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十六夜にかぐや姫 【相談があるの】



 うだるような都内の暑さから逃れ、文豪作家たちが愛した軽井沢で涼を取りながら小説を書くはずだった夏合宿は、深夜にいなくなった彼女を探したり、大きな捕虫網に掛かったり、まるまる一日寝過ごしたり(これは自分が悪い)、物書きの研修生として何の成果も出さないまま、残暑の厳しい東京へ戻って来た。

 軽井沢合宿を3日目の早朝で切り上げた、叔父さんの急用は分からず仕舞い。
 帰りのクルマの中で、彼女が急に不機嫌になった理由も分からないまま。
 ユリさんからの微妙な告白に、モヤモヤ感を抱えたまま8月が通り過ぎ、こよみは9月に入っていた。

 大学は9月いっぱい夏休みだが、カレンダーの中で季節は秋。

 軽井沢合宿のあと、ユリさんは高校の2学期が始まり、この辺鄙な合宿所から足が遠のいている。
 彼女は9月に入りブライダルモデルのお仕事が増えたのか、朝早く合宿所を出掛けている。
 叔父さんは… 未だにあの人のことはよく分からない。
 出版社勤めの不規則な生活に加え、学生時代からのオカルト同好会メンバーと昼夜を問わず今も活動しているようだ。

 僕は… ボーッとしている。
 慣れない東京で夏バテなのかもしれない。後期の履修届けが始まるので、生活習慣を元に戻さなければ。

 9月の半ば敬老の日、ダラッとしたままだと老いそうなので(19才だけど)気合を入れてお日様とともに目を覚まし、合宿所の周りを歩いてみた。
 東京の空も心持ちすっきりと感じられ高く見える。中空の移ろいと皮膚に感じる空気の変化を楽しんだあと、合宿所に戻るとキッチンで彼女がコーヒー豆を挽いている。

「アラッ? おはよー。エムくんにしては早いのね。洗濯機を回してしまったわ。どうしましょう?」
 彼女には僕の早起きが、降水確率100%予報のようだ。

「おはよー。いつも寝坊なのは否定しないけど、今日のお天気は保つと思うよ。玄関の脇にいた猫は顔を洗っていないし、蜘蛛の巣には朝露が掛かっていたから。そこ(ホールの隅)に転がっている松毬まつぼっくりも開いている」
 スーパーコンピュータや気象衛星データを使う、お役所の天気予想よりも、近くの天気は昔からの言い伝えが当たると信じている。

「久しぶりに早起きして頭が冴えているのかしら。私もそれは知っているわ。単なる言い伝えではなくて自然現象よ。他にも『朝にカッコウ、夜にフクロウが鳴く』『トンビが空高く輪をかく』『朝霧と朝雲』は、晴れるそうよ。東京にいるとそんな鳥には滅多に会えないけどね。コーヒー入れるけど、飲む?」
 久しぶりに話をする彼女は、機嫌がよさそう。
「ついでで良ければ、お願いします」最近、顔を合わせていないので、彼女との距離感が掴みづらい。
「朝食はどうする? トーストと卵料理で良ければ、一緒に作るけど」
 朝食も作ってくれるとは。今日、面倒なイベントは何もなかったはず。
「良ければお願いします。何かやっておくことはある?」彼女が食事を作っているあいだ、ここでジッとしているのは居心地が悪い。
「じゃあ、バスルームを洗ってくれるかしら。昨日は叔父さんの当番だったけど、サボったみたい」
「了解」

 共有スペースの掃除は3人の当番制だけど、叔父さんの番の多くは僕がやっている。叔父さんは急にいなくなることが多いから仕方ないけど。
 ホール奥の扉を開けてドレッシングルーム(叔父さんがそう呼ぶ)に入り、服を脱いでバスルームに入り、部屋全体にシャワーを掛けながら水アカが出始めているところはスポンジで擦る。1人で使うには大きすぎるバスルーム。叔父さんは何故こんなに広いバスルームを作ったのだろう。
 自分のシャワーも兼ねたバスルームの掃除を終え、Tシャツと短パンでホールに出ると、ダイニングテーブルには2人分のコーヒーとトースト、小さなオムレツ、ベーコンとハッシュドポテト、キイウイ入りヨーグルトにグリーンサラダ。シャインマスカットが並んでいる。
 いったい、どうした?
 最近は彼女とホールですれ違っても『美少女スマイル』を見せることはなく、挨拶だけして、何か考え事をしている様子。

「朝から、ごちそうだね」どう反応して良いのか分からないので、差し障りのない言葉を口にする。
「そう? 朝食は大事だから、ちゃんと食べないと」久しぶりに見せる美少女スマイル。
 朝食を食べながら、彼女が取り止めのない話をする。主にブライダルショーでの出来事。彼女の模擬挙式を見に来た花嫁予定の女性が急に泣き出したり、男性がウエディングドレス姿の彼女をガン見して、隣に座る相手から足を踏まれたり。
 6月に見た彼女のドレス姿はとてもキレイだったから、足を踏まれた男性はお気の毒としか言いようがない。

 ゆったりとした朝食を終え、コーヒーのお代わりを飲んでいると玄関の扉が開き、元気な声と共にユリさんが現れた。
 そうか、今日は休日だ。
「おはようございます。アレッ? 今日はエムさんも早いんですね」
「ユリちゃん、おはよう。コーヒーを淹れるから、こちらへどうぞ」彼女は、久しぶりに合宿所を訪れたユリさんに彼女は驚かない。
 今日、ユリさんが来るのを知っていたのかも知れない。
 バッグをソファに置き、ダイニングテーブルの斜め向かいの席にユリさんが座る。

「今月に入ってから初めて来たのかな?」ユリさんがココに来るのは軽井沢合宿以来だと思うけど、合宿であったことが話題になるのは避けたいので、ぼやかして聞いてみる。
「そう言えば、そうですね。学校が始まると、なかなか来られなくて」ユリさんも当たり障りのない返事をする。
 今日のユリさんの装いは秋らしく、ザックリ感のあるコットンセーターに短めのタイトスカート、ショートブーツにレザートートバッグを肩から掛けている。
 先月までとはヘアスタイルを変えており、パツッとカットしたショートボブの前髪を分け、目元を中心にブラウン系のメイクしており、大人っぽい雰囲気。

 彼女が自分とユリさんのコーヒーカップ持って、ユリさんの隣、僕の正面に座る。
「ありがとうございます。今日、所長は外出ですか?」ユリさんは相変わらず叔父さんのことを『所長』と呼ぶ。
「叔父さん? いろいろと忙しいみたい。最近、顔も見ていないわ」彼女の表情が少し不機嫌になる。今月よく見る顔だ。叔父さんと何かあったのか?
「そうですか、夏合宿で書いた紀行文をまだ見せていなかったので、持って来たのですが」
 ユリさんが書いた、僕を主体にした恋愛紀行文。読んでみたい気もするけど、軽井沢で遭遇した微妙なことを思い出すと、表に出して欲しくない気もする。
「叔父さんは最初から私たちに紀行文を書かせるつもりはなかったみたいだから、見せなくても良いと思うけど」
 彼女はユリさんに張り合うように、僕を主体にした紀行文を書くと言っていたけど、その気は失せたようだ。なんとなくホッとする。
 それからしばらく、どうでも良いこと(本当にどうでも良いこと)を話し、午前中の時間がだんだんと少なくなって来たところで彼女が立ち上がり、ユリさんもつられる様に立ち上がったので、いつものように2人で5階に上がるのかと思ったら、彼女が神妙な顔をして口を開く。
「相談があるの」
 隣に立つ、ユリさんがうなずく。
「僕に?」
「今、私とユリちゃんの前にはエムくんしかいないけど」
 それは分かりますが… あやかしも、春以来、現れていないし。

 高校で知り合ってから今まで、彼女から相談を持ちかけられたことはないけど、今日の彼女の表情は真剣。ちゃんと聞かないと。
「了解。ここで良い?」
「ここだと、叔父さんが帰って来ると面倒なので、私の部屋に来てくれない?」
 叔父さんには話したくないこと? 5階の乙女の部屋なら冷凍庫も冷蔵庫も揃っているから、相談が長引いても大丈夫。
「了解」
 僕の返事が合図になり、彼女とユリさんのあとを付いて、5階まで階段を登って行った。

(つづく)




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