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考える学生たちは熱い。(たぶん)

アメリカの大学一部ではイスラエル・パレスチナ問題に対しての学生のProtest(デモ)活動がどんどん激しくなっている。またそれを抑えようとして警察や軍の力を借りる大学がでて、結構話題になって1か月ほどになる。

話題が そもそも長くて入り組んだ歴史と、国政にかかわる第3国だったりお金を持ってる企業だったりということが絡むことだけに、双方の対応の難しさも分からないじゃないのだが。

西海岸の娘の大学では卒業生代表がデモ活動して卒業生答辞がなくなったとか、全体の卒業式はなくなったとか言ってる。先日とうとう逮捕者が出て大騒ぎになったとか、とうとう学期末テストまでの数日「登校禁止」になったとかの話題が続いている。

で、さっき東海岸(といっても穏やかな田舎にある学校に通っている)にいる息子に電話をした時「そっちはデモ、ひどくないの?」と聞いたら「なんの?」と返ってきた。田舎の学校にはあんまり関係ないらしい。そういえばもちろんここ、ユタ州もプロテストのプの音すら聞かない。温度差なのだろうか。息子の方は「まぁこっちは田舎だから意識高い人たちとはちがうんじゃないの」という。

意識高いのかなんなのかは分からないが、正しいと思うことをはっきり声に出せるのは若いうちだけなのかもしれない。最近の色んな大学でのデモ活動、そして世の中の声にならなくても賛同の熱が徐々に見えてきた気もする。
こういう若者の声は政治を変えるのだろうか。
答えは誰も知らない。香港でだってあんなに一時期熱を帯びた活動は結局ものすごい統制に押さえつけられた。けれど、世界はその年代のリーダーになろうとしている人たちを見、それに対する国の対応を見て変化してきている。今のアメリカもそうだ、おそらく「暴動がおこるから」ということで押さえつけられるような気がするが、多くのアメリカの国民も世界も、オカシイと思うことに声を上げる若者の姿にいろいろ考えされられるはずだ。

声をあげなかったら何も変わらない。声を上げても主張は通らないかもしれないが、ただ世界のどこかで何かは確実に変わっていくだろう。

と、ちょっとマトモ方向に思いを巡らせている間に娘とオットの会話が続いている。
「昨夜はちょっと酷かったみたいだね、いろいろ学内の像とかにペイントされちゃったらしいし」と言う娘にオットが続く。

「ふーん。とーちゃんが学生の時なんか中核派のひとたちがよく教室にのりこんできて授業にならなくて終わっちゃったり、構内ででっかい音でなんか騒いでて授業にならないことなんて普通だったけど」

「・・・・え?」と娘と私。
ちなみにオットは私より3つ下です。いつの時代だよ。
(今年55歳になりますが、その当時すでに学生運動なんて昔の話だった)

「いやほんと、よく学長の像とかペイントとか色んな服装させられてたりして炎上・・・」
「ちょっとまって。あなたが在学中?」「うん」

そんなの、学生闘争時代だけと思っていたぞ。ところ変われば、とか言う話ではナイんじゃないの。私の時代なにかそういう動きがあったら大抵ニュースに出てたと思ったけど。ちなみにオットは京大です。

「え、だっていつも過ぎてニュースに取り上げられることもなかったけど」

・・・真面目なアメリカの学生デモのはなしから、変なところに着地してしまいました・・・


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