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言葉にならない何かを表現するということ

はじめまして。今年度木曜会に入会させていただきました黒部です。

今回は、活動内容を紹介したあと、小説について私が考えていることも少し述べさせていただこうかと思います。

まずは、最近の木曜会の活動について。

この夏休みの活動は、主に新人号完成にむけた改稿作業でした。

新人号というのは、今年度入会の新人たちの手になる会誌のことです。11月祭で販売されます。私を含め新人にとって、初めての会誌作成であり、とても気合いが入っております。乞うご期待です。

改稿作業とは、提出された作品を他の会員が読み、細かく感想や改善点を述べます。そこでの指摘を参考にしながら、書き手の会員は改稿を行います。
通常この過程が日をおいて2,3回繰り返され、最終原稿が出来上がってゆきます。

私は人生で初めての改稿作業でしたが、実に有意義なものになりました。会全体でひとつひとつの作品をより良いものに練り上げてゆこうという姿勢があったので、前向きに肩の力を抜いて発言することが出来ました。

また、自分の提出した作品に対し、鋭い指摘や緻密な読みをビシバシいただけたことは、作品作りの大変な刺激となりました。
読む側としても、会員ごとに異なる文学的背景や言語感覚が読み取れ、それぞれの個性を充分に楽しみながら読んでいました。
手前味噌になりますが、面白い小説ばかりです。

私は木曜会の活動を通じて、小説を読む・書く楽しみをこれまで以上に深く味わえている気がしています。
色んな会員の意見を聞きながら、小説には無限の切り口がある、ということを実感する日々です。

ここでは、私が小説の特に大きな側面だと思う事柄について述べておきます。
少し書く側の視点に寄っていることは否めないですが、よろしければお付き合い下さい。

私の思う小説の大きな機能は、言葉にならない「何か」を、文体や物語の力で、ずどーんと、心の隙間に投げ込む/投げ込まれることだと思っています。

小説の文章には、言葉を尽くした裏側に立ち上がる翳や、語らないからこそ行間に差し込む光のようなものがあります。
言葉にならない「何か」が、その光や翳に縁取られ、切実な鋭さを持って人に届く時、小説は大きな喜びをもたらします。
読み手にとっても、書き手にとっても。

小説を読み終わった/書き終わった後の収穫もあります。
長く連なった言葉の総体をレンズにして、核心にある「何か」を様々な角度から眺めてみると、解像度が胸の奥で少し上がっている。
そのようなことがあるならば、大成功の小説と言えるのではないでしょうか。

言葉にならない「何か」を宝探しのように掘り出して表現する/味わうのが、一つの小説を書く/読む楽しみだと私は個人的に思います。

少し話は変わりますが、昔拾ったはずの宝石をどこかに落として、忘れ去っていることもしばしばあるようです。

以下、最近私が拾い直した一節をご紹介します。
「歌声」を表現している、小説の一節です。

……ハシは歌っている。不思議な声だ。とても小さなスピーカーから響いて来るような声質、部屋の片隅に転がった電話の受話器から洩れている音に似ている。ハシの歌声は流れずに立ち込める。旋律を発する極薄の膜が耳を包み込んだようだ。弱々しく感じられる音は肌に貼り付き毛穴から侵入して記憶の回路を揺さぶった。振り切ろうとしてもだめだった。歪んだ視界が色を失い匂いや温度が切り離されて、ハシの歌の旋律が作る幻覚が現れた。自分がどこにいて何をしているのかわからなくなってくる。回りの空気が重く体に絡み付き、ヌルヌルした海底へ引き摺り込まれるようだ。キクは真っ黒な馬が夕暮れの公園を疾駆する情景に捕えられた。映像が浮かぶのではなく、その情景が描かれた絵の中へ強引に引っ張り込まれたのだ。黒い馬はオレンジ色の逆光を浴びて恐ろしい速さで木立ちの間を駆け抜け、いつの間にかいななきが爆音に変わり、滑らかに輝く産毛が金属となり、銀色の窓ガラスの谷間を走る大型のオートバイに姿を変えた。猛烈な速さで移動するオートバイを追って、その情景を映す視点が同じ速さで動く。空中に張ったワイヤーロープに吊るしたカメラを時速二百キロで滑らせ、撮影したフィルムを観ているようだ。不安になる。恐ろしいスピードで移動しているのが何なのか、わからなくなった。自分なのか、カメラなのかオートバイかそれとも周囲のビルディングや街路樹や窓灯りなのか。キクはこの不安できれいな幻覚から逃れようと思った。

村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』

この一節では、「歌声」を幻覚作用のある旋律として、非常に視覚的に描いています。
「歌声」の聞こえ方や作用をあくまで情景として豊かに描写することで、音楽と言葉の壁を越えようとしています。
成功的かどうかは読み手の受け取り方次第だと思いますが、私はこの一節では確かに、言葉にならない「何か」が読者・作者間を疎通していると感じました。

作品全体を通じて、こういった凄まじい表現が沢山出てきます。興味を持たれた方は是非、『コインロッカー・ベイビーズ』読んでみてください。

最後となりますが、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
木曜会の活動や、小説の喜びを少しでもお伝えできていたら、幸いです。

(黒部)


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