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音が、消えた

通勤に使っている徒歩で20分程度の道のりの中には、季節を感じる花木があったり、どんな人が暮らしているのかと思うくらいのゴミが積まれる集積所があったりする。

人々の暮らしの中を通って、働く場所に向かうというのは、ちょっと意味合いは違うが「職住近接」的で、仕事の意味がよく見えてくるような気がする。

そんな通勤路で、とある建物の窓から賑やかに音が漏れてくる。朝も、夜も、ラジオかテレビか、必ずNHKらしき音声が漏れ出ている。

季節も問わない。特に夏は網戸になって開け放っているのか、盛大に聞こえてくる。もはや放送を通行人とシェアするような雰囲気である。

朝は、たいてい語学番組で、「アニョハセヨー」とか「ザオシャンハオ」などと聞こえてくる。夜は、僕の帰宅時間が日々違うので、あまり印象がないが、ニュースが流れているような、穏やかだが緊張感のあるテンションの声だった。

残業で遅くなって、22時や23時近くに通っても、何かの番組の音声がしている。

部屋に人がいないのではないかと、夕方、開いた窓をチラと覗いたことがあった。中には老人がいた。印象的な横顔、痩せた肩とこけた頬に、太い黒縁の眼鏡をかけていた。

そうなって気がついたのは、周囲の家からは、生活音のようなものは、ほんの少しも出ていなかったことだ。

おそらく、僕が住んでいる街でも圧倒的に後者のほうが多いだろう。音が聞こえてこないのだ。それでいいし、僕たち家族も窓を開け放ってテレビを観るようなことはできない。

きっとその窓から漏れる音は、毎日毎日続いている。僕がこの職場になってから2年以上経つけれど、近くを通れば必ず音がしているのだ。

いったいどのくらい続いているのだろう。

帰り道を急ぐ住民たちは、何を思うのだろうか。慣れる、にしてもこの音量は、何時まで漏れ続けているのか。

音がする窓の隣の建物はアパートのようだったが、いつの間にか2階の窓のカーテンが無くなっていた。引っ越したのであろう。

そんな通勤路、最近になって、はたと気がついた。

あの窓から、音がしない。

朝も夜も、何も漏れてこないのだ。通りかかる人たちは、特に何も気にならないのか、どの人もいつもと同じような表情で通り過ぎる。

部屋の住人は、どこに行ってしまったのだろう。

広い部屋ではなさそうだし、日々を過ごしている場所が他にあるような雰囲気もなかった。体調を崩したのだろうか、どこかに引っ越したのだろうか。

騒々しい音だ、と思っていたけれど、いざ無くなってしまうと、その静寂はかなり不安になる。

その答えは、おそらくいつまで経っても分からない。

きっとどこかで元気にテレビを観ているんじゃないだろうか。

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