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優秀な兄より目立てる場所がアフリカだった


19歳の夏、大学のアフリカサークルで出会った友人とタンザニアを訪れていました。期間は2週間。韓国、台湾、グアム、ハワイ、フィリピンへの渡航経験がありましたが、複数の町をフリーで旅するのはこの時が初めてのことでした。

小学生の時から大好きだけど、なんとなく怖そうだったアフリカ大陸。出国までに沢山のトラブルが発生し、行くまでが特に不安だったのを覚えています。

しかし、弟のような存在に会う夢が叶い、人の優しさに触れて、もっとアフリカを知りたいと新しい夢に出会う旅になりました。19歳のアフリカ旅 ぜひご覧ください。

怖いのに行く理由

アフリカは好きだけど、なんとなく怖さもありました。どうしてそこまでするのか?そのわけは10歳の時に夢を見つけ、その存在で生きて来れたことへの自分なりの恩返しでした。

わたしには兄がいます。成績優秀、スポーツもそれなりにできて、妹には意地悪なのになぜかモテる。そんな兄です。勉強もスポーツも人並み以下だったわたしは、兄と勝手に比べて「どうすれば兄よりも目立てるのか」を無意識に考えていたのだと思います。

10歳の時、マザーテレサに憧れて、マザーがアジアなら自分はアフリカだ。将来はアフリカで貧しいこどもたちを救おう。と決めました。その夢を友人や先生にに話すと「すごいね」と褒められました。兄よりも注目されて、人の役にも立てる。少し不純な動機からこの夢が始まりました。

10歳前後のわたし

中学のとき何かしたい。と思っていると、チャイルドスポンサーという団体に出会います。毎月4500円支援する代わりに、自分の「チャイルド」が割り当てられ、文通や定期的に送られてくる写真やイラストで成長を見守れるというもの。

お小遣いなくていいからこれがしたい。と家族に話すと「名義はももでしたらいい。高校までは私たちで出す。大学に行ってバイトを始めたらそこから自分で出しな」と言ってくれました。

こうして決まったわたしのチャイルドが、タンザニアに住む当時5歳の男の子 オマリでした。

オマリに出会って文通を始めてから、自分の居場所が増えた気がしました。部活や人間関係で精神的に辛い時も、「オマリには必要とされてるから大丈夫」と乗り越えてこれました。

いつからかサッカーボールをあげたい。恩返しがしたい。と思うようになり、大学2年生 19歳の夏タンザニアに会いに行くことにしました。

アフリカ準備 三大トラブル

しかし、タンザニアに着くまでが大変でした。。

①家族の反対

「将来はアフリカ行くから」と言い続けていたものの、いざ動きはじめると両親が大反対。「女の子だけでフリーは危ない」と言われ、現地で日本人旅行者がトラブルに巻き込まれた記事を読み漁り、いかに危険かを聞かされました。

対策
トラブルを想定した対策を考え、資料にまとめてプレゼンテーション。いかに本気かを見せ、毎日生存報告をすることを条件に許してもらえました。(許可が出ーへんくても行くつもりやった)

②友人家族の反対

わたしの時と同じように大反対。ここで反対されて1人になったら振り出しに戻る。。と焦りました。同じ資料を送っても納得してもらえず、「一緒に行く子に会いたい」と言われ、ご両親のところへ行って1時間以上とことん話し合いました。

対策
マニアックなアフリカの質問にすべて答えて信頼を得たのか、条件付きで許可が出ました。出された条件は「友人のお父さんも同行すること」。いろんな村行きますよ?自由に回るけどそれでも良ければ大丈夫です。と伝え、なんとかクリア。

③まさかの関空機能不全

出国の1週間前、台風で空港が水没。泉佐野市内から続く連絡橋が事故で崩壊、復旧未定で全ての飛行機が欠航に。飛行機代は全額返金されるものの、再び家族に「行くのはやめときっていうアドバイスじゃないの?」と反対されます。

対策
泣き落とし。どれだけアフリカとオマリの存在に救われてきたかを語り、東京発の飛行機を取り直し、強行突破しました。

数々の困難を乗り越えて挑んだタンザニア旅行。そんな国で出会った人のおかげでアフリカによりハマることになります。

初アフリカ!タンザニアでの2週間

疑ってごめん。優しさに触れた思い出の街

ダルエスサラームで1泊したあと、バスで7時間かけてタンガという海沿いの小さな街へ。

チェックインのあと、市内散策のためタクシーを呼んで欲しいとフロントに依頼。すると30代の男性ホテルマンが来て「自分も市内に行きたいから便乗してもいいか」と。別にいいやと思い、快諾して一緒に市内に行くと、なんとガイドが始まりました。

服をつくりたいと伝えていたため、「この店は高い」「あの店は種類が多い」など言い始め、とある店で素敵な生地に出会うも現地の人は英語が話せず。ホテルマンがすべてスワヒリ語に通訳してくれました。

半日一緒にいて、追加料金を請求されるのでは、、とかなり心配で、勇気を出して聞いてみると驚きの返答が。

「きみたちは女の子2人だけで(友人父は仕事で途中合流)スワヒリ語もわからないし、防犯と通訳も兼ねて自分がいたほうがいいと思った。充分な宿泊費をもらってるから追加料金なんていらないよ」

翌日、彼は友人も気付いていなかった忘れ物を取りにいってくれて、まじか。いい人すぎやろ。と思っていると彼だけではありませんでした。上司が仕事を抜けて私たちの高速バスの予約をしてくれたのです。

ホテルだけではなく、町全体が明るく歓迎ムードでタンガが大好きになり、彼を疑った自分が恥ずかしくなりました。

案内してくれた彼

オマリとの対面

ついにやってきたオマリとの対面の日。この村へ来たのは彼に会うため、そして自分の支援金が村にどう役立っているかを知るためでした。

現地の団体職員の車で揺れること1時間以上、彼の家に案内されると、大きな木の下にたくさんの人が集まっていました。

奥の方からひとり、真っ赤なTシャツを着た見覚えある顔が。5歳の時から文通を始めた彼は、やっとあえた時には11歳になっていました。

スワヒリ語が話せないわたしと、英語が話せない彼。通訳を交えてぎこちない会話を重ねました。緊張してるのかなと思いながら、サッカーボールを渡すと一気に笑顔になりました。

7年経ってはじめまして

その後、彼の友人も集まってきて、みんなでサッカーを楽しみました。言葉がわからなくても、一緒にボールを蹴るともう友達になれる。スポーツのすごさを感じた時間でした。

旅の後半は国立公園でサファリツアーを楽しんだり、ザンジバルというリゾート島でのんびり過ごしたり。不安で何もかもわからない旅も、タンガで人の優しさに触れ、夢が叶ったことで新しい夢に出会いました。

夢を叶えて出会った新しい夢

もっといろんな国をみたい。いろんなアフリカがみたい。

その夢が原動力となり、2年間の社会人生活を経て6月からアメリカで働きます。休暇で南米を訪れ、1−2年働いて帰国後は会社員時代の貯金で世界をまわろうと思っています。

なんのために旅に行くのか、どうしてアフリカを回りたいのか。タンザニア準備で感じた達成感と、現地で感じた人の温かさをもっと感じたいからだと思います。

これがいままでの、そしてこれからのわたしです。


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