ものぐさ太郎α
鉄道をめぐる趣味と、それを発信していく事について雑に考える
主に昭和の頃のアニメに関して思い出した事を書いて行きます。
主に少年時代のしょうもない考え、情けない話、エッチな妄想、本来なら蓋をして忘れておきたい話題など。
UFO、未確認飛行物体についての話です
オリジナルのメカを作る為の様々な考察。できれば実践も。
「バナナマン日村が歩く!ウォーキングのひむ太郎」という番組を時々観ている。 ウォーキングシューズメーカーの提供で、スポンサーとは直接関係なく、歩いていて町中に現れる「酒のカクヤス」等に対する日村の反応が面白い。出会った人に時々バッジを配ったり。 この間は「王子」の回をやったのだが、これが興味深かった。 日村は電車好きらしいのだが、その反応は「わ、電車だ電車だ」である。 こういう感情、自分の場合は長年の間にどこかに置いてきてしまったもので、何も知らない所で踏切が
以前、「俺の触れた『剣と魔法の世界』」というのを書いた。 結局「長靴をはいた猫」と「ポールのミラクル大作戦」ぐらいしか知らないという話である。 しかし、中世ヨーロッパをモチーフにした作品では、魔法こそ出てこないが「小さなバイキング ビッケ」(1974)を観ている。ビッケのアイディアは魔法みたいに見えた。 あと、「タイムボカン」で中世ヨーロッパに行った回で、マージョ一味がダイナモンドを使った攻撃をすれば、それは魔法に見えるであろう。 ヒーローもの、魔法もので、
私は歌などはすごく苦手であるが、ちょっと、ザ・ドリフターズの「いい湯だな」の歌い出しを歌って音声検索してみた。 当然(?)、上位に出てきたのだが、31%だそうな。うーむ。 ほぼ同率である星野源の「ドラえもん」はイントロが「ババンババンバンバン」に聞こえなくはない。 からだ☆ダンダンとかいうのはよく分からない。 今回ちょっと面白いと思ったのは「トム・ドゥーリー」という曲。これ、イントロや歌い出しがちょっと似ているのだ。かなり前に聴いた事はあったのだけど。
岡山、兵庫のあちこちを回る旅に出たが、1箇所行ってみたい場所があった。 それが赤穂御崎である。 赤穂市内には、面白そうな店もある。 しかし、赤穂御崎はそこからは結構離れていて、バスに乗った方が良い。 こんな店もある。 知っている人が旧ツイッターで写真を出していたが、この景色が良い。 特に日が沈まんとしている時刻は最高だ。 きらきら坂という所がある。赤穂っぽくない名前かもしれない。 この辺りにはよくわからない造形も大量にある。 素朴な感じもある。
2024年の静岡ホビーショーが開催された。 5月11日は一般公開という事で、自分も行ってきた。実は去年は事前登録が規定数に達してしまっていて、行けなかったのである。 今回1番驚いたのは、ハセガワでもタミヤでもない、クラウンモデルというメーカーである。 クラウンモデルというと、相当昔にはプラモデルも製造していたけれど、大方の人にはモデルガンのメーカーという認識である。自分もそうだ。 しかし、そのクラウンモデルが再びプラモデルメーカーに挑戦するというのだ。
町興しに「妖怪」をという自治体はあちこちにある。鳥取県境港市は漫画家水木しげるの出身地である。最初はブロンズ像があちこちにあるという感じだったが、現在ではかなりの規模になっていると聞く。 広島県三次市は、稲生平太郎という少年が不思議な体験をしたという地である。色々な意味で興味深い展示があると聞く。 岩手県遠野市には「カッパ淵」等があり、数々の民話を収集した佐々木喜善がいた。 宮沢賢治の「ざしきぼっこの話」の冒頭が、「ぼくらのほうの、ざしきぼっこのはなしです」とあるの
福山自動車時計博物館再々訪問は、この日に「ボンネットバス試乗会」があるとの話から決行したのであった。 それまで「伊豆の踊り子号」には乗車した事があったが、ここのバスは乗った事が無かったのである。 これは休憩に入る所。かなり大きいバスだ。 剣道の面のようなラジエーターカバーが日野のボンネットバスの特徴である。 博物館横に横付け中。 車内はこんな感じ。前の方にロングシートがある。 昔ながらの商店街やお城の前を巡る。今のバスよりも揺れるというのは確かである
自分が20歳になった時に、30年前の曲、すなわち自分が生まれる10年前の曲を聞いていただろうかという話題が出た。「昔のヒット曲」を若者に話してもピンとこないという、繰り返し話された話題であり、定番とも言える。 PUFFYの「これが私の生きる道」(1996)が、もうそれくらいであると知って、軽く驚いている。 自分の場合はどうだったか、1959年前後の曲という事になる。流石に橋幸夫の「潮来笠」(1960)は一応知ってはいてもピンとこない。これは志村けんやザ・ぼんちが歌い
福山市にある福山自動車時計博物館には多数の名車、珍車が展示されている。その多くが実際に乗り込む事が可能なのである。 そんな興味深い中の1台が「フォード・リプリカ」である。フォード車ではない。ヘンリー・フォードの作った試作1号車(エジソンからもらった部品を取り付けたという逸話がある)を、手に入る廃品等をベースに、福山の人が再現してしまったというクルマである。 かかった金額2万円。 すごいね〜 何となく似ている感じがする。 エジソンから贈られた部品ではなく、自
自分は苦手な事が多い。チームプレー全般が苦手である。よく仕事なんかできるなとは思うが、仕事は「終わり」があるし、「休み」があるし、自分のやりたい事を仕事にしていないので、衝突が起きない。色々「マニュアル化」されている等の要因はあるのだろう。 球技全般が苦手である。あと、高い所は絶対駄目である。歩道橋の上から路面電車の撮影をするとか、かなり無理がある。 自分より下の世代が、クラスの友達の家でゲームをしたりしたと聞くと、自分はうまく逃げ切ったなと思う。 野球盤や人生
例のジャンクであるが、一応進行している。 進行しているというのか? 1/72ヘリコプターの座席と、不明な1/35ミリタリー系(何かの砲?)のレバーを持ってくる。 あと実際にはペダルがあるようだが省略。 後席が傾いてしまったとか、まあ、どうせ見えなくなるという観測だが、計器盤のパーツも探してこなければならないようだ。計器盤2つか。あと風防も。風防なんてただでさえ苦手なのだが。 前席と後席の間に壁があるようだが、作らないとダメだろうか。シートベルトはあった方が
都会の人の「いなかはいいねえ」はいつ頃からあるのか考えてみた。 NHKのテレビ番組「新日本紀行」は1963年に始まっている。1969年頃には現在の「新日本風土記」「小さな旅」の「いなかの(あるいは昔ながらの)人たちはいいねえ」という路線になっているようである。 1966年、NHKのテレビドラマ「太陽の丘」が放送される。静岡県の伊豆にある架空のユースホステル(今で言えば民泊に近い?)の親父の森繁久彌一家と訪れる若者たちを描いた。 1960年代後半から、カニ族と呼ば
昔は、いや、「昭和のある時期までは」と言った方が良いが、自分が自動車免許を持っておらず、子供に免許を取らせて運転手代わりにする。クルマが空いている時は自由に使って良いことにする。 という親が存在していた。少しステイタスが上の層である。 アニメ「サザエさん」の伊佐坂先生の息子の甚六さんがクルマを持っている。洗車したりしている。というのは(暗黙のうちに)この例だと意識できるが、そういう世代も滅びつつあるのだろう。 伊佐坂先生、小説家だが、カーマニアの石原慎太郎辺りよ
児童文学の話があった。児童文学、あまり読んでないか、読んでも忘れてるな。 幼稚園の頃に読み聞かせがあって、「エルマーのぼうけん」を知った。これが面白くて続編の「エルマーとりゅう」とともに買ってもらった。 絵本の「きかんしゃやえもん」もあった。「レールバス」という単語が説明なく出てくるのだが、問題なかった。そういうものである。後で史実ではモデルになった機関車は、戦前に既に価値を見出されて博物館入りしていたと知って驚いた。「のろまなローラー」もあった。 小学校に入ると
何らかの趣味をやっていると、知らず知らずに「引き出し」ができている。 何でも良い。「今はステンレス製の電車が多いな」とか、「このタイプはJR西日本にしかいないな」とか。 これは「設定」とか「知識」とか「教養」とかいう堅苦しい物事ではない。 「とりあえず組んでみた鉄道模型のカーブだけど、20m級の車輌が通るのは不自然だな」、「非電化のローカル線がやりたいんだよな」、「現実世界に今ある◯◯線のファンじゃないんだよな」。 こういった自分の思いを、「国鉄は匿名性が高い。既に
大長編ドラえもんの「のび太の恐竜」でのしずちゃんの身体の描写、成長期の少女ってこうじゃなかろうか(想像)という感じが強くて好きである。 いや、藤子・F・不二雄先生が想像で描いていたかどうかは不明であるが。 この、前屈みになった時にふくらんで見えるってのもそうだし。 先にお尻の方が大きくなるというのも、もっともらしい。 珠か豆粒のようなポッチリも。 逆に「のび太 神さまになる」では、 この位の大げさな表現もまた、読者の年齢の男子の想像(妄想?)に寄り添