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香港での半年間のポップアップにあたって

昨年(2016年)12月に行った家具も含めたポップアップショップが予想以上の反響を得た結果、転がり込んできた半年間の長期のポップアップ話。前回、書いたように決断には時間を要したが、9月から展開することが決まった。それにあたって、まずは海外要員として正式に採用を決定したK君の就労ビザの取得から始まった。

入国管理局

地方の超ドメスティックカンパニーなので当然のことながらビザの申請どころか外国人の採用などしたことがなく、何からしてよいのかわからずとりあえずネットで「外国人採用」と検索してみた(笑)そして、当たり前の事ではあるが、まずは、何はなくとも就労ビザの取得が必須であることが解った。そして、就労ビザの申請は行政書士が行っていることも同じサイトの情報から知った。そこで、知り合いの行政書士に相談したところ、行政書士の仕事の中でもビザの取得は比較的珍しい部類に入るらしく、行政書士なら誰でもよいという訳ではないようで、それを得意としている方を紹介してもらい、詳しく話を聞いた。その結果、実は色々と制約があることも初めて知った。まずは採用するにあたっては、その人である明確な理由が必要で、その人の持つ専門性と実際に行う仕事がマッチしているかどうかが審査されるのであった。もしくは、仮に専門とは違っていたとしても高度人材として、一定額以上の賃金支払いの義務が発生するのであった。そして、どちらであったとしても、膨大な書類作成が必要となるのである。当初は何でまた、こんなにたくさんの書類が必要なのかと思ったが、よくよく考えてみれば当たり前のことで、一定以上のハードルを設けることで、日本国内において日本人の雇用を守っているのであった。それにしても、提出書類が多くかなりの手間ではあったが、なんとかかんとか全ての書類を提出し無事、就労ビザを入手することに成功した。

書類

そして、就労ビザの獲得とほぼ同じタイミングの3月にK君が来日した。学生時代に日本に住んでいた上に、ここ数年の間にも観光で数回来日していたK君は慣れたもので、既に、住宅情報サイトにおいて住まいの候補もいくつか見つけており、早速内覧を始めていた。日本語がペラペラで、見た目もほぼ日本人のK君は、不動産屋さんからも特に怪しまれることもなく、無事に希望の物件を見つけることができたが、来日間もないという事もあってか、契約だけは会社名義ですることとなった。その後、香港からの荷物の到着と家財道具の購入にあわせて引っ越しを行った。就労ビザ取得のための書類作成での手間のおかげか、K君の日本での経験値の高さのおかげか、思った以上に段取りよくスムーズに、K君の日本での日々と門間屋での仕事がスタートしたのであった。

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香港のオープンまでは約半年あったので、それまでは、門間屋の日本の店舗においての実地研修と言う名のもとに、いち戦力として業務にあたってもらった。弊社程度の規模だと、海外業務のみで人ひとり雇えるほどの余裕はなく、他の日本人の販売員と同様の業務をしてもらう必要があるため、そういった意味でも、K君くらい日本語ができないと雇えないのである。なぜなら、仙台の高級家具屋に、コンビニではあるまいし外国人スタッフがいるとは誰も思っていないので、そこにカタコトの日本語を話す外国人が出てきたら、お客さんは明らかに引いてしまうからである。その点、K君に関しては、逆で、こちらから言わない限りは外国人であることに全く気が付いてもらえないので、敢えてネタ的にこちらからK君が外国人であることを伝えて、お客さんを驚かせたりしたのであった(笑)。接客においても、香港でのポップアップの際に毎回も手伝ってもらっていたこともあり、ある程度の経験や知識は元々あったので、あっという間に基本的なことはマスターしてしまった。むしろ、見た目の爽やかさも手伝ってか、前からいたちょっぴり微妙な日本人スタッフよりもよっぽど好感が持てたくらいである。という事で、思った以上に教えることが無いことが判明したため、タイミングよく舞い込んできた7月の台湾での2週間のポップアップをK君の貿易実務の練習も兼ねてノリで受けることにしてしまった。

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上記表現からも解るように、簡単に言えばやっちまった感じの結果となってしまったのであった。場所は、台北のそれなりに集客のある商業施設内のTSUTAYA BOOKSTORE内のポップアップスペースで、日本で言うところの蔦屋書店みたいな感じであった。オープンして間もないこともあり、かなりの集客があったのだが、残念なことに、そもそもの客層がズレていたのであった。若いという事もあったが、それ以上に、その商業施設の格がどうやら、やや低めだったらしく、所得水準的にも弊社製品を買えるレベルではなかったのであった。現場に立って、数日で気が付くくらいなので、事前にちょっとリサーチしていれば明らかに気が付くことができた完全なるケアレスミスであった。当然ながら、全然売れずに2週間が経ち、先方が気を使って更に2週間延ばしてくれたが結果は同じ事であった。途中からは台湾で売ることを完全に諦めて、如何にして、これ以上の損を出さずに切り抜けるかを考えていた。そんな時に妙案が浮かんだのであった。以前の上海での失敗同様、台湾での在庫を日本に返送するのではなく、香港に転送する事で、無駄な関税と送料を節約することとした。
以上のように台湾はヤレヤレな感じではあったが、その間にも香港の準備は着々と進んでおり、7月下旬には商品の出荷も無事に完了していた。台湾の失敗に関しては、社内で一部のズレた連中が的外れな事をヤンヤヤンヤ言っていたが、残念ながら的外れだったので無視することとした(笑)。
いよいよ始まる香港での半年間のポップアップに関しては次回以降で書かせていただきます。

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