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ありがとうの入学から、1年経って、ありがとう

僕にとっての一年ではなくて、僕たち家族にとっての一年になったこと、それはとても価値があることだったと思うし、ひとつの目標として叶えられたことでもあったのかも知れません。

昨年の6月に書いた投稿でした。

そのタイトルの通り、とある大学に入学したことをお知らせする記事でした。とある・・なんて勿体ぶっていますが、その名も「クルミド大学」。僕の好きな・・というか、僕たち家族の始まりの場所である「クルミドコーヒー」というカフェが始めた学びの場です。

一年経って、ふと気がつくと「卒業」の季節を迎えていたのです。

大学とは言うものの、誰かに教えを請うものではなく、対話によって理解を深めたり、視野を広げていくような印象でした。大きな主題はあるにせよ、社会の様子や自分たちの暮らしのこと、そして課題としてあらわれている問題の本質的な情報など、堅苦しく説明するには簡単な「政治」と言う、半ば開かずの扉を、どうやったらみんなでこじ開けることができるだろうか、と考えたような時間でした。

とはいえ、ディベートや討論のような激しい理論の応酬はほとんどなくて、基本的には、対話と実地を見てみるといったような体験から、個人が感想を持ち寄っている会でした。

政治を身近にしたい・・これが、僕たちが参加した学部の基本的な狙いでもありました。この感覚、社会に疑問を持っているからこそ生まれてくる発想だという思いがあります。何も疑問がなければ、政治ってなんでこうなの?!とは思わないでしょう。

でも、僕たちは知っています。多くの人が、生きづらさと言う言葉を「それは私だ」と思っていることを。常にマジョリティに居続ける人はいないと言うことを。


今、僕が仕事で関わっていることに視点を移すと、ダイバーシティ、インクルーシブと言う、昨今の社会情勢を賑わす言葉が公園にも使われています。日本語にするとすれば、ダイバーシティは多様性、インクルーシブは包括的。

様々な存在に目を向けて、より価値の高い公園となるように考え、設計し、そして使ってもらうような仕組みが考えられているのです。それは遊具であったり、施設であったり、レイアウトであったり、様々な場面で問われているような気がします。

それは、公共が担うことの意義でもあります。公園という、ある意味では現実世界と隔絶されているような空間でさえも、現実的に物事を考えていく必要があるし、それをしなければいけない社会になっていることは、多くの人にとって優しい公園になるのかも知れません。


”大学”では、一年の中で、2週間に一度位のペースでカレッジと呼ばれていた「顔を合わせる時間」がありました。対話を重ねて、運営方法を変えてみたり、新しいことを挑戦したりして、個人で興味関心のあるものを深めていくような営みでした。

家族で参加することは、周囲への申し訳なさもありましたが、僕たち夫婦にとっての大きな挑戦でもありました。家族で参加していなかったら、カレッジとは別の日に行われた「くるみわり」や「インターカレッジ」には出られなかったのではないかと思います。

家族がそれぞれ成長していくことも実感するのですが、家族で一つの活動のために時間を割くことは、子には我慢を強いる場面も増えたと思う反面で、大人たちと出会うことで、親だけでない「自分たちの味方」を感じ取れたのではないかと、期待しています。

ながい1年を、概括的に書くことはとても難しいので、この辺にしておきますが、とにかく感謝を伝えたいのと、これからも続けて行きたいものもあるなぁなんて思っているのです。

もっと何か完成品のようなものが手元にあれば、その実感は強いのかも知れませんが、そうでなくても毎回のカレッジで過ごした時間は、家族の時間としてそれぞれ大切だったと思います。

クルミド大学で出会った全ての方に、感謝を込めて。


#学び #家族 #一年 #ありがとう #社会 #政治 #暮らし

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