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本が解決してくれると思ってた

2022年7月13日(水)

習慣にしてしまえば何とでもなる。読書日記を再開して、毎日note更新が出来るようになっていて嬉しい。

しかし日記というのは、毎日になると書くことが無くなるのよ、それが困るのよと思うのだけど、そういう時に思い出すのは、古賀及子さんのツイート。
コチラ👇🏻

5秒のことを200字かけてかく。
そんなこと考えたことも無くて、このツイートを初めて見た時は衝撃だった。多分、日記だけじゃなくて、エッセイやコラムのようなものも、これに通ずるものがあるんじゃないかと勝手に思っている。

ネタ切れせずに文章をバンバン書けてしまう人は、ほんの些細なことをネタにしながら文章にしていると思っていて、そりゃ生きていれば何にもドラマが起こらない日だって当然あるし、一日に何度もとんでもない展開が待ち受けている日だってあるだろう(滅多にないけど)。

本当に必要なのは、日々の大きな出来事に注視することじゃなくて、ほんの些細な出来事を、どのように文章にしていくかってことであって、そのへんは文章力が問われるところだろうな、思考力もかな、なんて考えていたら、わりと大変な作業ではないか!?と気づき、途方に暮れそうになったので考えるのをいったん止めた。

そんな今日は『親が「これ」をするだけで、子どもの学力は上がる!』を読み終わった。

親が読書をする姿を見せる、と何度も出てくるので実際にチャレンジしてみたら、あっという間に読み終わってしまった。なんだ、やればできるじゃん私。

本の中で気になったのは子どもの話じゃなくて、

本を読むことを単なる情報収集だとみなしている人は、今すぐに役立つ情報、そのまま利用すれば解決するだろうと思われる情報ばかりを求め、自分とじっくり向き合いながら考える、ということを省略しがちです。

『親が「これ」をするだけで、子どもの学力は上がる!』より引用

この部分なのだけど、これ本当に耳に痛い話で、確かに私もこんな風に読書をしていた時期があって、それって現状の自分に嫌気がさしていて、そんな自分をどうにかしたいけれど方法がわからなくて、答えを求めて本を読んで分かった気になったら満足して終わった、といった一連の流れを、何度もくり返していた頃に似ている。

本を読んで「この方法はいいかもしれない」と思うことがあって、それを実践することもあるけど、本を読んで満足して終わるというほうが大半だった。そして自分のモヤモヤを解決してくれそうな本に片っ端から手を出していくもだから、読んだ本の内容を一つ一つ吟味したりしないので、読んだ本の内容も片っ端から忘れていく。そんなことを何度もくり返していたはずなのに、私はそれを悪いこととは思っていなくて、本を読んでいるんだから良いことだ、知識を増やしているのだから良いことだ、と良い話としてすり替えてた。

けれどもそういった知識欲を満たす行為も、冷静になってみるとムダな時間だったと気づいてしまい、今では本当に読みたいもの以外に手を出すのは止めよう、と思うようになり、結果的に書籍代は減った。

まるでやっつけ仕事のように本を読んでいた頃、私はそれで何がしたかったのか、今でもよく分からない。何かを得たいと思っていたはずだけど、どう考えても何かを失ったような気がしていて、でもきっと何かしらの知識は得たはずで、本を読んだことに意味がなかったとはどうしても思いたくないだけかもしれない自分がいて、往生際が悪いような、でもそれが正直な思いだなと思ったりした。

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