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記憶と力 #創作大賞感想

エッセイには不思議な力がある。

知らない人のことを読んでいるはずなのに、気がつけば身近な人を重ねてみたり、そうそう、なんて頷いてしまっていることがある。

いや、それお前だけだろ、と言われそうだが。

とりわけ、家族の話を読んだとしたら、必然的に登場人物にそれぞれ当てはめてしまう。筆者の母親は、いつのまにか自分の母親に置き換わってしまうように。

日野さんの投稿、随分前にタイトルと冒頭をみていたけれど、絶対に人前で読めないやつだ・・と思って、ついつい時間が経ってしまった。で、読んでみた。

読み始めたら、やっぱり自分の祖父の顔が浮かんだ。

父方も母方も、どちらの祖父も、もういない。

どちらの祖父もよく働く人だった。特に父方の祖父は、仕事の休みは正月の元日だけで、ほとんど毎日働きに出ていた。

年齢だって若いわけではなく、僕が物心ついた頃には、もともとの仕事は引退していたはずだ。僕が知っているのは、その街の駅前のデパートの清掃員として働いていた(らしい)祖父だった。

夏休みでも、冬休みでも、遊びに行っても会えるのは常に夜になってから。帰宅して寝るまでの僅かな時間にしか顔を合わせることがなかった。朝も早くて、僕が起きたらもういない。

清掃員あるあるなのかもしれないが、ゴミじゃないけど廃棄する商品を持ち帰ってくれることが結構あった。例えば、お菓子などだ。

ただ、センスが独特なのか、やはり廃棄品だからか、こども心にハマるものは少なかった。

祖父はとても口数が少なく、僕との会話もほとんどしたことがなかった。褒められたことも、怒られたこともない。ただ、ある正月だけは、よく話してくれたことがあった。

元日からお節とお刺身が並び、お雑煮そしてお汁粉と、二大餅料理が登場するのは、祖父がお汁粉が好きだったからだと、その時に知った。

祖父は、戦時中にお汁粉を食べすぎて腹痛を起こし、出撃(出発だったかもしれない)を免れたらしいのだ。話してくれた当時でこそ“免れた”と言っていたが、戦時であればそれは逃げのようなものであり、恥ずかしいことでもあったかもしれない。

しかし、それがあったからこそ、祖父は生きて帰ってきた。それだけでも奇跡のようなことだ。

そんな祖父が亡くなったのは、年が暮れようとしていた時期だった。まだ実家に暮らしていた僕は、父が慌てて出かけるのを見た。高速道路を使っても、およそ8時間かかる道のり。

翌朝、祖父がこの世を去ったことを知った。

当時の僕は、社会人2年目で、なかなかハードな職場にいた。まともな休日は週1日あるかないか。年末年始も作業が予定されていた。

葬儀が遠方であったことや、日取りが少し遅くなったことで、年末年始に数日間の休みを取ることができた。

こんなことがないと休めないのかと思ったりもしたが、それは祖父からの労いのようにも感じられ、笑顔の遺影に感謝を伝えた。


延々と自分のことを書いてしまったが、日野さんの投稿を読んでいても感じたのは、孫だからこその距離感。

子どもから大人へと成長する僕たちと、年老いていく祖父母、その距離感が広がってしまうのは、きっとどこの家庭も同じかもしれない。

言った本人は覚えていないかも知れないが、何度もかけてくれた言葉の力は、信じられるし、支えになると思う。

やはり、エッセイは不思議な力がある。

祖父が生きていたら、と思うと寂しさが込み上げてくる。

でも、読み終えてみれば、目の前の知らない人のはずなのに、僕にも言葉をかけてくれたような、温かくてホッとするような気持ちになる。



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