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「薔薇王の葬列」と松岡版シェークスピア

アニメ化もされた菅野文さんのマンガ「薔薇王の葬列」はシェークスピアの「ヘンリー六世」と「リチャード三世」を下敷きに描かれるダークファンタジーで、私は同著がきっかけとなりシェークスピア史劇に触れた。

この記事ではマンガ「薔薇王の葬列」と松岡和子さんの訳によるシェークスピア作品との間を行ったり来たりしながら、両者(菅野さん、松岡さん)による作品の魅力やその仕事ぶりを紹介したい。

■「薔薇王の葬列」とシャークスピア史劇

ネットの無料配信期間に、偶然「薔薇王の葬列」を知って読み始めたのだが、恥ずかしながらシェークスピアが史劇を手がけていたことを、この時初めて知った。

同作は15世紀にイギリスで起こった王権争い(諸侯による内乱)である「薔薇戦争」をベースに描かれている。王座を争った二大勢力の一方ランカスター家が赤バラ、他方のヨーク家が白バラをそれぞれの紋章としていたことが「薔薇戦争」と呼ばれる由縁である。

ダークヒーローであるヨーク家の三男・リチャード(のちのリチャード三世)が魅力的なのをはじめ、複雑な歴史の物語が耽美な世界観で描かれており、シェークスピアの方も読んでみたいと思わされたが、なんとなく難しそうなので、しばらく手が出ないままだった。

その後、なぜか色々な場面でシェークスピアに出会すことが多くなり、2年ほどが経った。そろそろ読んでみようかと思っていた時に偶然手にしたのが心理学者・河合隼雄さんと翻訳家・松岡和子さんがシェークスピア作品を論じた対談本「決定版・解読シェイクスピア」だった。

■心理と文学のプロによる痛快な切り口のシェークピア論

シェークスピアに限らず、古典というのは古今東西ぶっとんだ展開が多く、洞察力が浅い私には一読して「???」で終わってしまうものも少なくないのだが、そこは心理のプロと文学のプロ。お二人による作品解説の仕方や切り口が大変面白く「そうなんだ」と教えられることがたくさんあった。

例えば「悲恋」の一言で片付けられがちな「ロミオとジュリエット」。
実はこの話には元になる物語があって、シェイクスピアが執筆にあたって恋人たちの年齢を元の話より二歳引き下げた十四歳にしていることに、二人そろって注目している。
私はこれを読んだ時、「十四歳では若すぎないか。子供っぽくなりすぎるのでは」と思ったが、お二人はこの年齢を「愛を初めて知る年齢」と意見を同じくしている。さらに松岡氏は子どもから大人へと成長する要素の一つが「秘密をもつこと」であるとし、『恋』の秘密をもったことでジュリエットが大人になっていく過程を解説している。

なるほどこの後に松岡版「ロミオとジュリエット」を読んでみると、過保護な両親の元で育てられたジュリエットは、ロミオとの結婚を口やかましい乳母に反対されても「ハイハイ」と聞いている。一見従順を装って耳を傾けているのだが、乳母が立ち去ったあとでぼそっと悪態をついたあと、一人でことの打開にむけて動きだす。ロミオと恋をしたことで自ら考えて行動を起こすようになっただけでなく、「聞き流す」という高度なテクニックをあっという間に身につけてしまった。その変わり身の早さに驚かされる。

また同じく十四歳、恋の悩みをいつまでもウダウダと吐露するロミオのその姿はまさに中二病。この対談がなされたのが90年代の終わり。まだ「中二病」という語の汎用性がそれほど高くなかった時期だ。
そんな言葉が登場する遥か前の中世から、中二は面倒くさい年齢だったのか。設定を十四歳にしたシェークスピア、その妙齢に着目したお二人、三者のセンスが素晴らしい。


■シェイクスピア作品全37作を翻訳した松岡和子さん

松岡和子さんは2020年に25年に及んだシェークスピア戯曲全37作の翻訳を完成、21年にはちくま文庫の全集がそろった。

個人で全訳をなしとげたのは、坪内逍遥、小田島雄志(93歳でまだ御存命)に次ぐ、三人目。女性としては初、ということだが、この偉業に「女性初」の枕詞は(個人的には)不必要かと思われる(男であっても女でもあっても素晴らしいから!)。

それまで何となく敷居が高そうで、敬遠していたシェークスピアだが、上述の解説本に触れたことで、いくつかの松岡版シェークスピアを手に取ってみた。

松岡さんの翻訳は、現代的でさっぱりして読みやすく、かつ洒落がきいていて面白い。本人いわく、これまでのシェイクスピア本の中で一番忠実に訳したのが特徴だそうで、本来ならならぼかして訳すような卑猥な語やきわどい表現もきちんと訳したという。しかし抜群の言葉選びには独特の軽やかさがあって、下品さは感じられない。まだほんの数冊しか読めていないが、この軽やかさは松岡版全体を通しての特徴では、と感じている。

「ロミオとジュリエット」であっという間に松岡版の虜になり、ヘビーそうで手がでなかった「ヘンリー六世」すらも、わくわくしながら手を伸ばした。


■「ヘンリー六世」の世界観を大胆にふくらませた「薔薇王の葬列」

松岡版「ヘンリー六世」は大変面白く、あっという間に読み終えたのだが、そこはやはり「薔薇王の葬列」を読んでいたことに大いに助けられた。

「ヘンリー六世」はフランスとの百年戦争(ジャンヌ・ダルクの活躍で有名)の終盤から始まる。フランスから撤退したイギリスはそれまでフランス国内に持っていた領土を失い、諸侯の不満が高まり分裂。国内の覇権争いに突入していく。「薔薇王の葬列」は主人公・リチャードの父(ヨーク家)がランカスター家のヘンリー六世から王座を奪おうと画策しはじめるあたりから物語がはじまる。

同じような名前の人物が出てくる、血縁・姻戚関係がややこしい、敵味方が次々に入れ替わる「ヘンリー六世」の物語は、あらかじめ主要な人物がビジュアル化されていたことで、読み進める際に大いに役に立った。

「薔薇王」は史実を下敷きにしているが、あくまでシェークスピア作品を元にしたファンタジーで、大胆なアレンジが加えられている箇所も多々ある。テキストを読み進めながら、作者・菅野文さんの解釈に触れられるのも面白かった。

例えばシェイクスピアの描くリチャードは醜いせむしとして生まれたため、世の中に逆恨みして、全てを憎む極悪非道。戦にもめっぽう強い。一方「薔薇王」のリチャード(漫画の主役)は、両性具有として生まれたことから不吉な存在として実母から忌み嫌われる。しかし自らと同じ名を授けてくれた父リチャードを慕い、彼の愛に報いるために華奢な体で騎士としての鍛錬を積み、王座奪還を目指す。

リチャード方と敵対する王ヘンリー六世は、シェークスピア版では清廉潔白な王として描かれている。家臣らに「聖職者の方が向いている」と陰で揶揄され、敵方リチャード(父)に迫られあっさり次期王権を手放してしまう気弱で優柔不断な男のイメージを、菅野さんはさらに増幅し、繊細で無垢な男して描き、白を想起させる存在はダークなリチャードとの対をなしている。

「薔薇王」では羊飼いに憧れる王ヘンリーが、現実逃避をして森で過ごしていると、同じく森を彷徨っていたリチャードと偶然出会す。内なる孤独を抱えた二人は、違いの素性を知らぬまま、心を通わせていくが、そこには友情の一線を超えるような超えないような、危うい雰囲気がある(そこにリチャードの両性具有設定が生きてくる)…その他、オリジナルにはない様々な人物の恋愛模様なども描かれている。


長々と二つの作品の間を間を行ったりきたりしたが、松岡版シェークピアと菅野さんの「薔薇王」、どちらも読まななければ、それぞれのよさをしれなかったと思う。

言葉や歴史の差異を埋めるべく、膨大な勉強と共に歴史的な大作に挑んだことも、その大作から大胆なイマジネーションの旋風を巻き起こしたことも、どちらも素晴らしいと思う。二人の作者に心から拍手を送りたいと思う。
楽しい作品を、どうもありがとう。

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