見出し画像

やりたくないからしたくないのであって

2022年7月12日(火)

最近になって気づいたのは、私が文章を書きたい!と思うのは、noteの記事を読みあさっている時だと気づいた。インプットすればアウトプットしたくなるのだと思っていたし、実際にその通りなのだけど、以前のそれは読書であり、でも最近はどうもnoteに変わっていて、これは何だろうな?と考えていた。

本を読んでも、もちろん文章を書きたい気持ちにはなるのだけど、noteの記事を読みあさっていた時ほどの熱がない。そこで気づいたのは、noteの自由さのようなものに刺激を受けているのでは?ということだった。

noteの記事だって千差万別なので、これというパターンがあるわけじゃないけど、書いている人の熱量みたいなものが伝わってくる瞬間があって、その時に私も文章が猛烈に書きたい!!!!!という気持ちになる。それは特定の人の記事というよりも、たまたま巡り合った記事であることも多くて、あの記事はどこで読んだのだったか・・と見失うことも多々あるのだけど、そういう記事に生かされているなぁと、最近は思うのだった。

そんな今日は読書をしながら寝落ちするというのを、なぜか1時間のうちに4回もやらかしてしまい、本を読もうと懸命な努力をしたにもかかわらず、まったく報われなかった自分になぐさめの言葉もなかった。読んでいたのは『親が「これ」をするだけで、子どもの学力は上がる!』

まだ読み途中なのだけど、子どもが本を読まないのは、親が読む姿を見せていないからという話が序盤から出てきて、こういう話は幾度となく見聞きしていて知っていたはずなのに、私自身できていなくて肩を落とした。

「子どもに勉強しろと言っても勉強しない」という親の悩みもよく聞く話で、しかし当の親は家で勉強することなんて無くて、親がしないことは子どももしないだろう、と専門家とされる人は口にする。確かにその通りですね、はい。

勉強をしたほうがいい、本を読んだほうがいい。そうやって口にするけれど、本当にしたほうがいいのなら、なぜ大人が率先してやらないのか。答えは簡単!やりたくないからです!😊
と、笑顔で答えている場合ではないので、親の背中を見て学べるように、子どもにして欲しいことを、親の私が率先してやらないとな~と思いつつ、しかしそれは何だかヤラセ番組のようなものを感じてしまうので、どうなんだろうなと思っている。うーん・・。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?