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十六夜にかぐや姫 【一目惚れ】


 
 彼女の部屋に入るのは軽井沢合宿以来だけど、部屋の様子は変わっていないようだ。
 開け放たれた掃き出し窓から秋を感じさせる風がそよいで、気持ち良い。
 よく見ると机の上のMacBook横に、封を切った大判の封筒が積み重ねられている。
 何が届けられているのだろう?
 部屋の真ん中にある丸いローテーブルの周りに小さなヨギボーが4つ置いてある。彼女とユリさんがそこに座るので、僕もその一つに腰を下ろした。
 彼女が口を開きかけて躊躇ためらい、立ち上がって冷凍庫からガリガリ君ソーダ味をユリさんと僕に渡してくる。彼女はガリガリ君のファンらしい。

 改めてヨギボーに座った彼女は、何かを決した表情で僕の目を見ながら話を始めた。
「軽井沢合宿の時にね…」
 あの合宿のことは、僕の頭の中でも整理のついていないことが多い。何を話し始めるのだろう。
「3日目の朝、叔父さんが急に『東京に帰る』と言ったでしょう?」
 うんうん、お陰で最後が尻切れトンボな合宿になったけど。
「あの日、叔父さんは私の父と東京で会っていたの」
 彼女のお父さんが東京に来ていたとは知らなかった。
「それで、叔父さんは急いでいたわけか… 親戚に何かあったの?」
 兄弟同士でも歳をとると、親戚の御不幸とかがなければ、急に会ったりはしないはず。

 彼女が言い淀む。何かまずいことを言ったかな?
「エムさん、親戚ではなくて、ミワ(彼女)さんのことなんです」
 ユリさんが彼女の代わりに答えてくれたのだが『ミワさんのこと』と、言われると余計に分からないし、内容が気に掛かる。

 ユリさんの言葉の後を彼女が継ぐわけでもなく、その表情は何を話して良いのか迷い、口に言葉が出てこない様に見える。
「無理しなくて良いから、話せる範囲で話してくれる?」
 10割増しの優しい言い方(当社比)で話しかけると、彼女がようやく口を開き、軽井沢合宿最終日以降に起こったことを話し始めた。

 ことの始まりは、彼女がブライダルショーに出演した時のこと。
 時期的には、お狐さま騒動あと、7月にさかのぼる。

 彼女がドレス姿で、ブライダルショーのステージを歩いていると、ショーを観に来た結婚予定の来場者の中に、男性の一人客がいることに気がついた。
 ブライダルショーはカップルで観にくる人がほとんどで、彼女はステージから観客席を見ながら不思議に思ったそうだ。
 その日は何事もなく、8月に入りお盆休み〜軽井沢合宿となったわけだが、合宿3日目の朝早く、彼女は叔父さんから起こされた。

「お前、お見合いをするのか?」

 彼女を起こしに来た叔父さんがいきなり聞いてくる。
 目を覚ましたばかりの彼女は、叔父さんが何を言っているのか分からない。
「叔父さん、二日酔い?」前の晩、酔っ払った叔父さんをエムくんが部屋まで連れて行ったのを思い出した。

「さっき、兄貴(彼女の父親)から電話が掛かって来て『東京に来たから会いたい』と連絡があったんだ」
「お父さんが東京に来ているの?」
「お見合いの件で相談があるそうだ」叔父さんは朝早く電話で起こされて、機嫌が悪そう。
「ちょっと、ちょっと待ってよ! 誰がお見合いをするの!?」
「兄貴の子供は、おまえしかいないだろう? 他人の見合い話で東京に来るほど、兄貴も暇じゃないぞ」叔父さんは面倒くさそうな顔をしている。

「どういうこと? しばらくお父さんと話をしていないけど… この前お母さんと電話したときも、そんなことは言っていなかったよ」仲の良い両親だから、父親が勝手なことをするはずがない。
「話を聞いたばかりだから俺も中身は知らんさ。俺は一応こっち(東京)の保護者だろう? 兄貴に頼まれて引き受けたから(おまえが)東京に出て来られたわけだし。相談があれば保護者として聞かないわけにはいかんだろう?」
「それは、そうだけど…」
「分かったなら、さっさと東京に戻る準備だ。ユリちゃんとエムくんも起こしてくれ。今6時か… 7時に出発するぞ」

「それで、急な帰京になったわけか」
「そうなの。今まで黙っていてゴメンナサイ」
 今日の彼女は、いつもとは違い、しおらしい。
 僕の方からコメントすることはなく、謝る彼女にうなずくと、その先を説明し始めた。

 彼女の父親が持ってきたお見合い話は、家にとっては良い縁談。彼女にとっては微妙。
 7月に1人でブライダルショーを見に来ていた男性は、親しい友人のカップルに付いてきたそうで、そこに出演していた彼女に一目惚れしたらしい。
 ショーが終わってから、彼女が所属するエージェンシーに彼女のことを問合せしたとのこと。
 エージェンシーも個人情報に関わることは表に出せないが、Webサイトで公表している内容は隠せない。その男性は公開情報を元にネットで調べてみると彼女の実家の会社が自分の実家と取引がありそうなので、実家を通じて彼女の父親に縁談を申し入れたとのこと。

「世の中にそんな一目惚れってあるんだ」彼女の話を聞いていて思わず口にする。
「エムさん、それはチョット他人事ひとごとじゃないですか」ユリさんに諭される。
 いや別に他人事と思っているつもりはないのだけど。
「でも、なんでそんなに回りくどいことをしたのかな? そんなに惚れたのなら、直接本人に玉砕覚悟で会いに行く手もあると思うけど」
 当たり前のことを言ったつもりだが、彼女は困った顔をし、ユリさんはイラッとした表情に変わる。
「ミワさんが、知らない他人からいきなり言い寄られても平気ですか?」
 それはイヤだけど… 返答に困っていると、彼女がその先を話し始めた。

 彼女に一目惚れした相手は、関西にある老舗卸問屋の長男。御堂筋一郎、29才。現在大手食品専門商社に勤務しており、30才で実家に戻り家業を継ぐことを親と約束している。
 御堂筋一族は跡取りのことを前々から気に掛けており、一郎が学生の頃から度々縁談話を持ってきていたのだが、当の一郎は今まで縁談を断ってきた。
 その一郎が自分から結婚したい相手を見つけたと言うので一族郎党大騒ぎ。御堂筋家は興信所を使い、彼女と実家のことを調べ、彼女の実家が地方の商事会社を営んでいることが分かり、御堂筋家とも商流を辿れば浅からぬ縁があることを知り、御堂筋家が彼女の実家に縁談を申し入れたそうだ。
 彼女は一人っ子なので両親は驚いたが、大きくはない商事会社の行く末を考えると悪い話ではなく(地方経済の先細りを考えると関西大手の卸問屋との合併も悪くはない)、彼女は大学に入ったばかりなので、とりあえずお見合いをして、良ければ婚約し結婚は卒業してから、と考えているらしい。

「なんだか知らない間に、凄い話になってるね」あまりにも自分とは縁遠い話なので単純に驚く。
「エムさん、それが他人事ひとごと発言です。目の前にいるミワさんが困っているのを見て分かりませんか? 私はこの話を聞いた時『令和なのに江戸時代の話!?』って、驚きましたから。ミワさんのことが気になって気になって、3日続けてボンディのビーフカレーを食べてプリンまでオーダーしたから大変ですよ」
 そうか、ユリさんの実家、古書店は神保町だった。そういえば半月ぶりに会うユリさんの顔がふっくらとして見える。だからザックリとしたコットンセーターを着てきたのか。その見立ては間違ってはいないと思うが「体重増えた?」なんて、間違っても口に出せない。そもそも彼女のお見合い話と、ボンディのカレーは関係ないと思うのだが。

「ユリさんのカレーの食べ過ぎはともかく、(ユリ「なんか言い方が冷たくないですか?」)いや、ユリさんは(体重が)大丈夫だと思うだけ。それで、もうお見合いをしたの?」
 彼女とユリさんが顔を見合わせる。また間違ったことを言ったのか?
「エムさんは、にぶ過ぎです。お見合いをした後なら、ミワさんがわざわざ相談をしたりしません」
 そう言われればそうだけど、今日のユリさんは圧が強い。カレーとプリンをたくさん食べてカロリーが余っているのか?

「これからお見合い?(彼女がうなずく)その前に『相談がある』ということは、お見合いの進め方? お見合いはしたことがないからアドバイスは出来ないけど」
 ユリさんが小柄な身体(豊かな胸元)をテーブルの上に乗り出す。
「(ヘタレな)エムさんに、お見合い経験がないのは分かっています! 未経験者のアドバイスではなくて、親が勝手に進めているお見合いをぶっ壊す相談をしたいんです!」
 ユリさんから怒気を含んだ発言に、彼女も僕も驚く。17才という年齢は無敵なのかも知れない。
「ユリちゃん、私、そこまで言っていないわ。確かに突然のお見合い話で困ってはいるけど、叔父さんから聞いた話だと、無下にも出来ないし…」困惑表情で歯切れが悪い。
 彼女が叔父さんから聞いた話をポツリポツリと始めた。

 軽井沢夏合宿から東京に戻り、叔父さんは僕らを合宿所で降ろし、彼女の父親が待つ都心のホテルに向かった。
 待ち合わせ場所のホテルに入ると、ロビーで待っていたのは叔父さんの兄(彼女の父親)だけではなく、初めて見る青年が側にいた。御堂筋一郎である。
 3人はラウンジに入り、お互いに自己紹介をする。
 叔父さんの見立てでは、御堂筋一郎は好青年。ハキハキとした話し方で朗らかな表情を絶やさない。上背もあり、学生時代はゴルフ部の部長をやっていたそうだ。
 叔父さんが『なんで彼女?』と聞くと『ステージの彼女を見て運命を感じた』とのこと。『同じ東京にいるのだから、なぜ自分からアプローチをしなかったのか?』と聞くと『全く接点のないサラリーマンが、10才年下の女子大生に話しかけて不審に思われたらそこで終わりますから』と説明された。

 叔父さんの説明を彼女から又聞きする限り、特におかしいことはない。
 コメントのしようは無く黙っていると、この話を聞くのが初めてではないユリさんが口を開く。
「ミワさんから初めてその話を聞いたとき、私『一郎さんって人、大丈夫?』って言っちゃいました。だって『ステージの彼女を見て運命を感じた』なんておかしいと思いませんか? 遠目に見る異性に運命を感じていたら、私なんて毎日が運命だらけで、人生が何回あっても足りませんよ」
 ユリさんは高校で交際範囲が広いのかな? 言うことも分からないではないが。
「でも、一目惚れってそんなものかも知れない。本人のことを何も知らないまま、見ただけで好きになるのだから。一種の憧れ?」
「アイドルを見て憧れるのは分かります。でも、そのアイドルとお見合いをしようなんて思いませんよね」ユリさんの言うことは真っ当。彼女から相談されて、ユリさんなりに今までいろいろと考えていたようだ。

「たしかに、憧れと実生活は全く違うから、一郎さんって人は、憧れを手元にたぐり寄せようとしているのかも」欲しいものは何としても手に入れたい人なのかも知れない。
「エムさんは、やっぱり他人事ひとごとにしか思っていないのかなぁ。寝食を共にしているミワさんが網に掛かったお魚さんのように捕まりそうなんですよ。捕まらないためには網を破るしかないじゃないですか」

『寝食を共にしている』という表現には語弊があるが、妙に説得力のあるユリさんの言葉を黙って聞いていると、ユリさんと僕の話を聞きながら窓外に目をやっていた彼女がこちらを向き、口を開く。
「先月、叔父さんから話を聞いて、私自身どうして良いかまだ分からないの。結婚なんて今まで考えたこともなかったし」入学して半年足らずの大学生が、結婚のことなど考えるはずがない。

「でしょう? この合宿所にいる研修生が目指すのは結婚ではなくて『小説家』になることです!」週末限定研修生、ユリさんの真っ当な発言が続く。

 『小説家』の言葉に彼女の瞳がキラリと光り、ユリさんの顔を見て、2度3度と大きくうなずく。
「そうよね。私、今まで何、考えていたんだろう。そうよ!『小説家』になるために東京に来たのだから、『家』のことを気遣って隠居するには早すぎるわ」
 今までうつむき加減だった彼女がスッと背筋を伸ばし、表情がパァッと明るくなる。
 これまで見てきた、彼女の明るくて伸び伸びした雰囲気を醸し出す。
 その様子がこちらまで伝わってきて嬉しくなるけど、結婚って隠居なの?

「良かったぁ。やっとミワさんもその気になってくれました。それでは『ミワさんを婚約させない大作戦』を練りましょう!」
 ユリさんはトートバッグからiPadを取り出して、彼女と僕に『大作戦』の概要説明を始めた。

(つづく)