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noteと僕の因果関係

いつもお世話になっている、なりすぎているnoteが、10年を迎えたらしい。おめでとうございます。

結構新しいサービスだよね・・なんて思っていたけれど、10年も続いていることに少しばかり驚いた。ひとつの会社が10年続くこと、それはどんな業種であってもすごいことだと思う。続けること自体が難しい時代にあって、変化し進化しながら、求められているのだから。

因果関係、という言葉がある。

わかりやすい意味としては、原因と結果、だろうか。あの原因があったからこそ、この結果につながっている、という意味合いで使われる。

もしnoteに出会っていなければ、僕は毎日書くとか、毎日書いたものを誰かに読んでもらうことなど出来なかっただろう。

もちろん、10年間続けているわけではないものの、漠然と”書くのが好きだなぁ”と思っていた、その答えとして4年近くも書き続けることができているのだから。

noteの書きやすさは、フォントのことだけでなく、更新するたびにポジティブなメッセージをもらえたり、たまに編集部にピックアップしてもらって沢山読んでもらえることへの期待感も含めてのことだと思っている。

書いたものをシェアして欲しい、書いたことを実践してほしい、有料投稿を買って欲しい、仲間が欲しい、スキを沢山集めたい・・noteで創作をしている人には、さまざまな理由がある。

ただ、やはり続けていく大きな原動力になっているのは、読者の存在である。しかも読み手も書き手であり、職業や家庭環境など、その立場がわかる(理解できる)もの同士がつながっていくことも多いだろう。

いつか誰かに話したい、なんて思っていたことを、ここではしっかりと時間をかけて書くことができる。笑い話は、なかなか上手く書けないけれど、僕のこれまで経験してきたことが、誰かに笑ってもらえたり、役立ててもらえたら嬉しいことだ。

細々と続けているおかげか、フォローしてくださる方が結構いる。僕の話を聞いてくれる人が、何人もいるのだ。

あの記事で繋がったんだった、とか、このコメント嬉しかったな・・とか、顔が見えない関係なのに暖かな交流をさせてもらっているように感じている。いつも、ありがとうございます。

子どもの成長を一緒に喜んでくれる、”親戚みたいな人たち”が沢山いて、とても心強いし、毎日を頑張る親としても同世代で世間話をしているような心境になる。いい意味で、よその家庭が垣間見られることも、心の平穏の大切な要因なのだと思う。


noteがなければ、noteに出会っていなければ、僕は「もつにこみ」ではなかった。



#note 10周年 #おめでとう #御礼



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