雷 第七十三話

山岡が駿府に向かったのは三月九日、道案内として、勝がその身柄を預かっていた薩摩藩士益満休之助が同行した。山岡が帰ってきたのは翌十日の事で、西郷が出した事前の交渉条件を聞いた勝は、
「吹っ掛けたもんだね」
 と笑った。山岡は、
「最初の慶喜公の備前行きは止めましたが、他は飲みました」
「そうでもしなけりゃ、向こうは総攻撃だろうよ。鉄太郎殿、よくやってくれた」
 これで決まったようなもんだ、と勝は民に酒を持って来させ、二人は山岡の労をねぎらった。
 西郷が田町の薩摩屋敷に着いたのは十三日で、これは江戸総攻撃の二日前である。山岡と大久保一翁、勝が屋敷に赴く形で交渉が始まった。薩長側には西郷の他に村田新八、中村半次郎が同席した。
 十三日は多少の質疑応答と山岡が飲んだ条件の確認だけで終り、翌十四日に本格的な交渉に入ることになる。主に発言したのは勝と西郷である。
「先般の回答についてでござる」
 と勝が口火を切った。ここで内容をつぶさに書いてしまうと、殊更に冗長してしまうので、端的に述べると、
 ―― 慶喜の謹慎先は水戸とする。
 ―― 幕府方の諸大名については寛大な処置をとり、とくに死罪および斬首の者を出さない。
 ―― 幕府方の軍備その他一切はそれを確認してから、全て差し出すこととする。
 ―― 城内居住の者は城外に出す。
 ―― 江戸城明け渡しの手続きが終われば、すぐに田安家に返すこと。
 ―― 江戸においての暴動の鎮圧については可能な限り協力する。
 というものであった。用心棒として同席していた半次郎は反応がなかったが、これに目を剥いたのが村田新八である。
「こ、これはどういうことか。全く話が違うではないか」
 村田は大きな体を怒らせて勝に迫った。というのも、山岡が駿府で飲んだ提案は、
 ―― 徳川慶喜の身柄を備前藩に預けること。
 ―― 江戸城を明け渡すこと。
 ―― 軍艦をすべて引き渡すこと。
 ―― 武器をすべて引き渡すこと。
 ―― 城内の家臣は向島に移って謹慎すること。
 ―― 徳川慶喜の暴挙を補佐した人物を厳しく調査し、処罰すること。
 ―― 暴発の徒が手に余る場合、官軍が鎮圧すること。
 というもので、備前藩お預かりについては事前に拒否をしているので、それ以外の回答という事になるが、列記したとおり、事実上の拒否であった。
「勝殿。これはどういうことでごあんど」
「西郷殿よ、随分と手前勝手な事は百も承知よ。おいらだって逆の立場なら、そこに居られる方のように目を剥いただろうぜ」
「ならば、何故このような事を。……」
 村田がいきり立つのを西郷を抑え込んだ。
「新八どん、これは交渉事でごわんど。向こうが全て諾、と飲めるような条件ではなかこつくらい、わかりもんそ」
「だが、西郷どん、これはあまりに」
「分かっとる。だが、我らの大目的な、何ぞ」
 西郷が出した大目的は、幕府という統治機構を潰し、新しい近代国家を創設する事である。その為に、江戸を灰燼に帰するか、あるいは無傷で接収するかで大きく違ってくる。のみならず、江戸城は幕府の象徴であり、これを接収するという事は文字通り政治基軸が新政府に移った事になる。
「つまりは、江戸を焼いたところで意味はなかよ」
「西郷どんは、幕府を信用し申すかい」
 西郷は幹のような二つの腕を組んでしばらく黙った。村田は待った。そして、
「幕府ではのうて、勝様と大久保様を信用しもうす」
 といった。この瞬間、江戸は戦災を免れた。百五十万の民が迷う事はなくなったのである。

 江戸城明け渡しは速やかに行われた。
 吉川新八郎は、勝と大久保の出した決断に対して、
「売り渡したのだ」
 と血涙が出る思いで声を絞り出した。吉川からしてみれば、同じ幕臣であるはずの勝と大久保が、新政府に象徴たる江戸城をあっさりと引き渡した事が、身内に殺されるよりも許せないことだったのであろう。だが、十兵衛はそこまでの感傷は持ちえず、ただ
「江戸が火の海にならずに済んだのが幸いであった」
 と考えた。多少なりとも勝と寝食を共にした十兵衛は、勝の意図している所が何であるかはすぐに分かっていたし、何より勝ほど幕府に対して失望していた人物は居なかったわけで、つまりは、清々している所だろう、と思ったのである。
「これですんなりとすむとは思えないが」
 十兵衛は吉川には慰めのつもりで言った。
「これで済ませるつもりはない。趨勢は決まったが、このままでは済まさぬ」
 撒兵隊の数は全盛時に比べて三分の二ほどにまで減っていたが、それがかえって結束を固くさせていた。江戸城明け渡し後、この処置に不満を抱く者は三三五五に江戸を離れた。海軍を率いていた榎本は館山に、陸軍を率いていた大鳥圭介は市川に入った。
 十兵衛ら撒兵隊は福田道直という人物の元に集まると、そのまま江戸近郊を流浪し、木更津に入った。そして前述の通り、ほど近い市川にいるとした福田は、一番隊を江原鋳三郎に預けて中山法華経寺に向かわせ、二番隊と三番隊を船橋大神宮に向かわせ、大鳥との合流を急いだ。ところがすでに大鳥は新撰組の土方と共にすでに市川から日光山に移動していたあとで、撒兵隊は孤軍になった。
 しかも、この時進軍していた岡山、津、薩摩、砂土原の各藩兵に包囲され、武装解除を勧告された。これが四月二五日のことである。
 江原はこれに応じたのだが、撒兵隊の中には吉川のように徹底抗戦を主張する者もいて、結局船橋で戦闘になった。
 十兵衛は途中まで吉川とともにいたが、
「この戦争は無駄だ」
 と断じて、吉川と共に船橋を出るようとした。だが吉川は、
「私は幕臣だ。貴様とは違う」
 傲然といった。言った直後でしまった、と思ったのか何とか取り繕うとしたが、十兵衛は、
「いや、その通りだ。私は、浪人だ。これ以上の感傷はない」
 と、半ば売り言葉に買い言葉ではあったが、本心ではなかったとは言えない。吉川とはここで袂と分かった。

 それからの十兵衛の足取りは、本人でもよく覚えていないほど乱れている。ただ、江戸だけには戻っていない。すでに関東一円で新政府軍と旧幕府軍との戦争が始まっていて、どこに居ても安全な場所はなくなっていた。
 十兵衛が持っているのは改造したスナイドル銃が一丁と、弾薬。護身用の刀を一振り。ただそれだけである。
 十兵衛は山野、平地、林の中、土砂の上を問わず歩き続けていた。すでに十兵衛の居場所はどこにもない。恐らく、撒兵隊の中にもなかったであろう。
「根なし草だな」
 大きな松の木の盛り上がった根に腰を下ろして、そう自嘲気味に呟いた。
 結局、安政の地震で妻子を喪った時から、こうなっていたのかもしれない。長屋から始まって、観音寺屋、道場、新徴組、長州、撒兵隊と渡り歩いて、結局どこに落ち着くこともなく、ただ流れのままに生きていただけのように感じていた。
「ただそれでも一つだけ分かった事がある」
 結局、攘夷はなかったのだ。攘夷とか勤皇とかそういうものは単なる熱病でしかなかったのだ、と。
 夷狄を打払う、といった長州や薩摩が今ではイギリスと手を結び、一方で開国であった幕府はフランスと手を組んだ。その為に踊らされたのは、無位無学の浪人たちで、つまるところ十兵衛もその一人にしか過ぎなかったのだ。
 十兵衛は高らかに笑った。鼠色の曇天が頭を抑えつけている。そして、静かに雨が降り始めたか、と思うと一面に雨の壁が出来た。同時に、稲光が気まぐれに光っている。
「そういえば、雷から始まったのだったな」
 小畑勘十郎に襲われた時も、大雨に雷という、今と同じ状況であった。十兵衛は立ち上がり、近くに屋根のあるところはないか探し始めた。すると、廃屋になった山小屋を見つけた。雨露をしのぐには格好であった。
 十兵衛は腰の刀を抜いて近くに置き、銃を立てかけて、段差のある所に腰を掛けた。
 戦争は数年もないだろう。恐らく新政府軍が勝ち、新しい時代が来る。そうなれば、幕府の象徴である武士という存在がどうなるか分かったものではない。
「さて、どうするか」
 十兵衛は観音寺屋でのことを思い出していた。あの頃は、用心棒の傍ら、商売を教えてもらっていた。すでに遠い記憶になっているが、それでもたかが数年前の出来事である。
「商売でも始めるか」
 その時こそ、腰を下ろした土地で暮らすことができる。それがよい、と考えた。雷鳴が大きく鳴っている。雨脚は強くなっている。
「暫く動けんな」
 十兵衛がそう言った矢先、山小屋に大きな雷が落ちた。

 それから数日して、雨が上がると、付近の百姓が見つけたのは黒焦げた死体であった。

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