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読書日記・これが通常営業です(4月29日〜5月5日)

4月29日(月)

植本一子さんと滝口悠生さんの『ひとりになること花をおくるよ』を読み返している。(この本は現在『さびしさについて』というタイトルで文庫化されています)

日記は書けるけどエッセイは書けないという植本さんと、日記は続かないという滝口さんの、相反しているのにもかかわらず、どちらの気持ちも深く共感してしまうせいか、この本はいつもここでストップしてしまう(かなり序盤でストップしているし毎回同じところで止まるから、この本を最後まで読み切ったことはない)。

読書日記をこうしてnoteで気楽にやっている私でも、「日記は難しいな」と思いながら書いていて、定期的に「日記を書くのはやめたほうがいいんだろうか」と悩む。

誰かに頼まれて書いてるわけじゃないので、いつやめたって自分の自由なんだけど、読書日記をそこそこ続けてしまっているせいか、「せっかく続けてきたのにやめるなんて!もったいないかも!!」と、思ってしまう気持ちが強くある。

深く考える必要はなくて、書きたいなら書く、書きたくないなら書かない、とすればいいわけで、物事をシンプルにできない私が、ただただ文章を書くということを複雑にしているだけなんだろう。いつものことです。これが通常営業です。ははは。

やめるという選択肢ではなく、一度休んでみる、というのもひとつの方法ではあるよね、なんてことを考えている。うーん。

4月30日(火)

ゲッターズ飯田さんの占いによると、私は4月に大きな別れがあるらしい。大きな別れというのが非常にこわくて、4月は生きた心地がしなかった。ちょうど犬の具合も悪くなったし、まさか!?????の思いでいっぱいだった。

そんな生きた心地のしなかった4月が、やっと終わる。

犬は・・・・・

元気です!!!!ありがとうございます!!!!!

え?じゃあ4月の別れって何?? と思ったので、もう一回ゲッターズ飯田さんの本を読み返した。すると、
「別れはあるけど、あなたにとって不要な関係がなくなるだけなので大丈夫!」
みたいなことが書いてあってズッコケた。

自分にとっていらないものがなくなるんだったら、そんなに心配することなかった。文章をサラッと読んで理解した気になるから、要らぬ心配をしたり、ひとりで慌てふためいたり、なんてことがよく起こる。これもまた通常営業です。私はいつだってあわてんぼう。

5月1日(水)

クォン・ナミさんの『翻訳に生きて死んで』を読む。日本語を韓国語に訳す翻訳家さんの、お仕事にまつわるエッセイ。翻訳家という職業に憧れるので、こういう本はつい手に取ってしまう。

翻訳をする上でのアドバイスみたいなものも紹介されているんだけど、「文章が上手くなりたかったら、本を読むこと、本を模写すること」と書いてあったので、どんどん本を読んで、どんどん本を模写していきたい!!と強く思った。

5月2日(木)

文章が上手くなりたいとは思うけれど、文章が上手くなるための読書をすると考えると、とたんにやる気が失せる。勉強するための読書と、趣味の読書を分けて考えたらいいのだろうか。そんな器用なことができる人間だったら、文章もさぞかし上手なのだろうなと思ったりした(偏見+嫉妬)。

5月3日(金)

「ゴールデンウィーク後半戦がスタートしました」とニュースで聞いた息子が、
「ゴールデンウィークって、戦わないといけないんだね」
と言うのでハッとした。

大人はつねにいつだって戦っているのかもしれない。

5月4日(土)

ゴールデンウィークの疲れが早くも出始めた。こんなときは大好きなシリーズでも読もう!と『アガサ・レーズンと告げ口男の死』を読み始めた。いつも通り不運に見舞われるアガサに、なぜかしら癒されるという謎の現象。「いつも通り」であるということに、癒しを得ているのだろうか?

5月5日(日)

最近、22時をすぎると猛烈に眠くなる。私の読書タイムは22時以降なのに、あまりにも眠いのでまったく本が読めないまま寝てしまっている日が増えてきた。

これは読書日記を書いている私の危機かもしれない!と、あまり危機感を抱くでもなく思ったりしている。眠いときは寝るのが一番。睡眠不足はあらゆることを不穏にするからね。うん。

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