SF小説 『面倒な時間旅行者のお世話係り』 (プロローグ 第1話)ミッション開始
『エージェント:パトリック・K・デュランシン
今回のミッションは昨日(脳細胞に)送った通りだ』
昨夜遅く、海馬に送られて来たデータ転送で安眠を妨げられた。
21世紀に早く慣れるため、夜はちゃんと睡眠を取るようにして眠りについたところに、データを頭の中に流し込んでくるのは、この時代で言う労働基準法違反だ。
エージェントになるためのトレーニングで、この時代には『労働』という行為があることを初めて知ったわけだが。
事務局はこの時代が31世紀のように自由が利かないことをそろそろ分かって欲しいものである。
そして今朝、ホテルのベッドに備え付けの目覚まし時計が鳴る前に、また事務局から起こされた。
『このビデオは当局の監査が入った時のための記録である。詳細は昨日送ったデータの通り』
いつものように、網膜にビデオが浮かび上がる。
マシーンがライブラリで合成した、今回捜索の対象となるツーリストが行方知らずとなった可能性を示唆する映像が永遠と続く。内容は昨日送られてきたデータの一部であり頭には記録済みで、捜索のたびにこのビデオを見るのが一番の苦痛だ。
退屈という意味で。
昨晩、海馬へ強制的にインプットされたデータが、大脳皮質に溜め込まれる時間を見計らって記憶を高めるためにビデオを流す、と事務局から聞いているのだが、本当なのか?
今までのミッションでもツーリストの細かな情報を忘れていたことがあるのだが、それを報告すると31世紀に戻ってから矯正マシーン送りになるから、落ち落ち愚痴も言えない。
そんなことをこっそり考えていると(この時代の思考までは事務局に覗かれていないはず)こちらの都合には関係なく、操作対象となるトラベラーのビデオが網膜に、サウンドが内耳に流れ始める。
『アガサ・F・ウェイ。登録情報:♀ 120歳』
21世紀の外見ではティーンエイジャーの容姿で、当時流行った服を着ている人物が映像に現れる。えっとー、何という格好だっけ? 昨日送られて来たデータにあったような気がする。この時代は脳をネットワークに繋げないのが不便。どうでも良いおぼろげな記憶に頼らなければならないなんて原始人に戻った気分だ。
『ナオミ・H・フラナガン。登録情報:♀、118歳』
彼女もアガサ・F・ウェイと同じような容姿と装い。二人の関係は分からないが、彼女たちが一緒に行動していて間柄を問われたとき、どの様に説明するのだろう?
私もエージェントになって『続柄』という単語を知ったのだが、この時代では重要らしい。
『なお、必要なモノは別途転送済み。いつもの場所に取りに行くこと』
いろいろと余計なことを考えていたらビデオが終わり、エンドクレジット代わりの定型文書が表示され、表示が止まる。
【エージェント:パトリック・K・デュランシンのミッション】
・対象ツーリスト1:アガサ・F・ウェイ
対象ツーリスト2:ナオミ・H・フラナガン
・潜伏期間:タイムトラベルビザ切れから現地時間で1ヶ月
・潜伏年代:2010年
・潜伏場所:日本のどこか
・潜伏理由:タイムトラベル目的は当時流行っていたミュージシャンのライブに行くこと。目的のライブに行ったあとの足取りは不明。
そのあとは、対象トラベラーをタイムトラベル直前に撮影したビデオが網膜に映し出される。
見たところ、2人とも31世紀の普通人。
ただ本当の容姿は分からない。当たり前だが。
そもそも31世紀に物理的な確認を求めるのが無駄なこと。唯一本人確認できるDNA照合も、最近は偽造DNAが流通し何が本当で、誰が本人なのかも分からない。
改めて画像を見てみると彼女たちの好みなのか、外見は今回訪れた21世紀の日本人風に、外見を修正してある。
網膜に映し出されていた映像がようやく終わり、ベッドから起き上がっても内耳にはエージェントとしての諸注意が流れ続けている。
窓際に近寄り、カーテンを開けてみる。
現地時間で朝8時。眼下に見える通りには、朝から21世紀の人類がたくさん歩いている。
あんなに多くの人類がランダムに歩いて、よくぶつからないものだ。
この時代は未だマシーンが街をコントロールしていないはずなのに、みんなが人の波を縫うように歩いて行く。
この時代の人類が、器用に人並みを避けながら泳ぐように歩いているのを飽きずに眺めていたら、テーブルの上に置いていたスマートフォンの呼び出し音が響き始める。
21世紀にタイムトラベルして、この時代仕様のスマートフォンが唯一、同じ時代に転送されてきたツールだ。
素っ裸にスマートフォンだけなのは、何回タイムトラベルをしても不安で仕方がない。
一般のタイムトラベルツーリストであれば、その時代に出たところでエージェントが出迎えてくれるから心配ないが、我々エージェントに迎えはいない。
私がエージェントを始めた時にはタイムトラベル先の転送精度が上がり、事務局があらかじめ用意した施設に転送されるため、素っ裸で転送されても直ぐに施設内で身なりを整えられるが、タイムトラベルが始まったときは大変だったらしい。
裸で真冬の海岸に放り出されたり、その時代の人類が賑わう繁華街に出現したり。
どうでも良いことを考えていたら、この時代仕様のスマートフォンの呼び出し音が、騒音なみに大きくなったので慌ててベッドまで取りに行く。
「こちら、パトリック」
「なんだ、生きていたのか。コールに出ないから転送に失敗して『世界の隙間』に入ったのかと思ったよ」
誰かと思ったら、トラベルツーリストのローカルツアーオベレーター、フィリップだ。
「今どき、タイムトラベルに失敗するわけがないだろう。こっちが21世紀に来てからまだ半日しか経っていないのに、早々に連絡をくれたのは『捜索対象のツーリスト』が見つかったのか?」
「そんなに簡単に見つかれば、苦労はしないよ。久しぶりに21世紀の飯でも一緒に、どうよ?」
「良いけど。おまえ、今どこにいるの?」
「仙台。これから用事を済ませて、そちらへ向かっても夕飯《ゆうめし》には間に合うと思う」
「了解。じゃあ、コッチに着いたら連絡してくれ」
「泊まりはいつものところ?」
「事務局がご推奨の丸の内ホテル、いつもと同じ」
「分かった、じゃあ、あとでな」
通話の切れたスマートフォンをベッドに投げて、バスルームへ向かう。
この時代は身体を綺麗にするのに、水を使うことを知ったときには驚いたけど、たまには面白い。これを一生やるのは面倒だし、不衛生だけど。
シャワールームでシャワーを浴びてタオルで拭く。
せっかく身体を水で綺麗にしたのに繊維を身体につけてしまう。
乾燥装置がないから仕方ないけど。
事務局が用意してくれた、この時代風の服を着てみる。
現地時間で9月2日午後3時、この時代で言うところの『残暑が厳しい』気候だ。
カーキー色のズボンにブルーのシャツ、生成色のジャケット。茶色のスリップオン。
初めてこの時代の服を見た時には戸惑ったが、着てみるとさほど悪くない。
着るのは面倒だし、身体の覆われ方が不完全だが面白い格好だと思う。
古い時代のビデオアクターになった気分。
今設定している30代黄色人種の外見に、ほどほど似合っている。
今日は未だ何も食べていないので、食事をするためにホテルから出ることにした。
この年の東京に来たのは初めてだ。
前回訪れた1985年と比べて空が狭く、丸ビルと新丸ビルが縦に長くなっている。
この時代の建築様式は決まりが有ったかのように、どれも同じ作り。
スチールとガラスで表面が覆われている。
31世期からすると非現実的な作り。
この頃の建築技術では随分と手間がかかったと思うのだが、この時代の人たちはカッコ良いと思っていたのだろうか。
(続く)
MOH