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ゆるく生きよう

息子(8歳)が『ワンピース』にハマりだした。運動会で『ワンピース』の映画主題歌を踊ったことをきっかけに、その世界をYouTubeでどんどん広げていったもよう。私が小学生のころ、運動会で光GENJIの曲を踊ることになって、そこから大沢樹生さんに憧れたけれど、あれと同じ流れかな?(きっと違う)

息子は『ワンピース』のアニメを見てみたいと言ったんだけど、せっかくだからマンガを読んでみようよ!と誘導。マンガだろうとなんだろうと、本に対して嫌悪感をいだいている息子。マンガをきっかけに、本に対する思いが良いものへと変化してくれないかな~という、親としての強い願いがあふれてしまった。これが親のうっとうしいところなのよね、知ってる(ならやるなよ)。

息子は今のところ順調にマンガを読み進めていて、現在はナミの過去のところを読んでいるらしい。あの鼻がギザギザになってるイヤなやつのところ(名前が出てこなかった。あとで見たらアーロンって書いてあった。イヤなやつなのに名前が普通(失礼))。

私も息子に便乗して『ワンピース』をまた読み直したいな~と思いつつ、手が出せずにいる。なんか103巻という量にひるんでいる自分がいる。分厚い本を見ると、とたんに読む気が失せて本を手に取るのをやめてしまう私なのに、分厚いどころの話じゃないほど103冊という長い道のり。どうやって乗り切ったら良いの?そしてこの長い道のりを、まだ8歳の息子に背負わせようとしてんの?あんた正気?????と自分に言いたくなった。正気ですが何か?(逆ギレ)

息子は今のところ、『ワンピース』を楽しそうに読んでいる。楽しそうでなにより。でもなんとなくだけど、ここから始まる予感もある。
「マンガばっかり読んでないで勉強しなさい!」
の流れ。親の私が勧めたくせに、ずっとマンガばっかり読んでたら怒ってしまうってことがこの先ありそう。なんて勝手なママン。


そんな最近の読書は『小心者的幸福論』

小心者だという著者の雨宮さんが、ご自身をどのように生きやすくしていったのかが描かれている作品。

小心者だからこそゴスロリの恰好をしているとか、右の人、左の人との関わりで自分を解放できたとか、そういったマネしにくいものも紹介されているのだけど、雨宮さんの文章がいいのでどんどん読んでしまう本だった。


個人的にはコチラ👇の文章に共感した。

とにかく「休む」とか「遊ぶ」とか、そういうことに多大な罪悪感を抱いてしまう貧乏臭い人間だったのである。

『小心者的幸福論』より引用

私も「休む」とか「遊ぶ」に罪悪感を抱く人なのだけど、これを「貧乏臭い人間」と表現してしまうところが好きだな、と感じた。

「いかに企業で即戦力となるか」という視点でおこなわれている教育事情もあり、小学生のころからがんじがらめにされているではないかと雨宮さんは本に書かれていた。

「働く」とか「社会の役に立つ」とか、そういった視点はつねに持たされてきたと自分でも思うし、それを当たり前のこととして今まで生きてきた気もしている。そしてこの当たり前を、疑いもせずに我が子たちにも教えてきた。

けれど本当にそれは正しかったのだろうか、と本を読みながら思う。誰かの役に立てるなら、それは喜ばしいことだけど、「社会の役に立つ」なんて考えてみれば大きなことだし、そんなの本当に出来ることなのか、そしてそれは本当に自分がやりたいと思うことなのか。やらなければ人間失格ぐらいの気持ちでいたのではないか、などと考えていた。


しょせん人間一人では大抵2~3人くらいの役にしか立てないわけで、好きなこととかやりたいことをやってたら二次災害的に何かの役に立っていた、という方が自分も周りも気が楽な気がする。

『小心者的幸福論』より引用

雨宮さんが本に書いているように、二次災害的に役に立っていた方が、自分も周りもラクだと思う。「役に立たなきゃいけない!!」という思いで与えられる善意は、ときに大きな厄介ごとでしかないようにも思うから。

雨宮さんは【「遊ぶために生まれてきた」と思いこむ】と本に書かれていた。私もこの考えかたにならって、自分の好きなことや「休む」とか「遊ぶ」をもっと積極的に取り入れていこうと思えた。ゆるく生きよう。

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