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「素敵だね」な私達

息子が女の子に人気の“すみっこぐらし”のTシャツを見て「可愛いね」と言った。
「欲しいの?」と聞くとしばらく考えて「いや。いいよ」と答えたので
「いいんじゃない?君の好きは誰にも邪魔できないよ」
と伝えた。

娘が「みんながプリキュア好きって言うから私もプリキュアを好きにならないと」と言った。
ちなみに娘はプリキュアが放送する日曜の朝はKing&PrinceかSnowManのPVを見ている。
自分の好きなことが周りと共感し合えないということに不安を感じて、周りの色に染まろうとしていたのだと思う。そんな娘に
「自分の好きなものもお友達の好きなものも違っていいし、自分が知らないものを好きになろうとするのも素敵なことだよ」
と伝えた。

私自身が子供達をあまり“幼い”と見てこなかったからか、子供達は自分で自分の好きなものを見つけてきた。
そして好きなものをとことん大事にしている。
息子は特性から博士バリに詳しくなっているし、娘は友達の好きなものを認めて知ろうとしていた。

2人ともとても素敵だと思う。

息子が自分の知り得た知識を存分に披露してくれる時も、娘がSnowManのダンスを必死に覚えて披露してくれる時にも、私は決まって「素敵だね」と言ってきた。
彼らが興味を持ち、熱心に取り組む姿を心から素敵だと思うし、それを「偉いね」と言うより「素敵だね」と伝えたかったから。

そんなことを続けていたら、子供達もそれぞれに「素敵だね」を使うようになっていた。

「〇〇ちゃんがお友達を助けていたんだよ。素敵だね」
「〇〇くんはなわとびが上手なの。素敵!」

誰かの素敵なことを見つけて、率直に伝えられる癖を身に着けている子供達。
こうゆう感情を持てることは決して悪いことではないと思っている。

よく“自分に出来ないことを子供にさせるな”や“子供に自分の理想を押し付けるな”という話を聞く。
そりゃ確かに過剰な期待や自分が出来なかったことを子供に無理矢理させようとは思っていない。
しかし、自分が出来ることだけを許容していたら随分狭い世界になってしまうし、期待をすることがすべて悪いことではないと思う。

子供達がやってみたいことに積極的に関わったり、得意なことをもっと突き詰めていけるように肯定してきた。
子供達と私は違う人間で、彼らは立派に人間として自分なりの選択を始めていることを認めていきたいと思う。

しかし、許容して尊重し続けたことでちょっとおかしなことになったエピソードもあった。

娘が夫と何やら真剣に話し込んでいて「おっ!これは素敵だねって言うタイムか?」と思い聞いていたら、娘の口から衝撃的な言葉が飛び出した。

「ドロボウさんはね、サンタさんを狙うといいよね」

本能的にヤバイと思った。そこ、素敵出せない。
ここで、自称・サンタさんと知り合いな夫が娘に言ったのは

「狙うのは良いけど、サンタさん、飛べるんだよ?」

いや、そうなんだけどさ…。
そんな夫のご意見に対して娘は真剣に

「そっか…よかった」

と答える。サンタさんの心配してたの?さっきまでドロボウ派じゃなかった?

母は一言も言えないまま、2人は深い夢の中へ旅立って行った。

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