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教育格差のうしろにあるものを考える

先日、「通信制高校ナビ」というサイトでこんな記事を書かせて頂きました。

教育格差の背景についてお伝えする内容で、この課題を研究されている広島経済大学教養教育部の前馬優策准教授に取材をさせていただきました。

この記事を書きたいと思ったのは、教育格差、あるいは学力格差について話すときに、やはりどうしてもまだまだ「そんなの本人がやる気になればどうとでも状況を変えられる」「家にお金がないからといって勉強をやらない本人、教育をおろそかにする親が悪い」と、自己責任や親の責任ととらえて「だから他人が助けることではない」としてしまう人が多いからです。
そう見てしまう気持ちもわかるけど、でもこの格差を放っておいてもよいことはないし、よくよく見ればいろんな面で不平等があるよ、そんなことを一人でも多くの人に知っておいてほしいと私は思っています。

教育格差については今さまざまな本が出ていますが、多くの研究者たちが家庭の経済状況や父母それぞれの学歴によって、子どもの学歴や収入にも差が出てくるというデータを公表しています。
私も7年前に無料塾をスタートするにあたって、「もともと同じ学力をもっていても、塾に通えるかどうかだけで受験などで差が出てしまうのはへんだ」「学校の勉強でわからないところが出てきても塾でカバーしてもらえる子と、そうでない子に差がつく。これは資本主義が教育にまで浸食したことによる悪い副作用だ」「教育にお金のあるなしが関係してくるのはずるい!」などと考えていました。無料塾を立ち上げたときには、私も「経済格差によって生まれる教育格差をなんとかしなければ」という1点を考えていた気がします。

ただ、無料塾をやっていると徐々にそれだけではないことに気がついていきます。一人親世帯で経済状況が同じくらいでも、大きく学力や本人の意欲、蓄積されている知識や興味範囲が違って、その背景にちょっと目を向けると、「家庭の文化」が大きく関係しているのがわかるのです。親御さんが大学を出ていてもいなくても、その方の「考え方」のようなものに子どもの力が左右されているのを感じるんです。経済状況よりももっと子どもの学力に影響してくるのが、冒頭にご紹介した記事でも語られている「文化資本」です。

「たとえばクラシックコンサートや博物館、美術館に行くといった経験のほか、宿題を出されたらきちんとやるのが当たり前、という感覚を親が持っているかどうかなど、親の価値観も文化資本のひとつです。そうした家庭環境の差が教育格差に結びつき、その結果として、学力格差が生まれてきます」

記事では、経済資本と文化資本の両面が経済格差に関わるとお伝えしています。ただし、経済資本と文化資本も互いにそれぞれ影響し合っていきます。
時間さえあればご本人も興味があって子どもをいろいろなところに連れて行きたいというお母さんも、一人で家計を支え、進学のためにお金を貯めなくてはと頑張っている中で、そういう時間がとれなかったり、そのような経済的余裕がなかったりする。子どもが私立高校を第一志望にしていたことで、どうしても通わせてあげたいと1年365日お仕事のシフトを入れてダブルワークしていたお母さんもいらっしゃいました。
また、母子家庭の場合は、子どもにアウトドアを体験してもらいたくても、お母さん一人では対応しきれないということもあります。

どこかに行く、といった体験的なものだけでなく、家庭の中での親同士での小さな会話からも、子どもたちはさまざまな物事を吸収していきます。たとえばテレビを見ながら「そうそう、富山県のあそこ行ってみたいよね〜」「三重県のあれ美味しかったね」などと話しているだけでも、横にいる子どもは少しずつ知識を蓄えていきます。東京の外の世界に思いを巡らせるという経験ができます。ニュースを見ながら真面目に「これはおかしい」という議論をするとかでももちろんいいのですが、バラエティ番組などから膨らんでいく話の中にも、たくさんの大人の「知識」が詰まっているものです。
でも、一人親で忙しく働いているご家庭では、こうした大人同士の会話を子どもは聞くことができません。

親の生き方・考え方についても、無料塾ではかなり子どもの進路に関わっていることが実感できます。
「高校を出たら働くのが当たり前だ」と言われている子は、学力を上げることに対してあまりモチベーションを高く持てません。進学校に行ったとて、その後就職するのであれば他の子から浮いてしまうし、進学校よりも偏差値が低く就職率が高い高校に行ったほうが、高校就職には有利な面もあるからです。
「勉強よりも家族で楽しく過ごすことのほうが大事」というご家庭だと、受験シーズンでも普通に土日におでかけイベントがあって塾を休ませるということが起こります。その考え方はそれで別にいいのですが、多くの受験生を抱える家庭が受験生の勉強を優先してスケジュールを調整している中で、受験という面では不利になってしまうということを、あまり重くとらえない家庭もあるのです。
無料塾に通う生徒たちの中でも、「高校に行けるだろうか」という心配のある子たちは、このようなケースであることがほとんどです。
「本人にやる気があればいくらでも変えられる」と多くの人は言いますが、「やる気」って、その結果に価値があると信じているから生まれるものですよね。でも、その価値を知らない、教えられていない、教えられていても親御さん自身が実は実感していないという場合には、「やる気」を生み出すことさえ容易ではないのです。そこにむやみに「やる気出せ」とガンガン言われて責められれば、嫌になるのも当然ですね。

ちなみに、「将来お金を稼いでもらうために何が何でも進学校、有名校へ」という考え方が強すぎても、子どもの心がすり減らされていくというケースも見ています。偏差値=お金という考え方が強すぎると、その子は自分の価値が偏差値で決まるように感じてしまいます。ずば抜けてできればまだしも、思うように点数がとれないと「自分はだめだ」「恥ずかしい」と自己否定感を強めていきます。ずば抜けていても、この考え方が強いと他の子に対して優しさが持てず、孤立していきます。結果、どこかで躓いたときにかなりこんがらがった状況ができあがります。ここから抜け出すにも、かなり時間がかかります。

そんなこと言ったって、親は変えられないし、そういう親のところに生まれたんだからしかたないじゃないか……。
そんなふうに言う人もいます。
でも本当にそうなのかな?
人間は、社会の中で人と関わりながら育っていきます。私も、大学生になって東京に出てきて、部活やアルバイトをしながらたくさんの生きる知恵を学んだし、社会人になってからは会社の人たちに多くのことを教わり、力をつけてきました。今だってたくさんの先輩方、仕事先の方々、同業者たちに支えられて仕事を続けていられるし、ひとつひとつ階段を上っている感覚です。みんなそうじゃないですか? 親だけでなく、いろんな人に支えられて成長しているはずです。
なのに、子どもだけ「親だけが育てればいい」というのは変です。

記事では、子どもが貧困を断ち切り、幸せに生きるために伸ばしておくべき大切な力が「非認知能力」だと紹介しています。

「それは、勉強をしてテストでいい点をとるという、いわゆる学力を向上させていい大学に行けばいいという意味ではなく、忍耐力、コミュニケーション力、勤勉性といった非認知能力を向上させることが重要だということです。
アメリカなどの研究でも、学校のテストの点などの認知能力ではなく、自己肯定感も含めた非認知能力を伸ばすことが人生の成功につながっているという結果が出ています。この非認知能力は中学生くらいからでも鍛えて伸ばすことができ、貧困を断ち切ることにつながっていく可能性があります」

この非認知能力は、社会でさまざまな人と関わることで伸ばすことができるものです。子どもたちには、そういう場所が必要なのだと思います。
無料塾もそのひとつだと思いますし、町内のコミュニティとか、大人も子どももたくさんコミュニケーションをとれる居場所とか、いろんな方法があると思いますが……。
私たち大人もそうであるように、出会った人、関わった人によって人の意識は変わり、知識も増えます。子どもたちにそういう機会を与えることもまた、大人の役割ではないかと私は考えています。

とりわけ、コロナで人との出会いが少なくなっている今。さらに意識して、子どもたちとたくさんの大人が「関わる」ことが、少しでも格差を広げない・固定化させないことにつながっていくのではないでしょうか。
(格差が広がったり固定化したら何が悪いの?という人は記事の最後のほうを読んでください)

こんなご時世です。どうか一人でも多くの人が、やさしい社会をつくるために何が必要か考えてくださいますように……。

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