見出し画像

舞台「DEMON 〜ありがとうって言えなくて〜」春名真依 根岸可蓮 出演

昔話を題材にしたエンターテイメントって大好きなんですよね。日本に古来から伝わるおとぎばなしや伝説、古典、それこそ、おばけや幽霊といったものも含めて、とても長い時間をかけて育まれてきたもの。日本人であれば、だれもが知っている物語。日本人の精神に深く根ざしている題材で、日本人ならではの情緒や価値観といったものも、そういったものからカタチ作られている。そして、そのような物語の中に、日本人の心のありようが投影されている。
そのような物語が今に残っているのには、そのひとつひとつになんらかの理由や意味があるはず。そのことを考えるだけでも面白いものになって、新しい発見があって、そこから派生する物語はいくらでもつくることができます。

人と鬼の物語は、これまで数多く作られているわけですが、それだけ鬼には魅力があるということ。人ではない異質な存在。人とは相容れないもの。日本人にとって描いても描いいれないほどのテーマ。
書籍もたくさん出ていますが、その中でも私がもっとも興味深く思っているのは「鬼のつくった国・日本」(小松和彦)。

日本人ならなるほどって感じられる内容になってます。

舞台を配信で見ていて、私は劇団夢の遊眠社の「贋作桜の森の満開の下」がずっと脳裏にありました。何度も繰り返し上演されている野田秀樹の代表作。
私は、1989年の初演を観ましたが、坂口安吾の「桜の森の満開の下」と「夜長姫と耳男」をベースに、国がかたちづくられていく物語。
その舞台の中で、オニの住む場所と境界線を引くことでクニがかたちづくられていくと語られています。そのラインを囲む空間が広がるほどにクニは大きくなりオニは外に追いやられる。そこに、国境をカニが横に歩くイメージが重なって、クニとオニとカニが織り成していく物語。野田秀樹独特の言語遊びが冴え渡った舞台だった記憶があります。

この舞台は、桃太郎の後日談という物語。クニが大きくなっていく過程で生まれた物語だと思うのです。
舞台では、自己犠牲に大きく流れていきますが、その描かれ方はどことなくキリスト教的な精神性に基づくようにも感じられて、舞台のタイトルがDEMONなのも、そのためなのかな?と思いました。

劇中に登場するかぐや姫は、人にも鬼にも属さない第三者の存在。地蔵菩薩は、弥勒菩薩が出現するまで一切衆生を救済する役割をになってるもので、なるほど納得な役どころ。そのような凄い菩薩がたくさん日本のあちこちの道々にあって、民話としてあることがとても不思議に感じられます。

まいまいとれんれんは、舞台でとても楽しそうに演じていることがストレートに伝わってきました。
演劇は舞台に立つ身体がとても大事なものだと思うのですが、たこやきレインボーの活動で鍛えられたものをいかんなく発揮している。舞台の経験を積むことで、良い意味でのゆるさ、弛緩も感じられて、それが舞台上で、良いオーラを発しているように感じられました。

れんれんは、キツネや犬を演じたら日本でトップクラスに入る役者なんじゃないかと思います。舞台上で衣装はめちゃくちゃ暑かったと思うのですが・・・。長い時間倒れるシーンもありましたが、道子とクラリスと重なるものを感じてしまって、続きみたいぞ!って、ここで思ってしまったのですが・・・笑

まいまいは、身長の高さと手足の長さで圧倒的な存在感を舞台で魅せてしました。舞台上でとにかく映えるカニという存在は、舞台にいるというだけで面白い。まいまいの特徴ある声も舞台で活きていて、一挙手一投足に笑いがあって、まいまいのコメディエンヌとしての可能性が一気に広がったように思いました。

まいまいとれんれんは、次の舞台も決まってて、今後も楽しみなふたりです。今回は、配信での観劇でしたが、次は現地で観る予定です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?