑をどこかへ吸い込んで行くようだった。秋とは不思議な季節だ。何も思い出していないのに、人を懐かしい気持ちにさせる。
「まったく、犯罪者共は何をしてるデース。さっさと事件の一つや二つ起こすデース」
「夏休みも終わりましたからね、そろそろ出てくるんじゃないんですか?」
「犯罪者も夏休みを取るデースか、生意気な奴らデース」
 と、金剛は再びため息をついて窓に背を向けた。その目が、五月雨の膝の上で気持ちよさそうにしているフーちゃんを捉える。
「猫のノミ取りは楽しいネ? 五月雨」
 すると五月雨は、
「そこそこ楽しいですよ」
 と、答えた。
「やらせるデース!」
 金剛は勢いよくフーちゃんへ手を伸ばす。驚いたフーちゃんは五月雨の膝からジャンプして目の前の机へ着地、
「シャー!」
 金剛に威嚇する。
「フーちゃん! 観念して私にノミを取られるデース!」
「ああ、もう」
 五月雨は潰したノミを乗せたちり紙を丸めて屑籠へ捨てた。
 金剛がフーちゃんへ右手を伸ばす。
「ニャニャニャニャニャ!」
 フーちゃんは金剛の右手に、目にもとまらぬ速さで五発のパンチを叩き込み、机から降りて五月雨の足元へ隠れた。そして、
「シャー!」
 再び威嚇を行った。負けじと金剛も、
「シャー!」
 と、威嚇を返す。
「シャー!」
「シャー!」
「ブブブブブブブブ………」
 とうとうフーちゃんがバイクのエンジン音じみた唸り声を上げ始める。金剛とフーちゃんは根本的に相性が合わないのだ。
 そのとき。
「ごめん下さい」
 フェドーラ帽を被って、メガネをかけてちょび髭を生やした四十代後半から五十代くらいの紳士が、事務所のドアを開けた。紳士の後ろには二十代前半くらいの女性と青年が控えていた。女性はショートカットでか、女性と言うよりはまだ少女的な雰囲気があった。顔のパーツが少し紳士と似ていることから紳士の娘さんと思われた。紳士よりも身長が高く、金剛と同じくらいだろうか。男性の方は身長百二十センチくらいはありそうだった。短く刈った髪をしていて、体格は中肉中背。あまりこれといって特徴がない。ただ、顔がどことなくチンチラを思わせた。急な来客にフーちゃんは驚いて部屋の隅っこへ逃げて行った。
「こちらの金剛さんに用事があるのですが」
 紳士が言うと、
「シャー!」
 と、金剛が猫の言葉で答えた。

同日 午後三時十二分 中央区 『金剛探偵事務所』

「ソーリー」
 ゴホン、と金剛は咳ばらいをする。
「今、猫と喧嘩していたもので」
「はぁ」
 と、紳士が生返事を返した。紳士は帽子を脱いでいて、その下には禿げ上がった頭があった。
 金剛と五月雨、それから来客の三人はそれぞれ二つの来客用のソファーへ座って対面していた。フーちゃんは相変わらず部屋の隅にいたまま、来客をジッと凝視していた。それに気が付いた女性がフーちゃんに笑顔で手を振った。フーちゃんに反応は無かった。
「私がこの事務所のマスター、金剛デース。となりのちんちくりんは五月雨デース」
 金剛が自己紹介すると紳士も、
「ああ、申し遅れましたな。私はナツメダイゴといいます。八王子で警察官をしております」
 と、頭を下げた。
 次に女性が、
「ナツメサクラです」
 最後に青年が、
「………」
 ムッツリと押し黙る。
「あの………」
 五月雨が声をかけるとダイゴが、
「気にせんで下さい。彼は口がきけないのです。とりあえずアキラと呼んでいます」
 と、言った。
「と言うと?」
 金剛が訊ねる。
「それを説明する前に、まず彼のことを詳しくお聞かせする方がよいでしょうな」
「ふむ。長い話になりそうデース。五月雨、紅茶を淹れるデース」
「はい」
 五月雨が席を立った。
「いいですか? 話しても?」
「オッケーデース」
「では………」

 一週間前のことです。警官の常として、その日も帰りが遅くなった私は、暗い夜道を一人で走っていました。私たちの家は相模市の方へあるので、毎日、国道二十号線の方を通って帰るんですよ。
 そうして高尾山の麓へ差し掛かった時でした。ふらりとアキラくんが目の前に飛び出して来たのです。
 間一髪、車のブレーキは間に合いました。アキラくんは車のヘッドライトが眩しいのか、両手で顔を庇ったまま突っ立っておりました。私は思わず窓を開けて、
「おい君、危ないじゃないか!」
 と、怒鳴りました。アキラくんは答えませんでした。頭から血が出ていたので、私はおやっと思いました。もしかしたらブレーキが間に合ったのは勘違いで、私と車と接触したのかなと思いました。
 しかしそれにしては頭の血はパリパリに乾いていたので、私は彼の血はもっと前に付いたものだと推測しました。
 私はアキラくんに、
「君、頭に血が付いているじゃないか。どうかしたのかね」
 と、訪ねましたがぼんやりした表情で答えません。これは様子がおかしいぞと思った私は、車を降りて身分を明かし、ヘッドライトを頼りに彼の頭を見たところ、後頭部に打撃を負っている。
 もしかすると、滑落した登山客かもしれない。ボーッとしているのも、怪我の影響だろうか。
 そう考えた私はアキラくんを車に乗せて、急いで病院へ向かいました。彼を病院まで送り届けると、私は警察へ電話して、部下に高尾山の麓でこういう人物を保護したから明日の朝一番に医者の了解を得て身元確認を行うことを打ち合わせました。ああ、私は八王子署で地域課の課長をしております。
 それで翌朝、病院へ行ったところ、どうもアキラくんは後頭部に打撃を受けたせいか記憶障害で、しかも脳の言語を司る部分に影響を受けたのか、しゃべることも筆談も出来んのです。医者が言うには、怪我はわりかし大したことは無いので回復の見込みが無いことも無いということですが、それが今日、明日か、一年後、下手をすると一生かどうかわからないということです。ただ、本人はこちらの言うことが分かるし、文字も読める。日常生活には支障が無いようで、その辺りは幸いでした。受け答えもイエス、ノーの意思表示は出来ますしね。
 本人から聞き出せない以上、彼が持っている品々から身元を割り出すほかないのですが、鑑識の結果、身分証も保険証も無し。財布には百円札が二枚と小銭ばかり、あとは油の入った銀色の容器がポケットから見つかっただけでした。
 私はとりあえず便宜的に彼を『ヤマダアキラ』と命名して諸々の手続きを行いました。それから、地理的に彼は高尾山で負傷した登山客だと仮定して聞き込みや、彼が負傷した場所を探せないかと山歩きを行ってみましたが成果は得られませんでした。
 そうこうしている内にアキラくんは病院を退院し、しばらくは警察署の留置場に寝泊まりさせてたんですが、警察にとっても本人にとってもよくないということで、私が引き取ることになりました。名付け親だけあって、情もありますしね。
 しかし結局、彼は何者なのかが分からないまま、つい先日、捜査の打ち切りを命じられましてね。

「なるほど、それで私のところへ来たネ」
「ああ、いえ。違います」
 そう否定したのはサクラだった。
「この事務所の前、東京駅のところでよく当たるって評判の占い師さんがいて」
「占い師?」
 金剛は立ち上がって、自分のデスクの後ろの窓を見た。よく見ると、雑然と行き交う人ごみの中に、規則正しい一列を見て取ることが出来た。その先には東京駅の壁を背に、紫のフードを着込んだ人物が机の後ろに座っていた。
「ああ、あれネ」
「その占い師さんに、ここへ来ればアキラさんを助けてくれる方がいらっしゃると聞いてやって来たんです。何でも金剛さんは名探偵なんだとか」
「ふーん」
 金剛は面白くなさそうにうなると、五月雨がティーセットと茶菓子を持って、給湯室から出て来た。ソファーの方へ戻りつつ、
「やれやれ五月雨、この仕事は占い師のおこぼれのようデース」
「へ? 占い師って、そこの駅の前にいる占い師さんですか?」
「ワッツ! 知ってるデスカー?」
「ええ、私もこの前、占ってもらいました。猫の世話をよくするといいんですって」
「どうして私も誘ってくれないんデース」
「だって先生、そういう非科学的なこと嫌いでしょう?」
「ムムム」
「ほら、紅茶ですよ、先生。今日はオータムナルのダージリンです」
 五月雨がテーブルに五人分の紅茶を並べる。
「いい香りですね」
 サクラが言った。
「デショー、私が選んだデース!」
 金剛はサクラの一言に機嫌をよくしてティーカップを取った。全員がそれに続く。
「それで金剛さん」
 ダイゴがティーカップを置いて、改まった調子で言った。金剛も同じくティーカップを置く。
「あなたの名探偵ぶりは、実際のところ警察の間でも噂になっていましてね。それによると、あなたは人を一目見ただけでその人の過去を言い当てると聞きます。どうでしょう? その不思議な力でどうかアキラくんの正体を一つ教えてもらえませんでしょうか?」
「フーム」
 金剛は両手をこすり合わせてアキラの方を見る。アキラは五月雨の淹れたダージリンが気に入ったようで、まだカップを左手に持っていた。皿を持つ右手には何かが垂れたような、黒い火傷の後がある。
「ダイゴ=サン」
 金剛が言う。
「失礼ですが私のことをエスパーか何かと勘違いしてもらっては困りマース。いくら私でも一瞥しただけでその人の過去が全て読めるわけではありまセーン」
「ですよねぇ」
 タハハ、と五月雨が困ったように笑う。
「しかし分かることもありマース。アキラ=サンは自衛隊の可能性が高いデース」
「えっ!」
 驚く一同。
「それはどうして」
 と、サクラが訊ねる。
「アキラ=サンの右手には特徴的な火傷の跡がありマース。それは銃による火傷の痕デース。古かったり湿気てたりすると、火薬から火花が散って射手の手にそういう火傷を作りマース。この国で銃を扱えるのは、警察、自衛隊、ヤクザの三つデース。しかしアキラ=サンは左利き。それはカップの持ち方でも明らかデース。ということはアキラ=サンは左利きにも関わらず右手で銃を撃っていマース。これは銃を始めとした兵器が右利き用に作られていて、トレーニングの際にも右手で撃つように矯正されるからデース。ヤクザならそんな専門的なトレーニングを組員に施しまセーン。従って残る可能性は警察と自衛隊になりマスが、警察なら調査の過程で誰かアキラ=サンの顔を知っている人間がいるはずデース。地方から旅行に来ている可能性も否めませんが、警察官が行方不明になったら噂の一つや二つ流れてくると思いマース。よって消去法で自衛隊という可能性が高いデース。幸い、私と五月雨は元帝国海軍デース。知り合いを通じてアキラ=サンのような人が行方不明になっていないか調べてもらいマース!」
 ポカンとするダイゴ、サクラ、アキラを前に金剛は指を弾いて、
「五月雨、契約書をプリーズ!」
「はい」
 五月雨がダイゴの前に契約書とペンを置いた。

同日 午後四時四十四分 中央区 大淀ビル二階『金剛探偵事務所』

 ひとまず今日のところは三人を返した金剛は、古い手帳に書かれた電話番号をいくつかピックアップして、電話をかけた。それからデスクの自分の椅子に腰を下ろして、両手を合わせてジッと事務所のドアを見つめながら考え事に耽った。
「今回は何だか簡単そうですね」
 ティーセットを片づけ終わった五月雨が給湯室から出てくる。
「うわっ、もう薄暗いですねぇ」
 五月雨は事務所の明かりを点けて、ソファーへ腰を下ろして一息つく。
「どうデショー」
 金剛が言った。
「え? ああ、簡単そうだって話ですか? 違うんですか?」
「アキラ=サンはどうして高尾山へ行ったと思いマース?」
「ん~、旅行とかでしょうか? もしかしたら演習、って演習中に行方不明になったらみんなで探しますよね」
「旅行、それも可能性の一つデース。登山中に滑落し、頭を打って負傷、ぼんやりした頭で更に途中でどこかで荷物をひっかけたか置いて来たかで失い、歩き回る内に道路へ出た。そこでダイゴ=サンの車に遭遇、十分に辻褄の合う話デース。しかし問題は………」
「問題は………?」
「いや」
 金剛は首を横に振って、
「何でもないデース」
 と、誤魔化すように笑った。

九月十六日 午後二時二分 中央区 大淀ビル二階『金剛探偵事務所』

「残念ながら自衛隊にはアキラ=サンのような人はいないそうデース」
 自分のデスクに座った金剛はあえて淡々とした調子で述べた。ソファーに座っている人間は、今日は二人だけだった。サクラとアキラ、ナツメは仕事があるからこれないそうだ。最初に金剛の所へ依頼しに行ったときは無理して有休を使ったらしい。
 金剛がダイゴの依頼を引き受けた二日が経っていた。その間、金剛は使えるコネをすべて使って、陸上自衛隊にアキラの顔写真を照会させたが、結局はなしのつぶてに終わった。
「そうですか」
 サクラが残念そうに項垂れる。
「そう気を落とさないで下さい。調査はまだ始まったばかりですから」
 サクラの対面に座った五月雨が慰めた。五月雨の膝の上で同意するように、
「にゃっ」
 と、フーちゃんが軽く鳴き声を上げた。
「その通りデース。久しぶりの仕事ナンだから、この程度で解決してもらっては困りマース」
「え?」
 と、サクラ。
「ああ、何でもありません」
 慌てて五月雨が誤魔化した。
「それより、頼んだものは持ってきてくれましたか?」
「あ、はい。こちらにあります」
 サクラがテーブルに白い紙袋を置いた。その中からYシャツ、黒いスラックス、黒いジャケット、使い古したベルト、靴下、靴、下着、腕時計、財布などを取り出して机の上に並べていく。それはアキラが発見された当時、身に着けていたものの全てだった。
「全部、当時のままデース?」
 金剛が訊ねると、サクラは首を振って、
「ああ、いえ、衣類は全て洗濯してしまいました」
「これは何です?」
 五月雨が銀色の、掌に収まるサイズをした変わった形の物体を指す。ねじ巻きの蓋がついていることから、どうやらこれがダイゴの言っていた容器らしい。
「油絵で使う油壺デース」
 金剛は容器を拾い上げて言った。
「アキラ=サンは絵を?」
「さぁ………」
 サクラがアキラを見る。アキラは困ったような顔をして首を横に振った。
「この油壺が気になりマース。うちでちょっと調べてもイイデスカー?」
「構いませんが、前に父が申し上げた通り、持ち物は一通り警察の鑑識で調べて貰いましたが」
「ノー、一見調べつくされたように見える証拠でも、別な観点から見れば新しい―――」
 爆発が起きたのは次の瞬間だった。
 空気が波を伴ってうねり、一番窓ガラスの近くにいた金剛の体が、自分のデスクと椅子ごと宙に浮きあがった。
「キャーッ!」
 五月雨かサクラの悲鳴が聞こえた。しかし金剛の耳が轟音を感じ取ったのは一瞬で、あとは無音となる。
 金剛の空中で体がきりもみ回転し、事務所の壁へ叩き付けられる。
 衝撃。
 気絶―――。

同日 午後七時五十三分 神奈川県横須賀市 海上自衛隊横須賀地方隊

 金剛が意識を取り戻すと、そこはドックだった。ドックと言っても、普通の船を修理するドックと違って、傍目からは人間用の銭湯となんら変わりは無い。ただ一面が白いタイルで窓もなく、タイルとタイルの間の目地にひびが入っていた。換気扇の調子も悪いらしく、湯気もサウナのように充満している。どうもこのドックはあまり使われていないらしい。当然だ。戦争が終わってだいぶ経つのだ。艦娘が傷つくこともあまりないのだろう。
 金剛の体は家庭用のバスタブ程度の大きさの浴槽に沈められ、浴槽は液状の修復材で満たされていた。口元には酸素マスクが付けられていて、これは意識不明の艦娘が修復材で溺れることが無いようにするための処置であった。
 ドックに入るのは十数年ぶりだろうか。金剛は酸素マスクを外して、口元を修復材で拭った。マスクのパッキンに使われているゴムがきつくて、金剛はこれをやられるたびに口元が赤くなったり、腫れてしまうので嫌いだった。
 左隣りの浴槽には五月雨が浸かっていた。呼びかけてみると、ちょっと笑ったので楽しい夢でも見ているのだろうと、金剛は起こすのを止めた。
 浴槽に付いている枕のそばに時計を見つける。修復時間を計るための防水時計だった。金剛の時計も五月雨の時計も既にゼロ時間を指していた。
 ガラガラガラ、とドックの戸が開く。
「うわっ、ひどい湯気だな」
 ドックの戸を開いた奴は湯気を片手で払うように金剛の前に来た。侵入者の正体は長門型一番艦戦艦長門だった。長門は金剛をジロリと見下ろすと、
「何だ、起きてたか」
 と言った。それに対して金剛も、
「ノックぐらいして欲しいデース」
 と、言った。
「ここはお前の部屋じゃないんでな。それにしても、お前らがドックへ入渠とはな」
「全くデース」
「もう修復は完了しているだろ。さっさと上がれ」
「そう急かすこともないデース。後がつかえているわけでもナイデショー」
「お前らに客が来ているんだ」
「客?」
「警察だ。お前らから話を聞きたいらしい」
「ぶー」
 金剛は大きくため息をつくと、
「仕方ないデース」
 と、隣の浴槽にいる五月雨の肩を揺すった。

同日 午後八時二十分 横須賀市 横須賀地方隊 会議室

 服を着て化粧を済ませた金剛と五月雨は、長門の案内で横浜地方隊の会議室へ通された。二十人分の席がある会議室の、入口に近い隅っこに、背広を着た三十代前後の恰幅の良い男が座っていた。
 男は金剛と五月雨に気が付くと、立ち上がって警察手帳を見せて挨拶を行った。
「警視庁から来ましたコウサカミチルと申します。今回はとんだ目に遭いましたな。お体の方はもう大丈夫なんですか?」
 コウサカが言うと、
「ノープロブレム!」
 と、金剛が元気よく答える。
「流石は艦娘ですね。ああ、いや、失礼」
「いえ、結構デース。さっそく本題に入るデース」
「では、そこの席にかけて下さい。それから申し訳ないんですが長門さんは―――」
「分かった。席を外そう。外で待っている」
 長門が会議室を出る。
「では金剛さん、五月雨さん、そちらへ」
 コウサカは元の席へ座る。金剛と五月雨も刑事たちの近くに腰かけた。四角くテーブルが並べてある会議室だから、四人が近くに座るとL字型に座ることになった。
「それではまず爆発の起こった時刻を答えて下さい」
 コウサカの聴取が始まる。聴取の内容は極めて簡単なものであったが、多岐に渡った。おそらくそうやって、現場の目撃証言とすり合わせていくのだろうと五月雨は推察した。コウサカの質問は事務的であったが、ところどころに「疲れていませんか?」「大丈夫ですか?」と適宜、声をかけるなど気遣いが感じられた。五分刈りにいかつい顔をしていたが、根はやさしい人のようだった。
「それにしても、爆発の原因は一体なんデース?」
 聴取が一段落してから、金剛が訊ねた。
「まだ現場検証が済んでいない状況なので何とも言えませんが」
 コウサカは質問に答えていいものか迷うそぶりを見せながら、結局は、
「目撃者の話を総合するに、お宅の事務所に爆弾を仕掛けられたとみるべきでしょう」
「そんな!」
 五月雨が信じられないとでも言うように、口元を両手で覆った。
 コウサカが話を続ける。
「窓側の壁にはガス管も通っていないから、ガス爆発も起こりようがありません。ただ仕掛けられた爆弾が時限式のものか、遠隔操作式のものか、どんな種類なのかは、まだ鑑識の報告待ちです」
「怪我人はどれくらいいるデース?」
 金剛が訊ねた。コウサカは安心させるように微笑んで、
「あなた方と室内にいたもう一人だけです。幸い、付近の通行人に怪我はありませんでした」
「一人?」
 五月雨が訊ねる。
「事務所には私たちを含めて四人いたはずです」
「はい、私も先ほどの聴取の際に気になっていたのですが」
 コウサカは手帳を捲って、
「報告では二十代の男性一人が搬送されたとありますが、後で調べてみましょう。正直、現場の方は大混乱でして、正確な情報の把握もままならないんです」
「ビルはどうなってマース?」
「一階部分と三階部分はほとんど無事ですが、二階はめちゃくちゃですよ。物が取っ散らかっていて、瓦礫だらけです。ビルの壁は大きくが穴が開いて、ニュースにもなっていますよ。だけど、人が埋まるほどの瓦礫は無かったはずですが、何せ現場側も混乱していまして」
「爆風の方向からも外に飛び出たとは考えにくいデース」
 と、金剛が言った。
「アキラさんの、病院に搬送されたっていう男の人の怪我は酷いんですか?」
 五月雨が訊ねると、
「ああ、命に別状はないようです」
 と、コウサカは答えてくれた。それから、
「あと、聞きにくいことなんですが、誰かから激しい恨みを買うようなことはありましたか?」
「さぁ? 私を恨むような奴は深海棲艦くらいなものデース」
 金剛は呆れたように手を広げた。
「そうですか。わかりました」
 分かったという割には、コウサカの声色はあまり金剛の言葉を信じていないようだった。だが、コウサカとしてもこれ以上、踏み込む気もないようだった。探偵の守秘義務として、依頼内容は守らなければならない。金剛の決意をその一言で悟ったともいえた。
「ところで、今晩はこちらへお泊りになるのでしょうか? ビルの方は今言った通り、めちゃくちゃな有様ですし、鑑識が夜通しで作業を行うので落ち着かないと思いますが。アテが無ければ、こちらで宿を手配することも出来ますが」
「ノー、今日のところはここに一泊させてもらいマース。これでも一応は、政府保有の戦艦と駆逐艦なのデース」
 金剛が答えた。

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