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ダンマパダ292、293偈 やらなきゃいけないことがたくさんある時は気をつけた方がいい 煩悩で頭が混乱している証拠、であると
292 、 なすべきことを、なおざりにし、なすべからざることをなす、遊びたわむれ放逸なる者どもには、汚れが増す。
293 、 常に身体(の本性)を思いつづけて、為すべからざることを為さず、為すべきことを常に為して、心がけて、みずから気をつけている人々には、もろもろの汚れがなくなる。
ダンマパダのこれらの偈を普通に読むと、すべき良いことを行うべきで、すべきでない悪いことはやらないように、というこ
悟りと葬式(大竹晋)、教養としての世界宗教史(島田裕巳)から「やっぱり仏教だよね❗」
何ひとつ不自由のない王子として生まれた釈迦が、恵まれた生活や人生に苦を感じ、そこから逃れるため出家し悟りを求めた。身分も、豊かな生活も、全て苦と感じた。苦とは単に貧しいとか、痛いとか、住むところもなく、尊厳もないということではなさそうだ。むしろ王侯の生活には、もっと領土を、もっと富を、子孫の繁栄を、敵国の征服を、もっともっとの不満足。あるいは奪われ失いはしないかという不安。
現代社会の私たちは、健
大乗非仏説村上専精の入覚寺参拝した日、大竹晋さんの新著を発見
母が亡くなり菩提を弔うにあたり親鸞の正信偈を初めて学び毎日唱えていた。そのうち法蔵菩薩の十八願や、龍樹、天親から源信、法然に関心が及んだ。佐々木閑さんのYouTubeを2回り聞くうちに、ブッダの教え、部派仏教、説一切有部、天親(世親)の唯識、龍樹の空の思想、維摩経、法華経、華厳教、浄土三部経、密教、テーラワーダなどにつながってきた。もっともっとの煩悩の苦しみから逃れるには、ブッダの教えの原始仏教が
もっとみる村上専精の入覚寺参拝
村上専精は初代東京帝大印哲教授である。日本の宗派宗教者による研究に発した明治の日本の仏教学は、サンスクリットやパーリ語仏典を西欧哲学や神学、文献学の学術的手法で研究確立された欧米の仏教学からみると、すべてが戯言であると喝破した。村上は「大乗非仏説」を著し、日本の宗派宗教は大慌てで宗門の若手優秀者に西欧の学問を学ばせ、自派の宗祖がいかに釈迦と結びついているか必死に研究した。村上は大乗非仏説を著したこ
もっとみる釈迦十大弟子の最後は凄惨だった(まず目連)
釈迦十大弟子といえば、何十年も前に倉敷の大原美術館で棟方志功の版画を見て、精神性は感じたが、穏やかな方々というのが思い込みだった。最近手塚治虫のブッダを再通読しても、アーナンダが半グレ出身みたいに描かれていることを除けば人格者ばかりであり、まさか彼らの幾人かの最後が凄惨なものとは知らずに来た。
きっかけは、近頃仏教、なかんずく初期のブッダの教えに興味を持ち、書架を覗くと芸術新潮1997年2月号に釈
わたし的には第2の仏教伝来
佐々木閑さんのミリンダ王の問い(YouTube版)では、初期仏教において身体の不自由な方に対する差別思想があったかどうか論じている。ミリンダ王の問いにおいて、ナーガセーナは「現在、目や耳や肢体に不自由のある方は、過去の業の因果の結果、すなわち過去生において悪をなしたことの報い」と答えている。このことは今日的な価値観からはちょっと差別的、身体不自由のある方にとって不快な説である。中村元の翻訳において
もっとみるなぜ空の思想は大乗仏教において多くの人に救いを与える根本思想と言えるのか?ChatGPTの答えはよかった
龍樹は、古代インドの哲学者であり、彼の空の思想は、大乗仏教の重要な基礎となりました。空の概念は、個々の実体や永続するものの存在を否定し、あらゆるものが相互に関連し、依存し合って存在するという理解を表しています。なぜこのような空の思想が、小乗仏教ではなく大乗仏教の根本思想として位置づけられるのか、その理由を論じてみましょう。
多元的な解釈と包括性: 大乗仏教は、一般的に多元的な解釈と包括性を重視し