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退職代行を使うということは、自分の可能性や誰かの何かを踏みにじっているのかもしれない

退職代行、流行っていますね。

私自身の主張としては、退職代行を使うということは、自分の説得したり説明したりする能力の欠如や、人の感情を理解できないということをあからさまに宣言しているようなものなので、できれば緊急脱出装置以外の使い方はやめたほうが良いのではないか…という主張です。

例えば明らかな契約違反やパワハラ、法にに触れることをやらされているとか、辞める意思を伝えているのに辞めさせてもらえないとか、命も危ぶまれるような心神喪失などの非常事態であれば使うことにものすごく意義があります。

でも、そうではない状態でこれを使うというのはやめたほうがいいんじゃないかということです。法律的に問題はないようですが、問題はそれを使う人本人の話です。

退職代行で退職するということは、一方的に問答無用で関係性を破綻させる行為です。話し合いの余地なく、もう組織や上司と話す余地がないと一方的な通告です。本人ではなく、無機質な他人からそれを聞いたときの上司はどんな気持ち、感情になるでしょうか。

採用にも時間的、あるいは金銭的なコストがかかっています。教育にも多くの労力や時間が割かれています。本人とのコミュニケーションをとることができずに、組織としての大きなコストが無駄になります。従業員からフィードバックを受けることができないことも、組織にとっては大きな損失です。

どんな手段を使ってでも、自分がこの職場を退職できればOK…なのかもしれません。でも、大事なことを直接伝えられなかったり、上司の気持ちや組織のコストを慮れない人は、おそらくどの職場も仕事もうまくいかないのではないかと推察します。

また、多様性が容認されつつあるので、人それぞれ別の価値観を持ち、それに基づいて行動し、表出していくことが普通のことになります。おのずと、自分と違う価値観を持ち、それを表出させた行動を取っている人間が隣人になります。

人間は違う価値観に触れると、居心地の悪さや違和感を感じます。でも、その違和感を感じつつ、共存していかなければなりません。

多様性が許されていくということは、「違和感を感じるから、他の価値観を排除する。でも、自分の価値観は守ってほしい」ということは許されないのです。

それは、組織相手も同じです。

退職代行の話でいえば、組織と合わないからと言って、一方的な排除(直接話し合わない信頼関係を破綻させる行為)が許される価値観が容認されるのであれば、逆に昭和に横行した「もう来なくていい」というパワハラや、辞めさせたい従業員の解雇を支援する解雇代行みたいことを行う企業が出てきてもおかしくないと思いますし、やられても文句は言えないのではないでしょうか。

「撃っていいのは、撃たれる覚悟がある奴だけ」なのです。

まあ難しいのは、人によって「今回の退職に退職代行を使うというのは緊急脱出なんだ!」と思う閾値が違うという点です。他人から見れば、大したことがない理由にみえても、本人にとってみれば、重大な事情であることは往々にしてあります。つまり、本人の持って生まれた、あるいは幼い頃に両親から受けた教育により形成された、それもまた価値観、すなわちモラルや倫理観によるのだと思います。

退職代行を使う、という価値観の存在や、それを執行することも守られなければなりません。でも、副作用がない特効薬はありません。それを使うということは誰かの気持ちや価値観、自分の可能性をも踏みにじっているかもしれないということは、覚悟しておいたほうが良さそうです。

ということで、退職代行を使う予定のない方々は、しっかり自分の持ち場で粛々とやっていきましょう。

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