mominaina
東京の有名どころ(商店・料理屋・名産品・有名人など)の商標や印刷物に、百人一首の替え歌を添えた作品です。明治四十年(1907年)出版。
江戸時代後期の博物家、毛利梅園による魚図鑑です。魚の絵がとても美しく、眺めるだけで楽しめる作品です。こつこつ読み解いたものをマガジンに追加します。📖
江戸時代中期に出版された植物図鑑です。絵を描いたのは橘保國(たちばなやすくに)。精緻なスケッチがとても美しい作品です。全五巻五冊。
江戸時代の浮世絵師、歌川豊国三代(歌川国貞)が描く歴史上の女性たち。優雅で美しく、ときに強く厳しく、悲しい運命も … その人生を読み解くシリーズです。
神代から鎌倉時代にかけて、様々な歴史上の人物のエピソードと人相を読み解くシリーズです。
大和名所図会 巻一 巻二 巻三 巻四 巻五 巻六 乾 巻六 坤 梅園魚品図正 (1) 鯉魚 (2) 鱮魚(たなご)/鮒(ふな)/海鱮(うみたなご)/はや (3) 鰈(かれい)/沙魚魚(だぼはぜ)/石伏魚(いしぶし) (4) 乾鯷魚(ごまめ)/鯷(ひしこいわし)/ほうぼう (5) 目高(めだか)/鰤(ぶり) (6) 鰮(いわし)/鯵(あじ)/石首魚(いしもち) (7) 鯔魚(ぼら)/鱵魚(さより) (8) 蝦虎魚(はぜ)/丹魚(あかうを) (9) 鯵屬(ひらあ
背美鯨 長さ九尋程有之。胴の廻りもをなじく拾五尋ほど有之。海上に間もなく浮み出、潮を吹上る時、海中より壱弐間は一筋と見へ、弐三間にては二つに分れ見へ申候。但、元壱つのうちにへだて有之。歯はなくして、毛のそきもの上㗁下㗁附き組合居申候。その毛、長さ八九尺ほど、数は三百六拾枚有之。是を鯨の髭と申ならはし候。此 魚油、弐斗入、七八百樽程有之。 ※ 「尋」は、両手を左右に伸ばしたときの、指先から指先までの長さを基準にした長さの単位で、江戸時代には一尋の長さは一定ではなく、四尺五寸
【元歌】 山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ もみぢなりけり ※ 「金」の読み「かけ」は、意味が読みとれず…。 ※ 「楼」の読み「たかどの」は、高殿。高い建物、楼閣。 ※ 「紅葉舘」は、明治十四年(1881年)に芝の楓山に開業した高級料亭。東京大空襲により焼失し、その跡地には東京タワーが建設されました。 参考:『明治女用文上(芝公園紅葉館遠望)』『東京名所案内:画入 乾 増補版』『改正東京案内』(国立国会図書館デジタルコレクション) 【元歌】
金魚 コガネウヲ 昔は日本に無之。元和年中、異域より初て渡す。今世、養飼する者多し。 ※ 「異域」は、外国のこと。 銀魚 シロカネウヲ 和キン 流キン 緋鮒 ヒブナ 苦鮒 ベニタナゴ アカタビラ 京 アカヒレ 鱮魚 シロザコ 『本草綱目』巻第四十四 鱮魚 シロザコ ボテ ザコ マサコ 四名共 彦根 クナゴ 伏見 ムシブバ タビラ タビラコ 三名共 京 『綱目』『釋名』 鰱魚 時珍曰、酒 美者 曰 □ 魚 美 者 曰 鱮 佃云 好群行 相
寛文二年五月一日(1662年6月16日)に近畿地方北部で起きた地震「寛文近江・若狭地震」の様子を記したものです。著者は仮名草子作者の浅井了意。地震発生直後から余震や避難先での様子など、京都市中の人々の姿が細かく記されています。〔全十章〕 五章では、修繕中の大仏殿での様子が伝えられています。 📖 五 大佛殿修造 并 日用のものうろたへし事 これをはじめとして、京中にありとあらゆる 土蔵ども、あるひはひらにくづれ、あるひはかはらおち、壁われて、ゆがみかたぶかずといふことな
牛尾魚 コチ 『臺湾府志』 牛尾魚 コチ 和俗、用 魥ノ字 。 『料理綱目』 鯃 コチ 俗説曰、コチの骨、咽喉に骾には抜がたしと云。コチの骨にも、不 限、諸魚の骨ののんどにたち、抜がたきには、縮砂、甘草、等分に末にして、綿のきれに 褁 含て、汁を呑む。痰に隨、而 抜出る。是 効あり。 ※ 「骾」の漢字は、食べた物の骨がのどにつっかえる、刺さるという意味。 ※ 「縮砂」は、ショウガ科の多年草。漢方薬に用いる生薬のひとつ。縮砂。 ※ 「甘草」は、マメ科の多年草。漢方薬に用
【元歌】 山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人めも草も かれぬと思へば ※ 「水天」について、昭和初期の『隠語辞典』に次のような説明があります。 「轉ぶ(転ぶ)」というのは、ここでは、体を売るという意味になります。 また、猫の絵は芸妓を表していると思われます。猫の皮を張った三味線を使うことから、芸妓(芸者)のことを「猫」と呼んだそうです。また、芸に拙くすぐに転ぶ者を「山猫」といったそうです。 参考:『隠語辞典(ねこ)(やまねこ)』(国立国会図書館デジタルコ
【元歌】 このたびは 幣も取りあへず 手向山 紅葉のにしき 神のまにまに ※ 「出板」は、出版。 ※ 「向島」は、四島かもしれません。ただ、いずれも文意が読み取れないので自信がありません。 ※ 「博文館」は、明治二十年(1887年)に設立された出版社。人気雑誌『太陽』『少年世界』『中学世界』『女学世界』などを刊行していました。 ※ 「編輯」は、編集。 【元歌】 名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人に知られで 来るよしもがな ※ 「雲右衛門」
寛文二年五月一日(1662年6月16日)に近畿地方北部で起きた地震「寛文近江・若狭地震」の様子を記したものです。著者は仮名草子作者の浅井了意。地震発生直後から余震や避難先での様子など、京都市中の人々の姿が細かく記されています。〔全十章〕 四章では、土蔵の下敷きになって亡くなった婦人の痛ましい様子を伝えています。 📖 四 室町にて女房の死せし事 ※ 「むかへとりて」は、迎え取りて。自分のもとに迎えとること。ここでは 妻に迎え入れて、という意味と思われます。 ※ 「たゞな
小苑草 宿根より春生ず。葉は、しをんより短く、よこへ少しひろく、初生、地に数莖出て、五六尺迄にのび立、花、しをんのごとくにて白し。又、小しをんと云草あり。花 極めて小りんにして白し。草立、葉とも、しをんのごとくにて、小草也。二尺ばかりのび立花なり。七八月はなさく。 ※ 「しをん」は、キク科シオン属の多年草。紫菀。 ※ 「小りん」は、小輪。花などの輪の小さなもののこと。 ※ 「草立」は、ここでは、草が生え始めるという意味と思われます。 桔梗 花数 多し。るりの 一重、る
石斑魚 アイナメ 『多識扁』 石斑魚 アイナメ 四十 シゝリ 佐渡 高魚 石礬魚 『延壽書』 鰷ナメ アイモドキ 築州 考曰、アイモドキ、有江湖与比別物也。 ※ 「築州」は、筑前国と筑後国。 梭魚 カマス 『和名抄』曰 鱮 ■ 鰱 魣 鮫魚 [■は魚+夋] カマス 総而、諸々の苗生、魚の小なる者を皆 雑魚と云。或、鰱魚、■ [■は魚+竹+昴] の屬也。四つ手網を以て之を取る。『本草』に 鱮魚をタナゴと訓ず。梭魚に非ず。 『閩書南産志』曰
寛文二年五月一日(1662年6月16日)に近畿地方北部で起きた地震「寛文近江・若狭地震」の様子を記したものです。著者は仮名草子作者の浅井了意。地震発生直後から余震や避難先での様子など、京都市中の人々の姿が細かく記されています。〔全十章〕 三章では、咄嗟にしがみついた石灯籠が倒れかかり亡くなった子どものことが伝えられています。 📖 三 下御霊にて子どもの死せし事 ※ 「朔日」は、ついたち。一日。 ※ 「下御霊」は、下御霊社(現在の下御霊神社)のこと。 ※ 「御神楽」は、
松魚 カツヲ 『東醫寶鑑』出 松魚 『■鑑』曰、性平味甘 無 毒。味 極 珍、肉肥 色 赤 而 鮮明、如 松節 。故 為 松魚 。生 東北海 云々。 [■は宝+貝] 『常陸国志』出 鰹魚 或曰、肥満魚。 ※ 「松節」は、マツ科マツ属のアブラマツ、バビショウ、アカマツなどの枝に生じる瘤状のもので、漢方薬として利用されるそうです。松節。 『古事記』及び『萬葉集』出 堅魚 『順和名抄』曰 鰹魚 加豆乎 『式文』用 堅魚 二字 『雜字簿』 鉛錘魚 カツ
※ 「津國」は、摂津国。 ※ 「蜑」は、海人。 ※ 「姉」の読み「いね」は、姉の女房詞。 ※ 「配処」は、流罪の地のこと。 ※ 「田井の畑」は、田井畑村。多井畑とも。 ※ 「支考」は、江戸時代中期の俳人、各務支考。 ◇ 松風は、平安時代を生きた女性です。妹の名を 村雨といいました。 もとは 讃岐国の塩飽某の娘であったのが、継母に憎まれて須磨にさまよいたどり着き、田井畑の村長のもとに身を寄せました。 🌊 ある日、汐汲みをしていた二人は、京から左遷され須磨に蟄居していた
【元歌】 侘びぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ ※ 「今はた」は、今将。今はもう、今となっては。 ※ 『東京名物百人一首』の著者(清水晴風)は、別の著書で飴売りと飴細工師を描いています。 また、飴細工の商売について、明治時代に出版された『実業の栞』に詳しく書かれているので興味があったら読んでみてください。 ⇒『実業の栞(飴細工)』👀 【元歌】 今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな ※
寛文二年五月一日(1662年6月16日)に近畿地方北部で起きた地震「寛文近江・若狭地震」の様子を記したものです。著者は仮名草子作者の浅井了意。地震発生直後から余震や避難先での様子など、京都市中の人々の姿が細かく記されています。〔全十章〕 二章では 町屋の様子が伝えられています。 📖 二 京中の町家 損ぜし事 ※ 「かた/\」は、方々。 ※ 「堂舎」は、大小の家々のこと。 ※ 「仏かく」は、仏閣。 ※ 「垂木」は、屋根の骨組みのひとつで、棟木から軒桁まで斜めに渡した木材