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ランクイン

今朝、歯を磨いていると、ふと頭の中に、小学生時代のとある記憶が浮かんできた。


それは、小学6年生の頃。
正確な時期は覚えていないが、その出来事から推し量るとおそらく秋頃のことだったと思う。



ある日の学級活動の時間、卒業アルバムのクラスページについて話し合うことがあった。

今、手元に当のアルバムがないので正確に確認することはできないが、私が行っていた小学校の卒業アルバムは、大まかに言うと、以下のような構成で作成されていた。
 ・先生の全体写真
 ・各クラスの個人写真
 ・6年間の行事の写真
 ・各クラスのクラスページ
 ・各クラスの卒業文集
 ・その年の時事やニュース


クラスページは、それぞれのクラスが企画やテーマを考えて作成する。
例えば、クラス全員が「誕生日」「好きな食べ物」「将来の夢」といった簡単なプロフィールを書いたり。あるいは、【先生に一言!】と題して、担任の先生に向けてお礼やおふざけの一言メッセージを書いたり。

もちろん、掲載する前には先生の確認が入るわけだが、基本的には生徒が主体となってオリジナルのページを作成することになっていた。



私のクラスは、ランキング企画を作成していた。
いわゆる、「クラスで1番〇〇な人は?」というお題に対して、そのクラスの生徒にアンケートをとって、その回答結果をランキング(TOP3)で載せるというもの。特に捻りもないオーソドックスな企画だ。

このお題というのは、定番の【有名人になりそうな人は?】や【早く結婚しそうな人は?】から、【ドラえもんと友達になれそうな人は?】といったような、はたして選ばれた方が嬉しいのかどうか分からないようなものまで様々。およそ10個ほどお題を決めて、それぞれに対して当てはまりそうなクラスメートの名前を書き、係に提出する。


今思えば、割と残酷にも思われるこの企画に対して、当時の私は「どれに選ばれるかな〜?」とワクワクしていた。というのも、小学生の私は、底抜けに明るかった。運動も勉強もそこそこできて、学級委員もやったりして。そのおかげか、ちょっとした人気もあった。学校にいるときは基本的にいつでも周りには友達がいて、一人になることも少なかった。
だから、このようなランキング企画に対しても、深く考えず楽観的に構えていられた。


そして、案の定、私は複数のお題でTOP3に入ることができた。どのようなお題でランクインしたのかは覚えていないし、複数と言っても2個か3個だったと思うが、素直に喜んでいた。複数ランクインしている生徒は、他にも数人いた。

しかし、複数ランクインしている生徒がいるということは、反対にどのランキングにも名前が書かれていない生徒もいる。これこそ、このランキング企画の残酷な部分であり、当該生徒がどのような気持ちでランキングを眺めていたかは分からないが、おそらく小学生なりの、というよりむしろ、小学生だからこそのショックを受けていたのだと思う。




今朝浮かんだのは、ここからの場面。
集計されたランキングを見て、教壇に立つ先生が言った言葉。

「ランキングに入っていない生徒がいる。その子が可哀想だ。複数ランクインしている人の名前を削って、入っていない生徒の名前を入れなさい。」

正確な言葉やニュアンス、口調などをはっきりと覚えているわけではないが、このような趣旨の発言だった。



当時の私は、「えー、せっかくたくさんランクインしたのに〜。」と呑気な余裕を抱きながらも、それを口や態度に出すことはしなかった。「小学校なんて先生が絶対的な権威を持っている場所だからな」なんて子どもながらに分かっていたし、「まぁ先生の言うことも分かる」という納得感もあったから。結果的にも、先生の発言は覆されることはなく、全員の名前が入ったランキングが卒業アルバムのクラスページに掲載された。


しかし、小学校を卒業してから果てしない時間を経た今でも、時々思い返す。


その先生の一言は、残酷に残酷を重ねたものではなかったか、と。


正直、最初からランクインしていた生徒にとっては、ランクインしていない生徒のことは気にならず、自分の名前が入ったことに素直に安心できるだろう。思いやりのある生徒の中には、ランクインしていない生徒のことが気になって、手放しで喜べないという子もいたかもしれないが、それでもランキングに自分の名前があるという安堵感は強い。

しかし、ランクインしなかった生徒は、そんなわけがなかった。自分に対する恥じらい、クラスメイトから受けた否定、あるいは、ランクインすることへの期待と楽しみが裏切られたような空虚、絶望。大袈裟かもしれないが、そんなものを抱いていたと思う。もしかすると、ランキングに入って目立つのが嫌な生徒もいたかもしれないが、それは結果的にランキングに入らないことで目立つような形になってしまっていた。


冷静に考えてみれば、ランクインしていない人が必ずしも0票なわけではない。例えば、どのランキングにもランクインしていない生徒が全てのランキングで4位に入っていた、ということだってあり得る。反対に、複数のランキングにランクインした人間は、それ以外のランキングでは全て0票だった、という可能性もある。だから、こんなランキングなんてランクインしてもしなくてもどうでもいいものなのだけど、小学6年生という多感な時期では、1つもランクインしていないという事実を受け流すのは、かなり難しいことだと思う。



何かしらのショックを受けているであろうランクインしていない生徒は、先生の言葉をどのように聞いたのだろう。

「先生、僕の名前を載せろって言ってくれて、ありがとう!」
なのか?

きっと、そうはならなかったんじゃないか。

子どもは大人が思っているより、たくさん察して、考える。

「僕の名前が入ったら、嘘のランキングになってしまう」
「そんな形でランクインしても、私なんにも嬉しくない」
「嘘ついて名前が載るぐらいなら、載らない方がマシだし」
「そもそも、先生が『ランクインしていない人がいる』なんて言わなければ、みんな気づかなかったのかもしれないのに。」

そして、大人になった今。ふと、思い出に浸ろうと卒業アルバムを開いてみれば、そこに書かれている自分の名前。けれど、それは、自分じゃない。


その残酷さすら、「そんなことがあってさ〜」と笑って話せるようになる人はたくさんいるのかもしれないけど、反対に、トラウマのようなものを感じる人だって、きっといる。




先生。
意図したことは理解できるけど、やっぱり言わない方がよかったんじゃない?
別のクラスでも同じような企画やっていたけど、名前出ていない子、たくさんいたよ。
ってか、そんなこと言うのなら、そもそも企画の段階で却下すればよかったじゃん。

こんなことを思うのは、私がその先生のこと、苦手だったからだろうか。






この想起の最後の場面。
決まって現れるのは、「おい!俺の名前どこにも入ってねぇじゃん!!」と笑って明るく振る舞っていた、お調子者の旧友の姿。





6年●組の皆んな。
今、どこで、何してる?





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