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リグーリアそぞろ歩きストーリー 第6話

僕らの友情の味

主な登場人物:
山之内広希(ひろき)(ヒロ)・20代半ばの男性(主人公)
ニコロ(イタリア人の元同僚・友人)

時刻通りならば、あと20分程でこの電車はサヴォーナに到着するだろう。携帯電話で時間を確認する。休暇を利用して、今、修行している店があるピエモンテから隣りのリグーリアまで足を延ばしているところだ。駅にはニコロが迎えに来てくれる予定になっている。彼と顔を合わせるのは3か月ぶりだ。
 
もともと食べることは好きだったのだけど、子どもの頃から何かを作り出すという作業もわりと得意だった。自分の作ったモノで人が顔をほころばせるのを目にすると、何とも言えない大きな喜びも感じていた。
高校卒業後、調理師専門学校に進み、フランス・イタリア料理コースを専攻。在学中から少なからずイタリア好きの姉の影響を受け、就職先はイタリアンレストランに落ち着く。卒業旅行もイタリアで、姉とのふたり旅だった。就業し始めた当初は、ホール担当からスタート。ある程度の人数の厨房スタッフもいるため、いくら調理師免許を取得したとはいえ、新卒の僕は洗い場担当ですらなかった。とはいえ、「人当たりがいいよね」とよく言われることもあり、ホールでの接客業務も苦にはならなかった。ようやく厨房業務に就けるようになると、若いとはいえ体力的には消耗した。でも、シェフや先輩たちの動きを目の当たりにすることもでき、毎日が学びの日々だった。休みの日は、行ってみたい店の食べ歩きを。ひとりで回ることもあれば、専門学校時代の友人や、同日に休みになった同僚や先輩、もしくは、姉が一緒ということもあった。人と一緒に回ると、色々な種類のものを食べられるだけではなく、感想を言い合ったり、将来の方向性などをお互いに話したりできて、それが僕にはとても刺激になった。
 
就業していた店のオーナーシェフは、イタリアでの料理修行の経験者だ。そのこともあり、店のスタッフが探求のために国外に出ようとすることには理解があった。また、なるべく上下関係を感じさせないように振る舞う軽やかさを持ち合わせている人だ。イタリアンカルチャーの良いところを吸収したような人なのだ。そういう人の下で働いていると、短期間の旅行ではなくて、実際に自分も同様の経験をしてみたいという気持ちが湧いてくるもの。店で特に気が合っていた先輩が渡伊したことをきっかけに、僕も具体的にそのことを考えるようになった。
 
準備期間の約1年半を経て、イタリア北西部のピエモンテ州にある料理学校に通うために渡伊。最初の2か月は学校で講座と実習。その後、学校が推薦する店などで、各自がスタージュとして働くことになる。ニコロとはその店で出逢った。彼はホテルスクール出身で、僕が配属される前から、カメリエ―レ(ウェイター)として勤めていた。年が近いこともあったけれど、僕のつたないイタリア語にもよくつきあってくれて、何かと声をかけてくれた。仲間内ではとても気さくなのだが、一旦、接客に入ると、フレンドリーでありながらも、客に対してはとても丁寧で、またよく要望に気が付くところがあるのが見えた。若いけれど、そういうプロフェッショナルな態度に敬意を感じ、ますます僕は彼が気に入った。店の定休日にも会ったり、周囲の美味しい店などに付き合ってくれることもあった。だから、不慣れな外国の土地でせっかく親しくなれたニコロが店を辞めて、地元のリグーリアに帰ると聞いた時は、やはり少し……いや、かなりショックを受けたのは否めない。そんな僕に「そりゃあ今みたいに実際に毎日顔を合わせることはできないけれど、隣りの州なんだし、遊びに来なよ!それに、オンラインでビデオ通話だってできるんだからさ!」と言って、明るく励ましてくれた。店の他の仲間たちとも関係がうまく行っていないわけではないけれど、少し込み入ったことがあると、僕は今もニコロを頼っているところがある。
 
電車は3分遅れでサヴォーナ駅に滑り込んだ。イタリアの電車は5分以内の遅延は遅れとはみなさないものだ。ホームに降り立ち、ニコロの姿が見えないか辺りを見渡す。下車した乗客が階段方面に歩いていく人波の間に、僕の方に向かって大きく手を振る二コロを発見。
 
「チャーオ!ヒロー!」
「チャオ、ニコロ!」
「道中、何も問題なかったかい?元気そうじゃないか」
「うん、特に問題なかった。ありがとう。そっちこそ、元気だよね」
 
ニコロは両手を大袈裟に広げて、ガシッと力強くハグした。とはいえ、中肉中背の僕と体型が似ていて、見た目はシュッとして見えるので、威圧感はない。
僕の荷物は2泊3日の滞在と短期間なのでわりと身軽にディパックのみ。背負っての移動でもそれほど苦にはならないけれど、まずは予約したB&B(ベッド&ブレックファースト)にチェックインすることにした。ニコロは車で迎えに来てくれていた。
 
サヴォーナは、リグーリア州の州都ジェノヴァから西に50キロ強の距離にある市で、リグーリア州内4県のうちの1県の県庁所在地だそうだ。ジェノヴァには、まだ料理学校に通っていた頃にクラスメイトたちと足を運んだことがある。
ニコロがいるからサヴォーナに行ってみようかと思っていると、店の仲間たちに言ったら、ぜひヒヨコマメの定番ファリナータとサヴォーナ特有の小麦粉のファリナータの食べ比べをすることを勧められた。だから、今回の訪問は、ニコロと会うことの他には、それが主なミッションとなる。ニコロにそのことを前もって伝えたら、「OK!任せといて!」といつもながら頼もしい返答をもらった。
 
ほぼ中心地に位置するB&Bにチェックイン。荷物を置き、貴重品とカメラを持ってすぐに部屋を出る。ニコロが「まずは、港の方に行ってみようか」と促す。普段、山間の町にいるので、「リグーリアに来たら、やっぱり海を見なくちゃね!」と、その提案に乗る僕。
街の様子を見ると、なんとなく大きそうに感じられる。ピエモンテの方がリグーリアよりも面積は圧倒的に広いのにもかかわらずそう感じるのは、僕のいる町がこじんまりとしているからかもしれない。両脇に広めのポルティコ(柱列が並び屋根がある歩道)がある広い通りは、この町の目抜き通り、ピエトロ・パレオカパ通り(Via Pietro Paleocapa)だそうだ。車道だがアスファルトではなく、煉瓦色の石造りに雰囲気が感じられる。たくさんの店が軒を並べているのを見ながら通り抜けると港が見えてきた。僕らの視界には、ビルのように何階建てもある大きな船が飛び込んできた。
 
「へぇ!サヴォーナからもクルーズ船が出るんだ!」
「そう、ジェノヴァだけじゃないんだぜ。従兄が前にこの会社のクルーズ船で働いていたんだ。それで、同僚だったペルー人女性と結婚したんだよ。オレもクルーズ船で働くことを考えたこともあったんだけどね……」
 
クルーズ船からやや離れた港には、小さな漁船やセールボートなどもたくさん停泊している。その先に、巨大で古そうな石造りの建造物が目に入った。
 
「あれは何?お城っぽいねぇ!」
「あれは、プリアマールの要塞(Fortezza del Priamar)。16世紀半ばぐらいのものかな。今は中に考古学博物館が入っているよ。学校の社会科見学で行ったなぁ。夏には、オープンエアのイベント会場になったりしてるんだ」
「なんだかカッコイイなぁ!映画なんかが撮れそうじゃない?」
 
城好きの僕は、日本国内の旅行でも城があると訪れるスポットとしてマークするのだけれど、ほぼ知識がない場所で思いがけずそういう建造物を見られて、ワクワクしている。
 
港の周辺には飲食店が集まっていたり、ホテルがあったりと、賑わっている様子だ。ジェノヴァもそう言えばツーリストハーバーがあったなぁ、と思い出した。
 
「以前、まだ整備されていなかった頃は、危険だと言われていたらしいけれど、今は週末の夜なんかにみんなが集まるスポットになっていたりするんだ」
「うん、そんな感じがするよね」
「そうだ!面白いものを見せてやるよ」
 
そう言われて歩いて行くと、地面に石で作られたモザイクで亀が描かれていて、その甲羅部分に漢字が書かれていた。
 
「おお、どうしてこんなところに漢字が!?」
「やっぱりヒロは読めるんだ!なんて書いてある?」
「あれは“海”UMIでマーレ(mare)、これは“学”MANABUでインパラーレ(imparare)」
「あとで、紙に書いてよ。友だちや家族に自慢する!」
「ははは、いいよ」
 
いつも自分がニコロから教えてもらってばかりなので、こんな風に僕の方の文化を教えてあげられる機会があると、なんだか嬉しい。ニコロはホテルスクールで、英語以外にもスペイン語やフランス語、ドイツ語なども勉強したとのことで、僕がイタリア語の説明で理解できないでいると、なるべく簡単な英語で教えてくれる配慮があった。
 
「今夜は、ここでの夕食ではなくて、旧市街の老舗のトラットリアに予約を入れてあるんだ」
「おっ、楽しみ!いよいよファリナータだね!それをしっかり食べて行かないと、店のみんなに怒られちゃうもんね」
 
僕たちはまた来た道筋を戻って行く。その店は目抜き通りを脇に入った小路にあり、狭い間口だった。『VINO E FARINATA(ヴィーノ・エ・ファリナータ)』ワインとファリナータ、まさにファリナータの店らしい店名だ。メニューをひとつひとつ見て、写真も撮る。僕たち料理人にとっては、まずそこからも勉強だ。
 
「まずは、ファリナータでしょ。2種類ね。何か海のものも食べたい?」
「うん、いつも肉か野菜が多いからね……」
「Fritto misto di pesce(フリット・ミスト・ディ・ペッシェ)、魚のミックスフリットは?ピエモンテ料理のフリット・ミストって言うと、肉や内臓系、サルシッチャ(イタリアンソーセージ)、アマレット(アーモンドプードルの焼き菓子)やリンゴのフリットだけど、日本人は魚介のフリットとか好きでしょ?」
「そうだね。魚嫌いの人でなければ、だいたい惹かれそうだよね。あっ、Cozze(コッツェ)!ムール貝かぁ。さすが海沿いの町のメニューだね。これも頼もうよ」
 
ひとつのプレートに一緒に載せられて出てきた2種類のファリナータは、黄色っぽい方がヒヨコマメので、白っぽい方がサヴォーナのファリナータ・ビアンカ、小麦粉のだ。見た目はとても素朴。それもそのはず。材料は、粉・水・オリーブオイル・塩というシンプルさ。ストリートフードだそうだ。外側はよく焼けていてカリカリと香ばしく、中はややしっとり。よいスナックだ。けっこうビールが進みそう。魚のフリット・ミストには、カタクチイワシ・エビ・ヤリイカ・その他小魚類。塩が軽く振ってありレモンを絞って食べる。久しぶりの新鮮な魚介類の風味に舌も胃も喜ぶ。ムール貝は、イタリアンパセリとオリーブオイルに、ニンニクで調理。そこに塩・胡椒を適量。これもレモンを絞って食べる。ビールにもワインにも合うんだな。サヴォーナのクラフトビールをメニューで見て、それも試してみた。
 
「明日の昼なんだけど、料理人をしている叔母が自宅でCappon magroカッポン・マグロを作ってくれるって言うだけど」
「えっ、カッポン・マグロって、魚介や野菜を積み重ねていく料理だよね?けっこう豪華なんじゃない?いいのかな?いや、それはすごく嬉しいよ!」
「だろ?そう言うと思った」
 
イタリア人って、親切な人は本当に家族や親戚のように受け入れてくれるとは聞いてはいたけれど、ニコロに出逢っていなかったら、そんな機会は未だになかったかもしれない。
食後、少し散歩がてら旧市街を歩いた後、ニコロは僕をB&Bまで送ってくれた。翌朝も車で迎えに来てくれるということで、時間を確認しておひらきに。
 
翌朝、階下の朝食ルームに降りると、半分ぐらいのテーブルが埋まっていた。イタリア語も聞こえてきたが、その他の外国語も聞こえてくる。ビュッフェのセルフサービスだけど、なるべくこの地方のものを口にしたいなぁ……と思いながら、まずは物色。パンとフォカッチャならば、やっぱりリグーリア名物のフォカッチャでしょ。プレーンなタイプとオニオンのものを皿に取る。飲み物は、コーヒーも飲むけれど、冷たいものも……うん?これは?と、カラフェに入った黒っぽい液体を眺めていると、「それは、キノットジュースよ。コーラに似た色だけど、味は似て非なるもの。キノットは柑橘類なの。サヴォーナの名物なのよ。よかったら、ぜひ試してみてね」と、スタッフの女性が教えてくれた。へぇ、サヴォーナの名物ドリンク。それは、飲んでおこう。僕は好奇心にまかせてグラスにそのジュースを注いだ。イタリアの朝食では、みんなよく甘いものを食べるので、ビスコッティやトルタなどの焼き菓子も並んでいる。花の形のビスコッティが大小並んでいたので、それを数枚取ってみた。札にカネストレッリと記されている。コーラに似た見た目のキノットジュースは、最初に甘さが感じられたと思うと、後からややほろ苦い風味がくる。たしかにコーラの風味とは異なる。何だろう?この風味、何かに似ている……あっ、カンパリ?ああ、あの独特の風味に似ているかも。カンパリもイタリアのリキュールで、柑橘系の香りに薬草の苦みが特徴的だ。これは、好き嫌いが分かれるタイプだな。
 
ニコロは10時過ぎに迎えに来た。
僕がまだこちらに来る前に、「天候にもよるけど、念のために水着を持ってきないよ」と言われ、それに従って持参していた。今日は天気も良く、海日和だ。
「昨夜はよく眠れた?」「うん、おかげさまで。ビールがよく効いたみたいだよ」
僕らは、ニコロの車で出発する。建物が立ち並ぶ街の中心を抜け、しばらくすると真っすぐ伸びる大きな通りへ。そして、海水浴施設などが所々に並ぶ海沿いの通りを進んでいく。途中の工場エリアと思われる地域を超え、建物の高さが低めの住宅が並ぶ一角に到着。ニコロはインターフォンを鳴らし、応答があると「チャオ、おばさん!」と呼びかけた。すると、玄関の扉が開き、小柄で肩につかないぐらいの金髪の女性が現れる。
 
「チャオ!よく来たわね!」
「ヒロ、彼女はジャンナおばさん。おばさん、彼が日本人のヒロだよ」
「はじめまして、ヒロです。今日はご招待をどうもありがとうございます」
 
僕らは挨拶を済ませると、促されるままに、家の中に入った。玄関を入ると、すぐ右側にはカウンターキッチンがあり、同じ部屋の左側には食卓がある。木製の食器戸棚に、カラフルな装飾。ぱっと目に入るものだけでも、家の主の好みが反映されているのが伺われる。
 
「今、パンドルチェ・ジェノヴェーゼを作っていたの」
そう言うと、テーブルの上の焼く前の生地を僕に見せてくれた。
「リグーリアのお菓子よ。わたしは、クリスマスの時季になると、たくさん作って親戚や友だちに配るのだけど、今日はあなたに味見してもらおうと思ってね」
「わぁ、嬉しいです。パンドルチェ・ジェノヴェーゼってはじめてです」
「あなたがいるのは、ピエモンテだもんね。ここでは、リグーリアのものを食べて行ってよ」
彼女はオーブンに生地を入れると、キッチンにある下準備が済んだ魚介や野菜を示して、
「あなたたちが来てから、カッポン・マグロの盛り付けをしようと思っていたの」
と言った。たしかに、どのように盛り付けていくのかには興味がある。定番的な盛り付けはあるのだろうけれど、作り手のセンスによって見た目が変わりそうな料理だ。彼女は大きなプレートに、まずは野菜や水分を吸収させたパンなどを並べ、その上に魚介、グリーンのソース、そして、それを何度か繰り返して積んでいった。
「はい、完成」
「うわぁ、すごい……写真、撮らせてもらってもいいですか?」
「もちろんよ!」
見た目はやっぱり豪華だ。魚介も野菜も目で見ただけでも、新鮮な素材を使用しているのがよく分かる。僕は、カメラと携帯の両方で色々な角度から何枚も撮った。
「さあ、食べましょうよ」
手早くテーブルを用意してくれたジャンナさんに促され、席に着く。この料理で気になっていたグリーンのソースがかかっているところを口に含む。
「あっ、これ、サルサ・ヴェルデ……ですか?」
「そう、ピエモンテのサルサ・ヴェルデにだいたい似ているわよね」
時々、酸味が強いソースを出すところもあるのだけど、ジャンナさんの配合は、酸味とまろやかさの組み合わせが丁度良くて、尖ったところもなければ、物足りないというところもない。
「このソース、すごく美味しいです!完璧な味じゃないですか!これだけで、パンがたくさん食べられそうですよ。レシピ、ぜひ教えてもらえませんか?」
「あら、そう?わたし、けっこう目分量なんだけど……」
そう言いながらも、彼女はメモ帳を取り出して、ひとつひとつ材料と分量を思い出しつつ書き出してくれた。食事をしながら話しているうちに、先程オーブンに入れたパンドルチェが焼けてきたようで、お菓子の甘い香りが漂ってくる。パンドルチェの見た目はとても素朴だ。カットしたものを見ると、レーズンに松の実、他には何か果実が入っている。ひと口食べると、生地にバターの風味が感じられ、見た目以上にリッチな味わい。
「これも美味しいですねぇ」
「気に入った?そりゃあ、けっこう数を作ってきたからね。日本人のあなたの口にも合ってよかったわ。これはけっこう日持ちもするし、残りはお土産に持って帰ってね」
その後、ジャンナさんが包んでくれたパンドルチェをいただき、僕とニコロは彼女の家をあとにした。黄色とオレンジ色のワンピースに身を包んだ彼女は、太陽のような笑顔で僕らが道を曲がるまで手を振って見送ってくれた。
 
車に乗ると、ニコロはもう少し先のビーチのある場所まで走らせた。
 
「おぉ、綺麗だねぇ!」
車を降りて目にするターコイズブルーの海の色に、思わず感嘆の声をあげてしまう。9月の初めだけれど、天候が良いこともあって、ビーチにはそれなりに海水浴を楽しむ人たちが見られる。
「ベルジェッジって言うんだ、ここ。集落は上の方にあるんだけど、地元の人には、わりと人気があるビーチだよ」
早速、無料海水浴場の浜に降りると、ニコロが持参した大きなタオルを砂の上に敷き、荷物を置く。ふたりとも水着を下に身に着けているので、そのまま服を脱いでバッグに入れる。素肌にあたる光はジリジリと真夏の日光ほどの強さではなく、また、爽やかな風がとても心地よい。
「海に入るか?あっ、ヒロって泳げる?」
「うん、一応ね。子どもの頃、スイミングスクールに通っていたよ」
「そうか……それなら大丈夫そうだな。いや、この辺の海ってけっこうすぐ深めになるんだよ。足がつかないとダメだったら言えよ」
「あ、そうなんだ。たぶん大丈夫だと思うけど……それほど遠くに行かなければ」
水の温度に身体を慣らしながら、先を行くニコロの日に焼けた背を前に、少しずつ深い方へと歩いて進んでいく。水深が首下ぐらいのところまで来ると、「泳ぐか?」とニコロが尋ねるので、僕はうなずき、クロールで泳ぎ出す彼に続いた。左右前後に行ったり来たりした後、立ち泳ぎに変え、その場でしばらくとりとめのない話をする。海の水は適度に温かい。地中海で泳ぐのはこれが初めてだけれど、日本の海水と比べると少し塩辛い。海の水の味はどこでも同じではないのだということに今さら気が付いた。
浜に戻り、日にあたって身体を乾かすと、塩が肌に付いたままの状態が嫌いではないというニコロはそのまま服を着た。僕は、B&Bに戻ったらシャワーを浴びればいいかと思い、足だけ真水で洗う。
そして、ビーチを後にして一路サヴォーナへと戻る。B&Bまで僕を送り届けると、ニコロは夕食の待ち合わせ時間まで、一旦、家に帰った。僕はシャワーを済ませ、少しベッドに横になる。海で泳いだり日にあたったりして、思っていた以上に疲れたようだ。でも、それは楽しさの後の心地よい疲労感。本格的に眠り込まないように注意しつつ、重い瞼を閉じまどろんだ。
はっと気が付いて、時計を見ると、約束の時間の30分前。顔を洗って目を覚まし、階下のロビーで待つことにする。
 
ニコロが連れて行ってくれた今夜の店は、港付近に立っているサヴォーナのシンボルというトレッタ(小さい塔)の近くにあった。入口の頭上に『FARINATA(ファリナータ)』のネオンが掲げられている。昨夜のファリナータは、ヒヨコマメのも小麦粉のも、何もトッピングのないプレーンなタイプだったので、今夜はそれぞれピッツァのようにトッピングがあるものを選択。ヒヨコマメの方は、サルシッチャ(イタリアンソーセージ)が載っているものと西リグーリアのタジャスカオリーブとネギが載っているものを。小麦粉のファリナータ・ビアンカの方は、トマトとオニオンのものをオーダー。昨夜の店に比べると、生地自体はやや厚めで、外側はこんがり焼けているものの内部はやわらかめだ。小麦粉の方は、ピッツァと生地が似ているのかと思いきや、そうでもない。もう少し水分を含んで、もちもち感がある。
 
「ヒヨコマメのファリナータとファリナータ・ビアンカ、ヒロはどっちが好き?」
「そうだなぁ……なかなか難しいね。ヒヨコマメの方の香ばしい生地も好きだし、小麦粉の方のもっちりした食感も捨て難いね。もし僕が日本で出すとしたら、やっぱり両方出したいと思うけど」
「そうか。日本に帰ったら、ぜひ、ファリナータも作って広めてくれよな!そうしたら、オレもヒロを訪ねて、日本に行こうかな」
「それ、いいね!ぜひ来てよ」
 
僕はまだイタリアに残る予定だけれど、その先、日本に帰国した後も長く続いてほしいニコロとの友情に思いをはせながら、今はファリナータに舌鼓を打った。
 

#創作大賞2023

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