世の中の安全さと寂しさを切り取る

久しぶりの松屋で雨降りだったけど心は踊りまくっていた土曜の夜。

松屋に着くと、奥に若い兄ちゃんが3人くらい2席を陣取って座っていた。
気にしないで牛飯のカレー追加を味わっていた。

ふと何処かから「チーン」と店員さんを呼ぶベルが鳴る。
店員さんが出ていくけど誰も反応しない。

兄ちゃんテーブルから小さな笑い声がしてきた。
「あ、出た」と私の低い小声を聞いて隣の夫が怯えている。

それから私がいるうち3回。
「チーン」→「クスクス」→ 「チーン」→「クスクス」→ 「チーン」→「クスクス」
店員さんのトーンも下がる下がる。
それでも楽しそうに2席を陣取る兄ちゃん。

牛丼屋は回転率重視だから食べ終わったら帰っていただきたいのに、スマホから大音量で音楽流したり楽しそうに過ごす兄ちゃん。
久しぶりにここまでする人達に出会った。

彼らはきっと自分達はあの松屋の主役になったつもりでいたのかもしれない。

でも、彼らは完全にあの店で一番の空気だった。

店員はあくまで事務的に対応していたし
他のお客も彼らが何をしていても表情変えず黙々と食べてサッと出ていく。

「ほら!俺たちすごいだろ!こんなこともしてるんだぜ!」
とアピールしているのに、誰も彼らが見えない。

多分、兄ちゃん達みたいに“自己アピールする若者“はいつの時代もいた。
(でも行儀の悪い行為は遺憾です)
でも、彼らを瞬時に空気にしてしまう周りの光景は今の時代そのもの。

いつからだろう。
迷惑だから無視をする。
関わりたくないからなかったことにする。
世の中に物騒な事件が増え、それを防ぐために誰もが口を開かなくなった。
でも、ネットの中ではいつも誰かが誰かを見ていて注意するタイミングを狙っている。

今朝、母を送ってガソリンを詰めようとスタンドに寄って順番待ちをしていたら
給油終えた車が勢いよく飛び出してきてクラクションを鳴らした。
場所的にどうすることもできないから、少し寄せて手で「先にどうぞ」と合図をしたのだけど、車の窓から思いっきり睨みつける運転手。年の頃30代後半男性。同年代かよ。
私は意味がわからないのでは?みたいな顔になっていたと思う。
道路に出てからもこちらを見ている運転手。

多分、あれは車の中という安全な空間だからしていること。絶対降りないし猛スピードで道路に出たもの。

守られている安全な場所から怒鳴るその声はいつも届けたい人には届かない。
裏を返せば、だからこそ見なければ知らなくて傷付かないって場合もある。

それはきっと世の中から交換日記が無くなって、LINEグループができたようなもの。
新しい何かが生まれて、古い何かは無くなっていく。

それを寂しいと思うけれど、私だって実際今この記事をiPadでイヤホン繋いでサブスクでAdoの『踊』を聴きながら書いている。
すっかり時代の便利さを謳歌していた。
Twitterで昨日の出来事を書き込んだりしたし。

安全な場所で自分の気持ちを表に出すことができるようになった。
昔、ノートに書き込んでは捨てていた思いを、今はnoteで書いてみんなに見てもらえるということ。

牛丼屋の風景も、ガソリンスタンドの風景も、どんどん変わっていくだろう。
それは人がどんどん便利になって、安全になるということ。

その安全さ、使い方を間違わないようにしたい。

昨日松屋で頑張っていた寂しい兄ちゃん3人は、そう考えたら随分アナログだったんだな。
寂しさはそれなりの所で埋めてね。

最終的に店を出る際、こちらに身を乗り出してアピールした兄ちゃん。
夫が振り向くと急に目を逸らしてしまった。
「睨んだらこっち見なかったよ。喧嘩くらい売られるかなって思ったのに」

よく見たらこの日の夫の顔は、もう1回何処かで何かやらかしてきたみたいに殺気立っていた。アナログ方式で若者を黙らせた。流石である。

アナログな夫のお陰か、牛飯もカレーも美味しかった。

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