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「ベリーグッド」創刊号(1980年6月)・創刊第2号(1980年8月)

「ベリーグッド」創刊号(1980年6月)・創刊第2号(1980年8月)

 手元に all including SUPER COMPONENT CULTURE MAGAZINE と銘打った雑誌「ベリーグッド」が2冊、あります。1980年6月の創刊号と1980年8月の創刊2号。新聞配達所の集金のとき、「社の若いひとたちが作ってるのだけど、御宅の高校生のお子さん、興味あるかなと思って」と創刊号を置いていったらしい。見てみると、A4サイズ、中綴じの大きめの誌面に大胆で自由なレイアウト。一見して、当時読んでいた「ロック・マガジン」を思わせました。

 「ロック・マガジン」は何度もスタイルを変えていますが、第16号(1978年10月号)から第25号(1979年7月号)までは、A4サイズ、中綴じ、56ページという体裁でした。「ベリーグッド」を開いてみると、「ロック・マガジン」のレーベル、ヴァニティ・レコードからリリースされたあがた森魚『乗物図鑑』(1980年春発売)に参加していた藤本由紀夫さんの名があった。新聞配達所のひとに、「ロック・マガジン」を読んでいることがバレているのか、と当時思ったと思います。

 誌面は、気になる人物へのインタビュー、音(音楽)、映像、場所、紀行、スポーツ、不特定多数へのアンケートで構成。創刊号でそれぞれの記事に付されていた「この時・○○・〈予感〉」(○○に「この人」「この音」などが入る)というタイトルは、創刊第2号では早くも無くなっていますが、基本的な編集方針が現れていると思います。

 創刊号は36ページ、特集「Deja Vu」。巻頭インタビューは、書籍と音楽作品『七次元よりの使者』の作者、五井野正氏。その他、『スーパーマン』、『木靴の木』、『THX1138』、長岡京市のショッピング施設「ロングヒル(スペイン村)」、江並直美編集長によるインド紀行、フリスビー。不特定多数アンケートの題目は、「ノストラダムスの大予言」と映画『地獄の黙示録』(表紙も、同映画がモチーフになっている)。藤本由紀夫さんは、「都市の終りの音」と題して、静けさを喚起する都市が発するノイズについて書かれています。ヴァニティ・レコードを特集した中村泰之監修『vanity records』(きょうRECORDS、2021年7月)掲載の藤本さんへのインタビューによると、のちにグラフィック・デザイナー、電子出版物プロデューサーになる江並直美氏は、高校生のときに、当時、大阪芸大助手だった藤本さんとともにマルチメディアイベントを催したことがあるそうです。

 発行は、「サンケイ新聞」配達所関連の広告会社。若いデザイナーたちが、自分たちで発信するものをと立ち上げたのでしょう。

「ベリーグッド」創刊号(1980年6月)、造形制作・西村和郎、撮影・嶋田泉

 創刊第2号は56ページ、特集「MY WORLD」。巻頭インタビューは、横尾忠則さんと鋤田正義さん。音楽欄は、編集部で選んだレコードについて藤本さんがコメントをつけるというもので、題材は、The Raincoats "THE RAINCOATS"、Chrome "READ ONLY MEMORY"、The Flying Lizards "THE FLYING LIZARDS"、Wire "154"、Gary Numan "COMPLEX"。ハワイ・マウイ島、心斎橋「ソニータワー」。編集長によるインド紀行の続き。バス・フィッシング。不特定多数アンケートの題目は、「自由に生きること」。

「ベリーグッド」創刊第2号(1980年8月)、藤本由紀夫「ALBUM」
「ベリーグッド」創刊第2号(1980年8月)

 こうして改めて、書き出して、見てみると、「ロック・マガジン」に通じる都市志向を感じさせるのは藤本さんだけで、全体的には、自然やスピリチュアルなど、当時、若者文化の主流であったアメリカ・ウェストコースト文化への志向を感じます。

 第3号は、MUSIC・MOVIE特集組本と予告されていますが、発行されたでしょうか。創刊号、創刊第2号とも、定価100円とありますが、新聞配達所のひとから、ただでもらっていました。創刊第2号を受け取ったとき、「次号からは販売になるけれど、読んでもらえますか」と訊かれ、「見て、よければ」と答えたのを覚えていますが、その後、第3号については聞かなかったと思います。

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