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コラム「ただ石を積む『石花』・・・それは意識と無意識の境目が成し得る技だった」

石花(ロックバランシング)とは?
 悠久の時を経た天然自然の『石』を立てる
 その美しくも儚い佇まいを『花』に見立てた創作

ご縁あって、創始者 石花ちとくさんのアトリエで石花(ロックバランシング)を体験しました。

その作品たちの重力を逆らう姿には「!」と声が出ない。全く見たことがないバランスで存在するので信じられないんです。

接着剤も何も使いません。
ただ、石を積んだだけなんです。
なのに常識を超えた状態が当たり前にそこにありました。
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調和
石のバランス?自然のバランス?
いやいや、創作者が望んだ調和です。
(note.ちとくの石花(ロックバランシング)より)
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体験をした今なら、この言葉がストンと府に落ちます。
ちとくさんは繰り返し言います。

「まずね、体験してもらいたいんですよ」

そう言われても、石を積む手は半信半疑。
こんなこと、私に出来るのか?

ちとくさんにインタビューのように話をしながら、手を動かす。
どうしたら、こんな風に積めるの?

「手ってね、スゴイんですよ。
 石のどこが平らかな、とか、こことここの面なら合うかな、とか感じとるんです」

「疑っているとね、絶対に積めません。
 トライ&エラーを重ねていると積みあがる接点が手から想像出来てくるんです」

石はどの面も尖っていて、積まれた姿なんて全く想像出来ない!
立ててはフラッとまたフラッと繰り返すばかり。
これが普通でしょ!だって尖っているんだもの。
あら?でも待って。もしかしてこれが私の『疑い』かしら?!

何で、ちとくさんはこれを人に伝えようとしたんですか?

「私ひとりの体験では勿体ない!って思ったんです。
 ピタッと来た時のこの快感を伝えたいって思ったんですよ」

そこから会話は子ども達の話へ
最近は石を全く持ったことのない子も現れたそう。

そんな話を聞くと私の微生物への想いがムクムクと湧き上がった。

あぁ、みんな樹や土に触れないだけじゃなく、石にも触れないなんて!
3歳までに腸内フローラ形成は決まってしまうのだから、沢山微生物に
触れる機会を作らないと!!!
手を消毒ばかりしている場合じゃないんですよ!

・・・って、えっ?あれ?石が立った!!!

微生物への想いが募る傍らで、手がトライ&エラーを重ねていました。
確かに頭の中にも「ズルッ」というのを繰り返しながら、それが治まる
様子があった気がする。

だから、エイッて手を放したのだから。

石は安定して立っていました。
表題の画像は私が立てた石の様子です。

集中力って意識を手に集中させて、敏感に感じることのように思っていました。
ところがそれをしようとすると余計な力が入る。
ちとくさん、もしかしてむしろ違うこと考えていた方が成功しますか?

「そうなんです!黙ってやっているとむしろダメなんです。」

これはもしかして、意識と無意識の間?
何なんだ、この感覚は?!

思い返してみると、立ったと感じた時には石を凝視していない。
意識は石の接点が広くて平らな場所になり、安定していくのを感じ取っていたのを覚えている。

「凝視」は触感を鈍らすのかもしれない。この意識と無意識の間にあるような感覚は体験しないと分からない。

ロックバランシング研究所『石花』          https://rockbalancing-lab.ishihana.jp/#portfolio-4

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