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ほうれん草

またまた、(多分)前にも書いた事で申し訳ない。(書いたと思う・・・が、どこで、とかどんなタイトルで、が思い出せない。書いたものを大事にしない私の悪いクセ)
なんにしても成仏しきっていない思い出なのだ、多分。

野菜の下ごしらえの中でほうれん草はよく使う野菜だが、本当に毎回、嫌になるほど思い出す。ほうれん草の根元の、赤味のある部分のこと。

子供の頃、お浸しになったほうれん草の小鉢にその一部根っこのついた赤い部分は必ず入っていた。
一番栄養があるんだよ、と小さい頃いつもいわれていた。
「ほら、他のところより甘みがあるだろう?」
珍しく早く帰宅して一緒に食卓に着いた父にも言われた。父ッ子だった私はそれらを頬張り、もぐもぐ、にこにこしながら頷いていた。大好きな父にそう言われたら、毎回それを真っ先に手許に取るようになるのも当たり前だ。

ほうれん草の根元の部分を、嫌だ、とか、嫌いだ、とか思った事はなかった。ないはずだ。・・・でもまぁ、幼少期の記憶というのは得てして自分都合で書き換えられているものだから絶対とはいえないが。


ある晩、夕食の食卓に結構多めのほうれん草のお浸しが並んだ。時期かなにかで、とにかく大量だった。もちろん赤い部分も沢山入っていて、私はそれらを最初に取り皿に取る。姉達がそれをあまり好まないのも知っていたので、そこにあった赤い部分を多めに自分の皿に取り分け食べ始める。

じゃりっ

途中、嫌な歯応えが口の奥でした。恐らくほんの少し残った土を噛んだのだ。多分私は一瞬嫌な顔をしたと思うが、そのまま飲み込んだ。そして手許の取り皿の上のものをまた食べ始める。そこに母が言葉をかぶせた。

「冬のほうれん草は身体にいいものばかりなんだから、食べなさい」
「食べてるよ」
「根元の赤いところ、ちゃんととって食べなさい」
「だから食べてるってば」
「食べてないじゃない」

母が半ば強引に更にいくつかの、ほんのり赤い根元を私の皿に載せた。私はむっとした。少なくとも4人姉妹のなかで最初に赤い根元を取って食べているのは私だ。他の人より多めに取ってるはず。なのになんで私にばかりそれをするのだろう。

「もう沢山食べた。赤いの、もういらない」
「食べてないでしょ!」
「食べたってば。じゃりって、残ってた土も噛んだもん」

なにが母をそこまで怒らせたのか。土を噛んだとき一瞬嫌な顔をした私をたまたま目にしたのか。
4人の娘たちを育て、忙しい中で夕飯もちゃんと作ってくれたりしていたのに「土が残っていた」の言葉が手を抜いているのだろうとでも聞こえたのだろうか。

そこからは私がほうれん草の根元の部分を食べきるまで、母と私の喧嘩というか意地の張り合いだった。覚えているのは最終的に私が悔しくてぼろぼろ泣きながら、ほとんど丸呑みするような形で残りの全部の赤い部分を食べたことだけだ。 私が食べてるって言ったって私の言葉を信じたくない母にはどうせ届かない。怒られている理由がわからないし腹が立つしさっさと食卓を立ちたい。もちろんさらに何度か土を噛んで、イライラ加減はさらに加速していた。まぁそのまま飲み込むので味などほとんどしなかった。とにかく私がそれらを食べきってこのことは終わりになった。


今でも思うのだ。なぜあの時4人の姉妹の中で私だったのか。
姉達を見て育っている真ん中の子は大抵要領がよくて怒られる場面を上手に回避するものだから、チャンスがあったら叱ってやろうという気持ちはあった、と大人になった私に両親が笑って話したこともある。そんな中の1つの場面だったのかもしれない。
繰り返すけれど子供の記憶なんて修飾され自分の都合のいいように書き換えられるものだから、私にも非があったにちがいない、とは思っている。
でもあの時私だけが「理不尽に」叱られていたという想いが、記憶が消えない。まぁ母は時々難しいというかよく分からないことで怒ったりしていたから「うちの母はそういうひとだ」と諦めたように考えてはいたけれど。


ほうれん草を下ごしらえするたびにあの時感じた理不尽さと悔しさが蘇ってくる。重苦しい、もやっとしたものがみぞおちから上がってくる。
亡くなった人のことは大抵良い事しか思い出さないというけれど、あの重苦しく苦々しいなにかが喉にせり上がるたびに「良い事しか思い出さないなんてウソだ」と思う。

私が死ぬまでの間に これを笑い話に置き換えていけたらいいのだけど。子供の頃どう頑張っても理解出来なかった理不尽さは 茹で上げたほうれん草の根元にこっそり残る砂粒みたいに洗っても洗っても残ってしまっているのだ。




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