片恋慕

 伊勢桑名から三河熱田に向かう道筋は二つある。一つは佐屋川を渡って佐屋宿に向かう脇往還の佐屋街道を通る陸路と、もう一つは桑名から伊勢湾を通って、直接熱田に向かう海路である。この海路は別に「七里の渡し」と呼ばれている。
 今では、伊勢湾岸道路がその七里の海路とほぼ同じ経路であるので、往年と同じ経路をたどることができる。
 この七里の渡しを、桑名から臨む一行がある。供数十人を連れているのは十八の、少しあどけなさが残るものの少し影を帯びた女性である。
「あれが、千姫様で」
 本多中務大輔忠刻は目を見張った。なるほど、母方の祖母は戦後一の美女と謳われた織田信長の妹の市であり、また信長自身も結構な美丈夫であったらしいから、その血筋が濃く出ているせいか、目を見張るほどの美人であることには違いない。少なくとも、父の将軍秀忠、祖父の大御所家康の血筋はさほど出ているわけではないようである。
「豊臣公が仲良くするはずだ」
「口を慎まんか」
 父の美濃守忠政が嗜めると、忠刻は悪戯っぽく笑った。
「しかし、不運ですな」
「なにがだ」
「あれほどの器量ながら、嫁いだ先と実家とのいざこざであのようなことになってしまったのですから」
 忠刻のいうあのようなこと、というのは言うまでもなく豊臣秀頼の大坂城での自害のことで、千姫は夫の秀頼と姑である淀殿の助命を願い出たが、それが許されず、結果としてまだ二十にもならぬというのに寡婦になってしまったことである。嫁ぐとしてもこの先、生半なところには嫁げぬであろうし、ましてやと秀頼と仲睦まじく暮らしていた、となると、次を探すのも一苦労であることは間違いない。
「それで、これからいかがなさりますので」
 忠政が言うには、伊勢湾の風が少し思わしくないようであるから、桑名で一旦お泊り頂き、改めて江戸に向かわれる手はずだ、という。
「そこで、お前が姫様の相手をせよ」
「それがしが、ですか」
「仕方あるまい。同じほどの歳はお主ぐらいしかおらぬのだからな。不服か」
「いえ、そういうわけではありませぬが、ただ武辺のものよりは然るべき女性を侍らせておくのが」
「いや、これは大御所様の命によるものだ」
 忠政の言葉を聞いて、忠刻はその意味を悟った。が、この色白の美丈夫はそれを口に出す事をせず、それならば、と引き受けた。
 忠刻は千姫の休息所に向かった。供は小姓一人である。千姫は、自身が養女にした六歳の女児と、忠政が用意した貝合わせで遊んでいる。忠刻は遊び終わるまで控えていたが、千姫が忠刻に気付くや、女児に遊び道具を仕舞いましょう、と優しく言い聞かせて片付けた。
「本多中務大輔忠刻でござりまする。父美濃守より、お世話仕るよう仰せつかりましてござります」
「さようでございましたか、ご苦労をおかけいたします」
 千姫はただ、頭を下げただけだが、微かに上る若い匂いが忠刻の鼻梁で遊んだ。忠刻は、千姫が絵画のように遠い記号のような存在であったのが、俄に肉質を伴った生身の人間になった。当然ながら、寡婦とはいえまだ二十にも満たぬ、しかも秀頼が手をつけずにいた為に全くの生娘である。その青青しい匂いは、この若者の心胆をくすぐっても何ら不思議ではない。
「あ。……、ああ、いや、こちらこそ至らぬ不調法もあるやもしれませぬが、ご容赦願いたく存ずる。まずは、膳を用意させまする故、お待ちくださりませ」
 忠刻は小姓に膳を運ばせるように命じた。運ばれてきたのは桑名の名物である蛤を主とした、海の膳である。
「これは、とても美味しゅうござりまする」
 千姫は顔をほころばせ乍ら箸を進めている。時折箸を止めて、女児の為に魚の骨を取ってやったりしている。
「本多殿、馳走になりました」
「御口に合いましたならば何より」
 千姫は眠たい、とせがむ女児に膝まくらをしてやると、女児はうとうとしながら懸命に眠気と格闘している。その様がかわいらしいのか、千姫は背中を小気味よく叩いている。
「あの、つかぬことをお伺いしても」
「はい」
「そこなる女児は、どういった。……」
「この子は、亡き秀頼公の御息女でござりましてな、されど私との子ではなく、ご側室殿との御子でござります。爺様に嘆願をして、仏門に入って豊臣家の菩提を弔ってもらう事を条件に助けてもらいました」
「そういうことでござりましたか。……、これは余計な事を聞きました、ご容赦願いたい」
「いえ、そのようなことは決して」
「姫様は、これからどうされるおつもりですか」
 余計な事、とは思いつつもどうにもそこに踏み込まざるを得ない。一種の野次馬根性かあるいは憐憫の情か。そこについては、忠刻も判じかねるところである。
「さあ、私の行く末は、爺様や父上がお決めになることゆえ」
千姫は真意をはぐらかしている様子である。忠刻はそれがえらく不憫に思えた。眼前の令嬢の生涯は、常に誰かに翻弄され続けて、自分の基軸というものが備わらぬまま終わってしまうのだろう。それが世の習いといってしまえばそれまでだが、しかし、こうも辛い事もないであろう。
「ただ」
「ただ?」
「もう一度、お会いしたい方がございます。お顔だけでも」
 千姫の言葉に、忠刻は何ともいえぬざわつきを覚えた。
「その者は」
「堀内主水、という御方でございます」
 千姫の表情が少しだけ光が差したようであった。

「堀内主水」
 忠刻から話を聞いた忠政は、暫く考えている様子であったが、
「確か、姫様を坂崎殿の陣まで送り届けた豊臣片の者の名だったような気がするが、その者と会いたい、と」
「はっ。つきましては、その者を探しだしたく存じますが」
「それをしてなんとする」
「会わせまする」
「会わせてどうする」
「その後は、当人たちに任せれば」
「そのようなこと出来るわけがなかろう。上様がお許しになるはずがない。何故そのような仏心を出した」
「仏心かどうかは分かりかねますが、姫様のご様子をみると、その程度の事はして差し上げても差し支えはないかと」
「それでは、大御所様の御心を粗略にすることになるぞ」
「しかし、それでは姫様があまりに不憫でござりましょう。せめてそれくらいの事は」
「くどい。とにかく、それを許すわけにはいかん」


 忠政の意志は固く、崩す隙間がなかった。
 翌日、忠政が見守る中、千姫の一行は無事に七里の渡しを渡り終えた。先導したのは忠刻で、美男の先導で美女が渡る様は、ある意味で眼福の絵であった。
 千姫はそのまま東海道を東に下って江戸に入ることになるので、忠刻とは別れることになる。
「若様がそのまま娶ればよろしゅうございましたのに」
 と、小姓たちがけしかけるように口々に言いあっているのを聞いて、忠刻は大喝した。
「そのような恐れ多い事が出来るか。大御所様の御令孫だぞ」
 とはいえ、忠刻の中に言い知れぬ心のさざ波が、波濤になりつつあった。  千姫が江戸に無事ついた、という報せはそれから二十日ほど経って桑名に入ってきた。忠政および忠刻は安堵した。
 と、同時に忠刻には片翼を攫われたような喪失があった。忘れようと槍を振るって稽古をしてもいつの間にかあの千姫の匂いが脳裏から鼻梁に戻ってくる。寝る前には休息所に向かって、千姫が女児と遊んでいた場所を蕭殺として眺めている。
「若様」
たまらず小姓が声をかけた。
「なんだ」
「そこは、千姫様の。……」
「そうであったな、厠に行くつもりだったのだが」
 明らかに譎詐である。その証拠に、厠に行く方向とは真逆に忠刻は向かっている。その先は寝所で間違いはないのだが。
(であれば、本当に娶ってしまえばよかったのだ)
 小姓たちはそう思っていたに違いない。大御所、家康の孫娘が、徳川家中でも最も武勇に秀でて幾度となく危機を救った本多家に輿入れするに不足はないし、母の熊姫自身が大御所の孫娘(熊姫の父は徳川信康)なのだから、なんら問題はない。それに、噂では忠刻に世話をさせるよう命じたのは他ならぬ大御所自身なのだから、これは暗に見合わせている、と考えるのが常道ではないのか。何より、あの時の渡しの姿から見れば、美男美女で実に似合っていたではないか。
「何を遠慮したしました」
 小姓はそう言いたげに忠刻の背中を追っていた。
 数日、忠刻は何もなかったように食事を済ませて父と共に領地の決済や裁可などを行っていた。皆も千姫の事が少し遠くなりかけた頃、忠刻は数人の子飼を呼び出した。
 何事か、と登城した皆が探り合っていると、忠刻がやって来た。忠刻はいつものように一段高いところではなく、皆と同じように座った。
「手隙の者はこれだけか」
「左様でござりまするが、どのような」
「実は、人を一人探してもらいたい」
「よろしゅうござりまするが、どこの誰で」
「どこにいるのか、あるいは生死すら定かではない。が、名前だけは分かっている。堀内主水というものだ」
「その者はどのような」
「この事は口外無用、決して父上に漏らしてはならぬ。この堀内という人物、豊臣方の者だ」
 豊臣方、という言葉を聞いた子飼達はたまげた思いであろう。豊臣秀頼の所縁のもので、逃げおおせたがゆえにひそかに捕縛するのか、あるいは残党狩りをするにあたって判明した武将の一人か。
「武将には違いないが、なにも真田や毛利、といったような武勇優れたわけではない」
「では、その者はどういった」
「実は、その者は千姫様をお救い申し上げた者で、坂崎殿と共に大御所様の所にお連れした御方なのだ」
「それは分かり申したが、若様はその者と懇意にしておいででござりましたか」
「いや、そうでもない。会った事もないなければ、名前しか聞いておらん」
 子飼達は要領を得ない様子であったが、そのうちの一人が忠刻の様子を察したようで、
「つまりは、その者と千姫を会わせてやりたい、ということでござりますか」
 忠刻が答えぬ所から、それが答えということである。
「人好しがすぎまするぞ」
「言われずとも分かっておるわ」
「そのような者は打ち捨てておかれればよろしゅうございましょうに」
「一目会いたい、というのが千姫様の御所望なのだ。恐らく、千姫様のご様子から察するに、慕われておられるのであろう」
「それを、大殿は御認めになりまするか」
「すでに話したが、許してもらえておらぬ。故に、口外無用、といったのだ」
 忠刻が酔狂でやっていないことは明白である。それゆえに子飼の者たちの心情がいかばかりであったか。
「余計な事、と思っているかもしれん。ただ、寝ざめが悪くてな。姫様の仰せあることを無碍にするわけにもいかぬ。ここは、思うままにやってみようと思うたのよ」
 すまん、と忠刻が頭を下げた。
「お上げくださりませ。まあ、そういうところも若様の良い所でござりまする」
 と、皆、堀内主水を探すことに決めた。

 さて。
 その堀内主水の消息についてである。
 その前に堀内主水についてすこし書かねばならない。
 千姫脱出の際に功があった事についてはすでに書いているが、その他について書くと、堀内主水、名を氏久という。父は熊野別当であり、また熊野水軍の大将である安房守氏善で、母は海賊大名と呼ばれた九鬼宮内少輔嘉隆の養女であるから、海の名門というべき家柄である。氏善は秀吉政権下では四国攻めをはじめ、文禄慶長の役に従軍し、熊野を領地としていたが、関ヶ原の役では西軍についたことによって領地を失い、肥後の加藤清正より二千石を賜っていたが、この主水は兄と共に紀伊にあって浅野幸長に仕えたのだが、そこを出奔し、豊臣方についている。そして夏の陣では前述したとおり、千姫の護衛であった南部左門、また千姫の乳母である刑部卿局と共に脱出、家康の元に送り届けた、とされている。
「つまり、戦の折までは間違いなく生きていた、という事か」
「だがそこからの所在は分からなくなっておる、というのだ」
「考えられるとすれば、郷里の紀州か、肥後か」
「あるいは、大坂に留まっている事も考えられるな」
 という結論に至り、それぞれ同時に手分けして探索することになった。
 一月ほど探索に向かったが、紀州では、その堀内主水と共に千姫脱出に功のあった南部左門という男が紀州徳川家で禄を食んでいる、というので、忠刻は紀州の浅野但馬守長晟に書状を宛てた。向かったのは忠刻の小姓の一人で、真利谷小四郎というものである。
 その長晟は、書状を読んだとき、
「惚れた者の弱み、というやつか」
 と、すこし砕けた口調で笑った。
「それは、当家を軽侮されておられるのか」
「考え違いを致すな。そのようなことはこの書状にはかいてはおらぬ。おらぬが、惚れた弱みでなければこのような事するはずがあるまい」
 長晟は早速南部左門を呼び寄せた。
 南部左門は体に大きな詰め物でもしているのか、と思うほどに大きな肥満体の男であった。
「主水殿のことでござりまするか」
「左様、その堀内主水殿の所在について、知っている事があればお聞かせ願いたい」
 左門は思い出すようにしばらく唸っていた。
「ああ、そういえば、あの御兄弟は揃って千姫をお助けあそばしたという事で、それがしと同じく赦免は出ております。たしか、兄の新宮殿は伊勢の藤堂様の家来衆になられているとか。新宮殿であれば、ご存知のはず」
 伊勢の藤堂というと、藤堂和泉守高虎の事で、桑名とは隣である。
「まさか、隣とは」
「まあ、足元というのはえてして気づきにくい物、ましてや本来であれば死罪同様のはずの身。それを罪一等を減じたばかりか仕官までかなっている事自体がありうべきことではないですからな」
「では、その新宮殿に口添えを願えませぬか」
「よろしいでしょう、本多様によしなにお伝えくださりませ」
 南部左門はその場ですらすらと書き上げた。中々の筆上手で、出来上がった口添え状と、酔狂に乗った長晟の通行手形と合わせて、小四郎は桑名の隣、津に入った。
 新宮行朝の在所は津の城下にある勤番屋敷の一角だそうで、小四郎は真っ直ぐに向かった。
 新宮行朝は二十代の半ばの浅黒い男で、武士というより船頭のような男だった。
「主水の所在ですか」
 南部左門の口添え状に少し懐かしそうな顔をした行朝は、自信はない、としつつも、
「江戸ではないか」
 と推測した。
「何ゆえ、そう思われるのですか」
「勘働き、としか言いようがないが、何せこのところ江戸は人手が足りぬ、というので、江戸へ行けば何かあるだろう、と思って発つのは至極当然の考えになるかと思われる」
 言われてみて、なるほど食い詰めた連中が、仕事を求めるならば一番人口が多く、かつ都市開発の真っ最中の場所に向かうのはあることではある。
「しかし、江戸となると探しあてるのはちと骨が折れるな」
「その、主水殿の何か特徴というか、目印になるようなものはありませんか」
「目印か。……、そういえば、あいつの首筋と顔の左側に大きな火傷の痕がある。姫様を大坂城から出す折に負ってしまったものだ。まあ、広く人の多い江戸でも、それほどまでの大きな火傷の痕を持つ者はそうそうおるまい。これが目印になるとおもうが、いかがか」
「それでよう分かりまする。かたじけのうござる」

 小四郎の報せを受けて、忠刻は江戸に向かう算段を始めた。当然ながら忠政には内密に進めている。そうなると大名行列などというような大仰にするわけにもいかず、供を数人連れ立っての旅となる。供になるのは小四郎のほか、堀源馬という若者で、この源馬は剣の腕が立つ事から護衛役として、忠刻が指名をした。忠刻自身も腕に覚えがないわけではないが、念には念の入れようである。
 三人は桑名から三里の渡しを経て佐屋街道に入り、熱田から東海道に向かう。途中駕籠に乗るでもなく、江戸についたのは十月中頃であった。
 江戸はそこらじゅうで普請が行われていて、町中で町が出来上がっていくのを見る思いである。
 そもそも、堀内主水が江戸にいるかどうかも分からぬうちに江戸という巨大都市に狙いを定めたのは賭けである。下手をすれば全くの徒労に終わってしまう事になるし、露顕すれば叱責ではすまぬ事を、忠刻はやっているのである。
 それゆえに忠刻は血眼になって堀内主水を見つけ出さねばならない。だが、闇雲に探し回ったところで見つかるはずもないので、まずは子供たちに銭を与えて、大火傷を負った男を品川の宿に連れてくれば褒美を与える、という噂を流した。無論、本人が出てきても褒美を取らす、とも。これを江戸市中に伝播させ、様子を見た。すると、数人の男がやって来た。
 が、いずれも堀内主水ではなく、全員が町人や職人であった。それぞれに褒美を取らせ、さらに噂をばらまいた。すると、数日経ったある日、数人の荒くれ連中が宿にやって来た。
「こいつが、お探しなすった堀内主水でございますよ」
 と、引き出されたのは、小四郎が行朝から確かに聞いた通り、首筋と顔の左半分に哀れなほどの火傷を負った男であった。忠刻は荒くれ連中に金を握らせて退散させた後、
「二人にしてもらいたい」
 と、小四郎と源馬を近くの飯屋にやった。
 火傷の男は、忠刻を前にじっ、と黙っている。忠刻は自らの身分を全て明かしたうえでいった。
「訊ねたいことがある」
「……」
「その火傷はいかがしてついたものだ」
「……、これは、釜の火があやまってついたものでござります」
「釜の火、ということは飯を炊いていた時についたものか。それにしては、ずいぶんと派手だな」
「何が、仰りたいので」
「千姫」
 忠刻が切りだした途端、男の顔が変わった。
「大坂落城の折、千姫様をお救い申し上げた一人は、その方か」
「……、いえ、それがしでは」
「町人のような恰好をしていても、自らの事をそれがし、というような者はおるまい。堀内主水に相違ないな」
 男、堀内主水は観念したように頷いた。
「何故、そのような恰好をしておる」
「大坂落城の後、それがしは数人の者と共に坂崎様の陣に向かい、その坂崎様の案内で大御所様と姫様をお引き合わせいたしました。兄はそのまま藤堂様の家中におさまり、刑部卿局様は姫様と共に、南部殿は紀州への仕官が叶ったと聞いております。されど、それがしは武士であることを捨てました」
「豊臣方への義理立てか」
「それもありますが、このような大火傷では、人手には殊勲であろうとも、いざとなればこの傷が差し障りになることは自明の理。事実、仕官の口はすべてこれで消えました」
 忠刻は天を仰ぎ見た。殊勲者がこのような不遇であってよいはずがない。
「千姫様は、今一度、貴殿に会いたい、との仰せである。場合によっては、それがしが口添えをするが」
「恐れ多い事でございますが、何故そこまで」
 主水に対して、
「惚れた女のためだ」
 などと決して言えるはずもない。ただ、
「千姫様の望みだ」
 とだけ言った。

 翌朝、忠刻は江戸城に登城した。忠刻の眉目秀麗さについては江戸城で鳴り響いていたので、すぐに周知されることになった。忠刻は旅装のまま、将軍秀忠に拝謁することになった。
「だしぬけに自らの登城とは、随分と思いきった事をしたものよ」
「はっ、上様におかれましてはご健勝のこと、何よりと存じまする」
「して、用件があるとの事だが」
「実は、千姫様に目通り願いたい者がおりまする」
 秀忠は不思議そうに忠刻を見つめている。
「目通りを?」
「はい」
「誰じゃ、ここへ連れてまいれ」
 忠刻は、後ろに控えている主水を呼んだ。その顔を見た秀忠は少し怪訝そうにしている。
「この者は堀内主水と申す者にて、大坂城落城の折、千姫様を脱出させ、大御所様に引き合わせたものでござりまする」
 そうか、と秀忠は自らおりて主水の手を握った。
「おぬしが。……、その傷はその時の物か。よくやってくれたな」
 秀忠はすぐに千姫を呼んだ。本来であれば、女性が表に出るのは憚られることであるが、事情が事情だけに特例という事である。程なくして千姫が現れると、
「本多様、その節は」
「姫様もご健勝そうで何よりでござる。……、この控えし者が、堀内主水殿でござる」
 堀内様、と千姫は主水に近づいて手を取った。
「そのお顔は、たしかに主水殿でござります。お会いしとうございました」
 主水は、千姫の手を慌てて解いて後ろに下がった。
「いえ」
「今一度お会いして、礼を申し上げたい思いでござりました。これで、胸のつかえがとれました」
「それは何より。……、堀内、と申したな。おぬしを召し抱えたい。これはせめてもの礼だ」
 堀内主水は下総五百石で旗本として、江戸期を過ごすことになった。


 事態はこれで終わったわけではない。
 忠刻が、千姫と主水を引き合わせたことで忠刻の評判が俄に上がり、それは駿府の大御所の耳にまで届いた。
「平八の孫ならば狂いはなかろうと思うておったが」
 家康はこれで正式に忠刻と千姫との婚姻を認める手はずにした。
 ところがこれに待ったをかけたのが、同じく千姫と家康を会せた坂崎対馬守直盛で、直盛は、次男の重行に千姫を娶わせようとしていたのである。直盛は家康の元へ抗議に向かった。しかし家康はこれに全く取り合わず、むしろ、
「千姫について功あるはすなわち堀内主水以下であって、対馬守ではない。ついで功あるは、平八の孫である」
 といって全くひくことはなかった。
 これで直盛が収まるわけがなく、事もあろうに直盛は江戸城から千姫を強奪する計画を練り始めた。
 ところが、これに恐怖した家臣によって事前に計画が露顕し、直盛は家臣によって討ち取られ、あらためて忠刻と千姫は夫婦となり、忠刻は姫路に加増となった。元和二年九月二十九日と、記録にある。

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