春が来たら、完璧なんだ【創作】
春の風が、俺の髪を揺らした。
つい、うとうとして目を閉じていたらしい。さっきまで数学だったはずなのに、気がつけば現国の授業中だった。
先生の声で目を覚ます。
立っているのは、えーと、加藤、いや後藤、ちがった安藤だ。こちらを睨むように見ている安藤は、どうやらカフカの作品名を答えさせたいらしい。
立ち上がって、息を吸う。ちょっとした緊張感が、教室に漂った。
「・・寝て、起き、寝て、起き。・・みじめな人生。」
どっと笑い声が降ってきた。うまい!囃し立てる奴もいた。
昼寝を咎めるつもりだった安藤の目は、スローモーションで見開かれ、口も“あんぐり”と音が出そうなくらいに開いていた。
”自由か!”
いつもツッコミを欠かさない、森本が声をあげた。森本のいるほうを向いて言った。
「わたしは自由です。だから、道に迷ったのです。」
森本もまた、目を見開いた。
”名言かよ・・・”
あんぐりと開いていたはずの安藤の口が、アングリー気味に言葉を吐いた。
安藤を、森本を、驚かせたのは、カフカの作品名ではなく、彼の名言を口にしたからだ。
フランツ・カフカ、多くの人に読まれるような作家ではなさそうだが、哲学にも傾倒していた作品には、その思考に触れるような名言が隠れている。
なめんなよ。俺だって、カフカが好きなんだ。
学校からの帰り道、本屋に行きたくて途中の駅で降りてみた。安藤の顔を思い出すたび、にやけそうになる。
本屋で買いたかった本は見つけられたけれど、2冊はやっぱり痛い。1冊を買い、もう1冊を諦めた。本を読む場所を探して駅前を歩くと、通りの奥にカフェを見つけた。
・・・クルメッド?コーヒー?
どこからかコーヒーの香りが漂ってくる。入り口からは店内の様子がほとんどわからなかった。・・だめだ、きっと高い、高すぎるコーヒーしかない。俺の所持金じゃ入れない。
そばにあった黒板に目を落とすと、俺は声を上げてしまった。
・・マジか。
・・くるみが主役のパフェなんて、この世にあったのか・・
大好物だと言うと、驚かれることが当たり前になったけど、俺はくるみが好きだ。
クリスマスに靴下いっぱいのくるみをもらうくらい、トップスのチョコケーキのくるみだけを取り出して食べるくらい、正月のお節はくるみ小女子だけ食べ続けるくらい、くるみが好きだ。
我慢できずにドアを開けた。ダンディな店員さんが目を瞬かせながら、いらっしゃませ、と言ってくれた。・・あの、2,000円しか、ないんですけど・・と心の中で言い訳をしながら、案内された地下室のような場所に降りる。
四角だったり丸だったりするテーブルもないし、長い直線的なカウンターも、いつまでも座っていることができそうな座席もない。大きな木の板のテーブルを囲む席は、リスの家族の一員になってしまったような錯覚を覚えた。
壁に置いてあった、ハガキのようなものが気になって視線をやると、店員さんが少し嬉しそうに言った。
「あ、あれはお手紙コーヒーです。誰かにコーヒーを贈ってもらう手紙です。ご自分宛のものがあれば、コーヒーを飲みながら、ぜひ返事を書いてください。」
・・・?・・・コーヒーをおくってもらう?・・それって?
「自分宛の手紙を受け取った人は、コーヒーが飲めるんです。お代は、もう送り主さんからいただいています」
へー・・と呟きながら立ち上がり、壁に近づいて俺宛の手紙を探す。(必死で)
”初めてクルミドコーヒーに来た、あなたへ”
あった・・のか?クルミドって、この店の名前?・・確認したくて、手に取ると、店員さんは少し驚いて、でも納得したような表情になって言ってくれた。
「そうだったんですね。ようこそ、クルミドコーヒーへ。」
小さなパフェと、お手紙コーヒーで深煎りコーヒーをお願いし、ふっと息をつく。机の上には、キノコのようなオブジェと、くるみが入ったカゴがあった。カゴには、「おひとつどうぞ」の文字が。くるみ・・もらっていいんだ。
反対側に座っていた客が、慣れた感じでカゴからくるみを取って、オブジェにセットしてバリバリッと音を立てた。あれは、くるみを割る道具だったのだ。
何も入っていなかった小皿に殻を入れ、ぽりぽりと実をかじる。やっぱり、この場所ではリスのような気分になってくる。ようやく、本を買ったことを思い出した。読み始めると、少し暗いこの場所がとても集中できる場所だとわかった。
おまたせしました
パフェとコーヒーが来た。小さな、と言っていたけれど、いくつもの素材が入っていて、手が込んでいた。何より、くるみの匂いがたまらない(これを言うと、ほとんどの人が首を傾げる)。
きっと国産のくるみだろう。苦味がなく、しっとりと甘い。くるみが脇役に甘んじているパフェを仕方なく食べていたのが、懐かしい。
歯応えも、香りも、くるみを食べてるって感じだ。後味が残らないコーヒーも、意外と合う。
「パフェは今日は終わってしまったんです」
申し訳なさそうな店員さんの声に、数量限定だったことを知る。あっぶねぇ・・。
値段にびびって小さいパフェにしてしまったのを後悔しつつ、この店との出会いに感謝した。
ありがとう、クルミドコーヒー、ありがとう、くるみ。
ありがとう、くるみ完璧。
口の中に残った胡桃の余韻を楽しみながら、少しだけページを繰って、席を立つ。
紙じゃない、おもちゃみたいな伝票を持って。
地下室から上がると、店内にも黒板があった。
この店にも、カフカが、いた。
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