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再びポルノの魔の手が

何という事だろうか。
タイトルのとおり、再び私の人生にポルノが入り込んできた。
前に、ポルノ依存だったが克服できたという旨の記事を書いたのだが依存というものは完治はしないらしい。表面に出てこなかっただけで常に私の心の奥底で燻っていたのだ。それがロコツに今前面に出てくるようになった。

きっかけは仕事のストレスだったように思う。
2021年に医学部を卒業し研修医となって働き始めた。
私が最初に配属された部署は救急科だった。
医師免許を取ったとはいえ、すぐに何かが出来る訳もなくとにかく不安と戦い続ける日々だった。
目の前に一分一秒を争う患者さんが運ばれてきてその患者さんの対応を求められるが無理である。わからんのである。ただ何かしないとヤバい!というのはわかるが出来んのである。ひたすらに自分の無力感を感じ続ける日々であった。
そんな心のスキマを狙ってポルノは再び忍び込んできた。

依存行動は、孤独や不安、ストレス、退屈、疲労感といった感情を一時的に紛らわせる効果があるらしい。しかしそれは根本的な解決にはもちろんならない。そしてそれらのトリガーがあり続ける限り、また依存行動に向かいそれを繰り返していくウチに、依存行動そのものが目的となる依存症へとなっていくのである。

事実、私自身も職場で日々強いストレスにさらされ、とにかく現実逃避をする術を求めていた。そうしているウチに徐々にかつて依存していたポルノへの渇望が再び巻き起こってくるのを感じていた。
最後の一線は越えまいと日々葛藤していたものの、性的な部分が協調されたイラストや露出の多いグラビアを求める頻度が少しずつ増していった。

一旦その方向に転がりだしたベクトルを反転させるのは容易な事ではない。まして、仕事というトリガーが取り除かれない限りどうしようもなかった以上、その状況から抜け出す事は極めて困難であった様に思う。

去年のある日、とうとう超えるべきでない一線を踏み越えた。
かつて見ていたポルノを検索し、そこから目を背けられず再びポルノに染まる時間となってしまった。

非常にショックだった。もう私の人生でポルノは生涯無縁のものだと思っていたからだ。実際この5年近くはポルノを見たいという気持ちがよぎる事はあれど、それを行動に移す気は一切起きなかった。完全に離れられていたと思っていた。だがどうやら違ったらしい。一度依存症になってしまったものは生涯そのリスクは消えないものと考えた方がいいのかもしれない。

それからは仕事のストレスが高まるサイクルで、2~3か月に1度ほどポルノを見てしまうペースが続いていた。そのころは本当に仕事のストレスによる逃避行動だったように思う。おそらくその時期に仕事から離れていればまたポルノとは無縁の生活に戻って行けたかもしれない。

しかし今年度に入ってからは更に事態は進行し、今では仕事のストレスとは関係なしにポルノを求める気持ちが湧いてくる。今現時点で、1週間ポルノ断ちをしては繰り返すというペースである。かつて毎日、毎時間求めていた頃に比べれば幾分マシかもしれないが、このペースで何もせずに過ごしていると確実にそうなる日は遠くない。
その前になんとしてもポルノ断ちを徹底させなければならない。

時折ポルノをどうしようもなく見たくなり、実際にそれを見てしまった時にもう無理に止めようとせずに見ちゃえばいいじゃない。別に誰に迷惑をかけている訳でもなし、という気持ちが湧いてくる瞬間がある。
が、断固としてその思いに屈する訳にはいかない。

ポルノを見たくなり、その思いに屈しポルノを見ている間は確かに楽しいと感じる瞬間がある。全てのストレスを忘れられる様に思う。正しくその時間は私とポルノのみが世界に存在する瞬間である。が、それが終わった時に後に残るのは虚しさだけである。そんな人生になるのは死んでも御免である。


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