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ジャズやるべ

田舎の女子高生が、たまたま出会った音楽ジャズにのめり込み、ビッグバンドを組んで演奏する映画といえば「スイングガールズ」です。

劇中、ビッグバンドで演奏されている数々の名曲が流れますが、観客にとってよく知られていたのは、「イン・ザ・ムード」だったのではないでしょうか。年上の人には「カニたべたーい!」で始まるレストランのCMのBGMだと話すと、すぐピンとくる、あのメロディ。

映画が公開されたのは、2004年。その頃、僕は大学3年生でした。

奇しくも、ビッグバンドのサークルに所属していた僕は、その曲を何度も吹いていました。練習で吹き、本番でも吹きます。学生の頃、本番の機会は結構あって、コンサートのようにお客さんを集めるものだけでなく、企業のパーティーでのBGM演奏やステージのパフォーマンスとして呼ばれたりしたものです。

僕は、そこでトランペットを吹いていました。中学生の部活で吹奏楽部に入って、トランペットと出会い、その音の華やかさと温かさに支えられていました。

夏が始まる頃には、新宿駅そばの京王デパートの屋上で開かれるビアガーデンで演奏したこともありました。薔薇が見頃の時期には、調布にある深大寺植物園でも演奏しました。クリスマスには赤坂のレストランでBGM演奏なんてのもありました。

華やかな上行系のフレーズで始まる「イン・ザ・ムード」は、そのタイトルのように、雰囲気をガラッと変えるような曲調でした。多くの人が“これ聞いたことある!”と気がつく曲でもあるので、ステージの始まりに演奏することがほとんどでした。

ビッグバンドをご存知ない方が、初めて演奏を間近で聴かれたとき、その音の大きさに驚かれることがあります。演奏者側からは、その表情がしっかりと見えて、ちょっと嬉しくなるものです。ビッグバンドの名前の由来は音量のこととも言われています。歌の伴奏としてのバンドだけではなく、楽器の音を楽しめる、そんなバンド編成なのです。

数年前、家族で出かけた先でビッグバンドを聴いた時、あまりの音量に、驚いた我が子が会場から猛然と脱出し、面白いというよりもかわいそうになってしまった記憶もあります。


さて「イン・ザ・ムード」には、トランペットにソロがあり、そのメロディーはたいてい本家のグレンミラー楽団の演奏を真似るのですが、ジャズは比較的創作の要素が重視されているジャンルなので、ソロの部分は変えても良いことになっています。むしろそれが演奏者の腕の見せどころだったりします。

そんなこともあって、何度も何度も吹く曲だから、少し変化がほしいと思ったりして、本家とは違うソロを吹いている演奏を聞いて、音を抜き出して吹いたこともありました。ただ、盛り上がるのは、大抵バンドの仲間たちだけでしたが(笑)。

年間を通じて様々な場所で演奏し、夏にはコンテストにも出場したり、年度末にはその年の演奏依頼の謝礼を貯めてリサイタルを開き、家族や友達に演奏を聞いてもらう機会もありました。

どの大学にも同じようなバンドがあって、大きな大学だと二つもバンドがあることもあり、またそれぞれのバンドの色もさまざまでした。部活動と違い、通っている大学ではなく、好きな”バンド”を選んで参加している学生も多くいました。

音楽を通じて、大学を越えた友人を作ることができたのは、サークルならではかも知れません。中高の部活とは違う大学生のサークル活動は自由度が高く、卒業しても繋がりが強い活動になっていたのでした。


僕は、大学に入った当初、そのサークルに入る気は殆どありませんでした。

中高の吹奏楽部が結構忙しかった経験もあり、もういいか、なんて思っていたのです。

しかし、講義の間の教室移動のために構内を歩いていたら、高校の吹奏楽部時代の先輩に出会ったのです。高校は大学の附属校だったので、大学にその先輩がいることは知っていましたし、高校の延長で挨拶をする程度・・だと思っていたのですが、先輩は「まだ来ないの?」と僕に聞いたのです。

先輩は、そのサークルでトランペットを吹いていました。


昨年の夏、サークルの同期たちと4年ぶりに集まって飲みました。感染症もあって、いつのまにか、前回から4年も経っていたこと、さらには卒業から18年が経つこと、数えてみて驚くほど、あっという間のことでした。

サークルの共通の思い出は、演奏面であったり、合宿でのこと、リサイタルのこと、そのほか膨大な練習時間の時のことなど・・大学生のたった4年間とはいえ、さまざまなことがありました。

僕たちの代は、途中で学内の練習場が無くなるといったハプニングもあって、都内のスタジオを転々としたり、楽器を持ちながら就活をした経験があったのです。


その日集まったメンバーは、当たり前ですが、みんなちゃんと歳をとって、40代を迎えていました。

一般的には、髪が薄くなったり、お腹が出てきたり、年齢を重ねると起こる変化は、このくらいの年齢でもよくあることです。でも、不思議とみんな変わっていなかったのです。顔つきは、パパやママと呼ばれるような穏やかさを備えつつ、体型にほとんど変化がないのです。着ている服ですら、学生自体の頃から変わっていないような・・。それは言い過ぎですが(笑)

当時のことを思い出しては笑い合うのと同じように、いまの自分のこと、家族のことや仕事のこと、思いがけず話が盛り上がりました。盛り上がりすぎて、気がついたら夜の10時を回っていました。

ふだんなら、子どものごはんに、お風呂、そして寝かしつけ・・ふぅぅ、ようやく寝てくれた・・と、ひと息つくような時刻です。そんなことを思い出しつつ、送り出してくれた妻にも感謝しながら。

大学生ともなれば、部活、サークル、地域の楽団などなど、楽器を吹く場所はいくらでもあるかも知れません。

でも、譜面通りではなく自分たちで考えて曲を解釈し、吹き方を研究して、音形を揃えて更にカッコいい音楽を目指したり、学生とはいえ企業からお金をもらって演奏ができることは、とても珍しい経験だったのではないかと思うのです。

学業の合間に、楽器を吹いて、音楽を作っていた時間は、わずかでした。でも、いまも楽器を演奏している人もいるし、楽器を教える仕事をしている人もいる僕たちの代。

先輩から教えてもらったり、CDで初めて聴いたアーティストもたくさんいるし、初めは緊張したライブハウスなども、大人になったからこそ楽しめる場所になりました。

サークルを通じて、大学を超えて仲良くなった友人とは、就職活動を一緒にしたり、卒業してからも旅行に行ったりしました。大学4年生の頃、新しい楽器を買おうか迷っていた僕の背中を押してくれたのも、他大の友人でした。

当時の僕は、みんなからイジられつつ、ツッコミをしているキャラでした。社会人になるとそういう機会はほとんどなく(当たり前)、冷静で大人しい人になっていましたが、会えば当時に戻るってこういうことか、と思えるくらいに自然にツッコミを返せていたのです。

酔っ払った友人に、結構キツい言葉を放ってしまっても、笑ってくれる安心感のおかげで、また言ってしまったりして(笑)

何年経っても集まれる仲間でいてくれること、そんな明るい未来があったなんて、大学生だった当時は全く想像もしていませんでした。時間を経ても、会えるだけで楽しくて嬉しくなります。

飲み会で撮った写真をSNSに投稿してみると、同席した同期たちだけでなく、多くの先輩や後輩たちからもリアクションがありました。タイムラインで写真を観て、知っている後輩や先輩の顔を見かけると学生時代に戻る、とコメントをくれた律儀な後輩もいました。

僕は、ひと付き合いが得意ではありません。

だからこそ、時間が経っても会いたいと思える、またそう言ってくれる仲間に恵まれたことは、サークル活動の大きな成果だったと思います。

就活の時、今では”ガクチカ”なんて言われている質問も、思えば、常にサークル活動のことを思い浮かべて答えていました。(ガクチカ:学生の時に力を入れて取り組んでいたこと)

また集まろうね!

と別れたけれど、すぐには集まれないのもわかっているのです。みんなそれぞれ忙しい。だからこそ、またいつかのタイミングで、ふんわりと集まれるのが僕たちなのかなと思ったりもしています。

部活動で「音楽」を選んだ時から、きっと長い付き合いになるだろうと思ってはいました。それでも、楽器を演奏しなくなってからも、こうしてつながっている人たちがいることは想像していませんでした。

楽器も違う、好きなアーティストも違うけれど、共通の思い出がある。それだけで、心強い友人としていてくれていること、飲み会から帰宅して、ふと気がついたのでした。

あの大学4年間の思い出を、たった5時間で消化なんてできないけれど、わずか5時間あれば18年前にすぐに戻れること、そして当時のように笑い合えること、みんなに感謝したい、そんな思いを伝えるためにこうして筆を執りました。



先輩と出会ったあの日、「じゃあ、行きます」と言った僕には、想像もしていなかった未来があったのです。


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