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いつか、優しい世界へ

「息子さんと向き合っていてお母さん偉いね」と言われた時、私は何だか心臓の億当たりがギューッと苦しくなる。
息子のことは大好きだ。我が子であることは勿論だけど、何といってもいいヤツだから。
息子の存在や言葉に救われていることも沢山ある。

しかし、息子との日常は”幸せ半分苦しみ半分”だと思う。
特に息子が小学生になってからは、とにかく苦しいと思わない日がないくらい悩みが湧き出てくる。
その度に大声で泣きだしたい気持ちをぐっと堪えながら母をやり続けてきた。

「学校とは集団生活を学ぶもの。みんなと一緒にできなきゃね」という概念は多様性という言葉が浸透した今でも根強く残っているなと感じた。
息子は普通学級の中で連日動けず授業もまともに受けられないため授業中に出たプリントを宿題と一緒に持ち帰ってくる。

ここで「家なら一人で出来る!」なら最高だけど、モチのロンで息子は自分から宿題をすることはない。
一人で机に座って4分とせずあちこち動き回り、興味のある方へ向かっていく。最後は寝落ち。
大人がみっちり付いている必要がある。

しかし、大人にもそれぞれにも事情がある。
仕事に家事、寄り添ってあげたいが余裕がない。
「子供に寄り添って自分を犠牲にするのが親の美徳」なんて言う人もいるけど、それは経済的にも余裕があるごく一部の人じゃないかとも思えた。

娘の保育園迎え時間を遅らせて、仕事から帰った後ソッコーで一緒に机に向かうけれど、息子は突っ伏したり時には泣いたり怒ったりしてどんどん時間が過ぎていく。

キミハ ナニヲ シテルンダ?

腹の底から何やら熱いモノが吹き出そうになるのをぐっと堪えて冷静に声をかける。
それでも納得できない息子が「僕なんかいなくなればいいんだ!!」と言い出す。

…ナニソレ。それは言ったらあかんやつだよ。

涙がこぼれないように眼球に力を入れる。涙腺をギュッと締めて絶対に泣かないと決めるタカチセ。
部屋にはパニックを起こして泣く息子と、真っ赤な顔をしたタカチセ。随分カオスな光景である。

自分が学生時代より宿題が辛い。

学校が息子のためにしてくれていることも理解している。
しかし、一向に集団行動に参加できないだけでなく苦痛と感じている息子にどうして普通学級で頑張れと言うのだろうか。
学校としての都合もあるのかもしれない。
しかし、息子の心が壊れていくのを見ているのは正直辛い。

もっとゆっくり生きさせてほしい。
息子も、私も。

そんな心の叫びはなかなか届かない。
4年間届くことのない葛藤は今も続いている。

先日、上司が貸してくれた本に共感した。

作者であるまゆんさんの息子さん”太郎くん”は自閉スペクトラム症。
太郎くんのように知的能力が比較的高い人を”高機能自閉症”や”アスペルガー障害”と呼ぶこともある。
息子と過ごしてきた7年間を振り返り、辛かった時の事やその中にあった息子なりの優しさを思い出して泣いた。

”やさしい世界”と書いてあるけれど、自閉スペクトラム症は当事者もその家族も沢山の戸惑いと葛藤の中で生きている。
それをどう捉えるのかで世界の見方は変わっていくと思う。

2年生になり、生きづらさが加速している息子。
先日は担任の先生に「みんなと同じにやりたいのにできないのが辛いよ」と言ったらしい。
周りのことが理解できるからこそ、息子はどうにもならない自分に苛立ち悲しんでいた。

宿題に取り掛かれず、突っ伏して泣く息子にどうしてあげることが最善なのだろう。
そして、息子の姿を見て悲しい気持ちにならないために自分自身をどう持ち上げていくのが最善なのか。
その答えは、まだ見えない。
まだ私は泣いているし何なら怒っていることだってある。

今週、息子はいよいよ心理検査を受ける。
検査を受けてこの先の見通しが立てられるかもしれないという、安堵の気持ちが正直なところだ。

いつか、親子で安心して生きられたらいいなと思う。
そして、息子の未来が希望あるものになってくれたらと願っている。
息子の生きる世界が優しいモノでありますように。
そのために、母は踏ん張る。踏ん張っている今を記録としてここに書いていこう。

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