IQが高くても偉いわけじゃないという話

このところ、私のTwitterのTLが少し騒がしかったのを受けて、いわゆるIQについて考えてきたことを一度アウトプットしておこうと思いました。

●私のIQについて
幼稚園生の時に調べて147だったと聞いた記憶があるのだけれど、それ以来調べたことはありませんでした。

高校生の時に一度MENSAを受けてみようかな?と考えたこともあったのだけれど、当時は寮で仕送り生活をしていたので、受験料も年会費も少々負担が大きく実行は見送りました。

大人の発達障害について色々と言われだしたのは割と最近になってから、という印象はあるのだけれど、個人的には昔から診断がないだけで何かしらの問題(特に過集中など)を持っている自覚はありました。

そんなわけで、昨年WAIS-IVを受けてみました。
きっかけをくれたのはVTuberであるところの高井茅乃ちゃん。

経緯の詳細は省くものの、頼めば普通に医療機関で知能検査(心理検査)を受けさせて貰えることを教えてもらったのでした。

面倒な診察などがなく、検査のみを受け付けて貰えるところを調べた結果、対応の速さなども鑑みてメンタル・キャリア・ライドというところにお願いすることにしました。
きちんとレポートを作成してもらえて、怪しげな治療を勧めてこなくて、結果は郵送ですが、望めばオプションで詳細の説明もしてもらえます。

費用は税込み27500円でした。
これが安いか高いかは人によると思います。

後述しますが、少なくとも私にとっては安い買い物だったと感じます。

結果は公表している通り全検査IQが141。
4項目は 言語理解(VCI) 130/知覚推理(PRI) 130/動作記憶(WMI) 137/処理速度(PSI) 137。

特に問題はないし、何なら珍しいほど均等に発達しているとのこと。

結果を聞いて困りました。障害でなければ治せない……。

でも、私は日常的に困難を感じているのです。
約束した日付や時間を覚えておくこと、人狼ゲームの投票順を覚えること、自分とかかわりのない人の名前を覚えることが苦手だし、あると思った場所に目的のものが見当たらなかった時の探索能力がとても低い。

そこで、与えられた結果を元にじっくり考えてみることにしました。

WAISには下位検査と呼ばれる内訳があり、私は基本検査10個と補助検査2個の合計で12項目の検査を行いました。
各項目について1点から19点で評価され、分野ごとにそれを合成してIQを算出するという仕組みのようです。

結果を見ると1項目、群を抜いて低い10点の項目がありました。
試験の際に、試験内容に踏み込んだ話をしないと約束したのでぼかして書くと、それによって示唆されるのは「視覚的な情報の細部に注意を向けること」が他の能力に比べてやや低いということでした。

これには合点がいきます。

先日、私が参加しているYouTubeチャンネルの「○○する芸能ちゃん」で、『コラボ相手のまちがい探し』という企画の動画が公開されたのですが、それを観てもらえれば一目瞭然。まさに違和感は覚えているものの、細部に目が向かないために結果が全然伴わない状態だったのです。

次に低かった項目は12点で、こちらは「注意力」の問題のようでした。
自分では「こんなもんでええやろ」と思って「できました」と宣言していたのに、実際には間違っていたためにずいぶんと無駄に時間が掛かった問題があったのを覚えています。
その項目では、間違えた問題以外にも間違えた時とまったく同じアプローチで臨んでいました。
たまたま他の問題では間違わずに済んでいたものの、間違えるパターンがあったことによって、アバウトな処理方法の穴が浮き彫りになったと言えるでしょう。

(詳細を伏せているせいで、WAISを受けたことのない人には雲をつかむような話になり申し訳ないのですが、試験の効果を担保するためなので、許してください)

●WAIS-IVを受けてわかったこと

私は詳細を詰めないことによって処理速度を上げている。

「わかったこと」と書いてはいますが、そもそもこれはかなり意識的にやっていることです。
ゆえに「やろうとしてできていたこと」と言うべきかもしれません。

ちょっと脱線します。
この「詳細を詰めない」というやり方を私は勝手に「量子論的アプローチ」と呼んでいます。
(量子論に関しては素人なので、専門家からしたら頓珍漢な名かもしれないのですが、私が手法として整理するためだけの便宜上の名前なので不自由はありませんので見逃してください。正真正銘の中学二年生によるネーミングですが、結構気に入っています)

要するに、個々の事象の確率を収束させなくとも、ある程度の範囲に絞りこんで重ねることで、複雑な事象が絡み合った状況であっても、その結果に関してある程度の確度を持って一定範囲に絞り込める、というそこそこ乱暴ながら経験的にはかなり有効なアプローチです。ベースは中学二年生の思想ですが、アップデートを重ねて今に至ります。

これと「キュビスム的アプローチ」(多視点から物事を捉えて圧縮した考察を行うことによって理解を深めるアプローチ)は、私が発明した語の中では特にお気に入りの2つです。

閑話休題。

タイトルの回収に進みましょう。

私の観測によれば、冒頭で述べたTLでの騒動は、そこそこIQの高い人が他の人を見下す言動をしたり、自分よりもさらにIQの高い人に向けて攻撃的な言葉を向けたりしたことにより生じたもの、でした。

おそらくその人は「IQが高い人=選ばれし者」と捉えているのでしょう。
その是非を論じるのは本稿の目的ではありませんが、私自身は「特殊性をもってなんらかの特権を得られると考えるのは誤りである」と考えています。

なぜなら、IQの高さは必然的に平均からの乖離を意味するからです。
そして、ヒトは本能的に異質なものに拒否感を覚える生き物です。
私たちは、日常的に多数の小さな悲劇を生む乖離を抱えているのです。
(この文章はできるだけ平易な言葉で書いているつもりですが、抽象度の高い部分に関してはうまく伝わらない部分も多いだろうと思います。同時に、届けたい相手にはこれで伝わると思って書いています)

高いIQを持つ人たちは、粒度や影響度の違いはあれど「理解されない苦しみ」と「理解できない哀しみ」を知っていると思います。
それを解消するために、能動的に理解しよう/されようとするタイプの人もいれば、理解不能となる原因を自分の外に求める人もいるでしょう。
そもそも解消しようとしない人もいるかもしれません。

自分は「外れ値」なのだという自覚を持ち、より生きやすい世界にするための合理的解決法として、自分の行動や言動を変容させるのが最適解である、というのが私の結論ですが、生きやすさを求めない人もいるでしょう。

知能検査に際して苦手なテスト項目があったことは上述した通りですが、おそらくそれは提示されている条件から私が導く可能性の範囲が、制作者の想定を超えて広がってしまうからだと思っています。
「常識的」に考えれば除外可能な事象であっても、私の常識では除外しきれないケースがあるのだと思います。

私にとって、日程が決まるまでに複数の候補日が浮上したイベントごとの約束は最終的にどう定まったかを記憶しづらいものです。
意図的に投票順を早めている/遅くしている人が含まれている可能性を考慮しはじめると、人狼ゲームの投票順に意味を見出すことが難しくなり、そこは他者に任せて自分の思考の整理などのより制御しやすい部分に多くのリソースを割くべきだと考えてしまいます。
探し物は観測するまであり得る場所のすべてに存在する可能性を持っていることを理解しているにも関わらず、総当たりではなく過去の観測の結果から高頻度で出現する場所を重点的に捜索する傾向があります。

親しい人たちはおそらく私を「賢いポンコツ」だと思っているでしょう。
実際に似たような表現をされたことが幾度もあります。
(若いころはこのポンコツ具合をなるべく見せずにやっていこうとしていたのですが、年齢を重ねたことにより、むしろ不得手な部分を伝達した方が全体的な幸福度が上がることを理解するようになりました)

●結論
長くなりましたが、このエントリーで伝えたかったことを整理すると以下の通りです。

IQが120を超える人に出会ったら、「凄い」ではなく「大変だろうな」と思うのが正しいんじゃないかな。

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