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空間について

潮目が変わるときには、色々なことがあります。

時代にしても、人間にしても、今はそういう時なのだろうな、と感じています。

「私」という個の感覚を強く感じたかと思ったら、今度は、それが溶けてなくなる感覚を強く感じたりします。

前回の記事で、こんなことを書きました。

自分の想像の外にある喜びを受け取るには、「空間」が不可欠なようです。

想像を超える / moimoi

「余白」とか「余裕」という表現の方が、言葉の繋がりとしては自然なのかもしれないけれど、私の感覚としては、「空間」という表現の方が、今のところしっくりきています。

ところで、私は、よく寝ます。

愛犬と寄り添って昼寝する時間が、私にとってなによりの癒しです。

刺激を求めてどこかへ出かけるよりも、美味しいものをたらふく食べるよりも、ただただ愛犬の体温とゆるやかな呼吸を感じながら、お互いに安らいでいる時間が、なによりも贅沢な時間だと感じています。

そんな昼寝から目が覚めた後、まだ頭がぼーっとしていたせいか、言葉による夫との意思疎通がうまくいかなかったことがありました。

夫婦生活も長くなってくると、これ、あれ、それ、のような簡単な単語とテレパシーで通じることが多く、油断してしまうことがあります。

不可解だ、という顔をされ、不可解だという顔をされることが不可解だ、と一瞬思ったものの、次の瞬間には、そうかもしれない、と思いなおしました。

自分の考えを意識的に変えた、というより、本当にそうかもしれない、と思ったのです。

自分が正気であるだなんて、なぜ自信を持って言えるんだ。

寝起きであったにしろ、なかったにしろ、自分が正気であるかどうかなんて、確かなものは、何もないかもしれないじゃないか。

そんな思いがシュッと頭をよぎり、その瞬間、自分が溶けてなくなって、空間がザッと広がるような感覚に包まれました。

人間にとって、アイデンティティを失う恐怖というのは、かなり大きなもののように思います。

他人との意見などの違いを感じるとき、瞬時にアイデンティティが「消えまい」と防御体制に入るのを感じます。

それが消えてしまったら、自分が自分でなくなってしまうんじゃないか。

ところが、それが消えても、なくなるどころか、むしろ溶けて広がって、他人ごと、空間が自分になります。

そうなると、全てから見た「最適解」に繋がる。

そんな感じがします。

「コントロール欲」という言葉が浮かぶのですが、コントロールを諦めると、繋がりやすいのかもしれません。

女性は特にバイオリズムの影響を受けやすいので、コントロールを諦める、ということに関しての抵抗は少ないのかもしれません。

「あー、もうお手上げ」

そんな状態が、実は、幸運の入り口なのかもしれません。

と、今日は、起き抜けに感じたことを、ざっとメモしてみました。

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