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『キャッチボール』


今回も父の話をするので
少し暗くなるかもしれない。

皆さんには申し訳ない。




僕と父のことを知らない方は
『青空』を読んでいただければと思う。





僕は小さな頃、
父のことが苦手だった。


僕は嫌なのに強い力でくすぐってきたり
ちょっかいをかけてくるからだ。


後になって、不器用な父なりの愛情の裏返しだったことを知る。

そして、僕は興味がないのに
キャッチボールをやらされたりした。


上手くボールをキャッチできなくて
顔に当たり鼻血が出たことがある。


それ以来
ますます、父のことが大嫌いになった。








ある日
突然、父が野球のゲームソフトを買ってあげると言った。


僕はゲームなら、
なんでも良かったので、
とりあえず父に買ってもらった。


最初は適当にやっていたが
段々と、その野球ゲームにハマり
実際に野球をやってみたいという気持ちが強くなってきた。


友達は、皆サッカーばかりやっていたので
父としか野球の話やキャッチボールができなかった。


父は、僕が野球に興味を持ってくれたことが嬉しかったのか
どんなに仕事で疲れていても
二日酔いで辛そうでも
僕とのキャッチボールの誘いは
絶対に断らなかった。


僕は大嫌いだった父とのキャッチボールが
いつのまにか楽しくて楽しくて仕方ないものになっていた。


野球のおかげで少しずつ
父との距離が縮まり
兄弟の中で僕が一番父と仲良くなった。




そして、中学生になった時
僕は父とたくさんキャッチボールをしてきたからか、誰よりも肩が強くなっていた。


1年生ながらにエースナンバーをもらった。


父も喜んでくれて
僕の野球の試合がある時は
仕事を休んで必ず観にきてくれた。


父にとって自慢の息子だったと思う。




でも、
高校生になった時に
肩を壊して投げられなくなってしまった。




僕は、父にそんな情けない姿を見せたくなくて父と野球の話をすることを避けるようになった。




父は悲しそうだった。




そして、高校の3年間が終わり
僕は大学生になって野球を辞めた。


僕は大きな悩みが無くなり
また父と話すようになるが
その2年後に父は自殺した。



今、思えば
こんなことになるなら
もっと父と話しておけば良かった。


意地なんか張らないで
肩を壊して投げられなくなったことを相談すれば良かった。



本当は、お酒が一緒に飲めるようになってから、あの時のことを笑い話にでもして話そうと思っていた。


父は僕とお酒を一緒に飲むことを楽しみにしていたから。


でも、その前に死んでしまった。










上京して東京に住む僕に
父からLINEが送られてきたことがある。


「帰ってきたら、お前の調子の良い話で
また笑わせてくれ。」


父からLINEが来るのは珍しいなと思っていた。

でも、僕はなんて送ったか覚えてないぐらい適当な返事をしてしまった。




まさか、その数日後に
もう会えなくなるだなんて思ってもいなかった。


後悔しか頭になかった。


あの時、父の異変に気づいて
すぐ実家に帰ればよかった。








もしも、どこかで父と会えるなら
またあの頃みたいに
キャッチボールしながら
僕のアホな話でもしておもいっきり笑わせたい。



笑ってほしい。





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