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1対1かグループか?こちらの人かあちらの人か?

日本にいた時、どちらかと言えば、グループでの付き合いよりも、1対1での交流の方を好んでいた。

と言うのも、グループの人数にもよるが、どうしてもひとりひとりとじっくりと話せる濃度が下がるから。

もちろん、複数の人たちと一度に会ったり話したりするのが楽しいという場合もある。また、みんなと一緒だったら顔を合わせるのもいとわないけれど、ふたりきりだったどうかなぁ……という相手(同性・異性に関わらず)もいるだろうから、グループでの交流をはなから却下するわけではない。

わりと人数が多い集まりの場合、それが整然とした会議や集会でもなければ、みんなで一緒に話すというわけでもない。近くにいる人だったり、特に親しい人や気になる人、より共通のことに興味がある人同士でと、たいてい小さいグループに分かれて話すようになる。

そういう場面で、自分があぶれるのもなんだかなぁというところだが、誰かがあぶれているのを目にするのも居たたまれないのだ。
後者の場合、それに気が付くのなら、その人を仲間に入れてあげたり、声をかけてあげたりすればよいではないか……と思われるかもしれないが、そう簡単なことではない。

特に、最近の状況だと、そういう場面でぽつんとしている人は、たいがい携帯電話を取り出して、メッセージを送り出したり、何かを夢中で見ていて忙しいんですよーっというオーラを精一杯放つのだもの。
目が合ったら話しかけようかと思っても、目は合わないのだ。

よく、ふたりで出かけている時に、しきりに携帯電話を見ているのはNGだとは聞くけれど(家族の場合は、関係にあまえて、その点に気を配らないことは多々あることだが)、それは複数の集まりでも同様なところはあると思われる。
みんなで顔を合わせているいるにもかかわらず、それぞれが携帯電話に触れて、その場にいる人の存在を気にしないというシュールさ……
つまり、その場が退屈ということか。
その場にいる人よりも、携帯電話の向こう側にいる人とのやり取りの方が魅力的か、と。

携帯電話の向こう側にいる人たちとのやり取りが楽しくて魅力的なことは重々承知している。
わたし自身もnoteやブログを通してお付き合いがある方々や、LINEやメールで繋がっている家族や友人たちがいるから。

ただ、実際の集まりに身を置いている時には、よほどの緊急か、みんながみんな携帯電話にかかりきりになっているかでもなければ、あまり見ないようにはしている。

たとえ、集まりで自分がぽつんとしてしまった時でも。(ただし、時間を確認するのは有り)




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