比較するなと言われても

「今日はもう練習したん?」
「まだー。今からやる」

最近息子のモチベーションが下がっているのは承知していた。

逆立ち。

息子が習っている体操は内容が少し特殊なため、レッスンできる場所が少なく、最寄りの教室まで電車で1時間ほどかかる。
学校のある平日はレッスンに間に合わず、長期休みや、たまたま学校が短縮授業の日などしか通えない。

そのため周りのレッスン生と比べて上達が遅く、息子の成長に伴って一緒に練習する子との年齢差は開くばかり。

少しでも勘が鈍らないように、普段から逆立ちやブリッジなどの基礎練習を家でしている。
といっても、私は教えられないし、テレビを観ながら適当に流す程度だけれど。

私には、気が進まないものを強制的にやらせるほどの情熱はない。
声を掛けて動かなければほったらかしだが、やる気全消失というほどではないらしく、気が向けばマイペースに逆立っている。

体操では年下に抜かされ、陸上では後発組に抜かされ、それでもコツコツ継続する息子の性格は本当に尊敬するが、どちらもイマイチ本気を出している感じがしない。

そりゃそうだ、とも思う。
同級生がイカれたテクニックで演技をしていたら、どうしたって自分と比べてしまうし、試合には勝てないし。
辞めると言い出さないのが逆にすごい。
大人だってどう頑張っても敵わない同期がいれば、張り合う気も失せるというものだ。

以前に同じような内容の記事を書いたとき、息子君はよくやってるよ、とたくさんの方にコメントをいただいた。
おかげて、これがα世代の特徴なのかもと、最近は生暖かい目で見守っていた。


昨日、帰ってきた息子の声が弾んでいる。
話を聞くと、クラスで一番長く逆立ちができたので、先生が「息子君をお手本にして」と言ってくれたらしい。
クラスメートからもすごいと褒められ、自信に満ちたいいお顔をしている。

チャンス。息子のいいところを、とうとうとインプットする。
みんなと比べて優れているのもすごい。けれど息子が本当に凄いのは、できないことでも諦めず、地道に練習を続けてきたことだ。それが息子の素晴らしいところだと。
(だからできたら普段の練習、もうちょい気合い入れて←欲深き親)

体操教室では何年も初心者から抜け出せない息子も、学校ではお手本になれるほど「逆立ちできる奴」
陸上にしてもそう。試合では最下位でも、学校では「そこそこ足の速い奴」

息子の実力は変わっていないのに、場所を変えるだけで自信の瓶は満たされる。
比較することで失う自信があれば、比較で得られる自信もあるということだ。

自信に満ちている日の練習は、やる気の出力が普段と全然違う。
だからってロンダートの練習を風呂上りにするんじゃない。

本当は比較なんて、しないで済むならしないほうがいい。比較で得るものより、失うもののほうが多いからだ。
けれど、現状適切な自己肯定感を育まれた人はそう多くはない。
身体の内から自信が湧き出てくるような人の方が珍しく、社会がそうある限り、比較は無くならない。
自分で気をつけようにも、ゲリラ比較に遭遇し、避けられないことだってある。

であれば自分にとってより有利に、心が軽くなるように、比較を利用したほうがトクというもの。

誰かと比べては落ち込み、自分に自信が持てないまま、モチベーションを継続するのは難しい。

そう言われても自信なんて持てないという人は、無意識に自分よりできる人、優れている人を探して、つけなくていい傷を自らにつけていないだろうか。

身を置く集団が変わればヒエラルキーも変わるという事実を見落としていないだろうか。

比較する環境を変えられないなら、過去の自分と比べればいい。むしろこちらを王道にすればいい。
頂上までが果てしなく感じられる日は、登ってきた道を見下ろそう。ずいぶん高く登ってきたものだと感じられるだろう。

私はよくnoteで自信を失う。
すごい視点を持った人、仕事に邁進する人、表現豊かな人、面白い人。
すごい人達に憧れて、うっかり比較して、落ち込んでしまう。

けれどnoteという集団から一歩外へ出れば、こんなに書ける人ばかりでもないだろう。比較母体を変えれば、noteにいる人なんて誰を抽出しても上位だ、多分。
そう思えばこそ、モニターにくっきりと映る自分の実力とギリ向き合える。
如何なる名文を目撃しても、そうやって自分を操れる人になりたい。

比較に振り回されず、利用できれば人生を切り開く武器になる。
息子にもうまく伝わるといいが、親の心を知らぬ彼は有頂天な気分のまま、汗だくで床についた。…ヤメテ!

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