『隻眼の邪法師』 第11章の9

<第11章:暴かれし荒野 その9>

「その後もこの者は何度もアルデガンに書状を送ろうとしたが、ほとんどはわしが阻んだはずじゃ。その後アルデガンに書状が届いたことはあったであろうか?」
 かぶりを振ったグロスに頷くと、アルバは言葉を続けた。
「無論そのたびに翻意させようとはしたが、この者は決して考えを改めなんだ。なにがなんでも自分の得た成果の価値を知らしめて、人間の栄光に寄与するが目標であるというばかりであったのだ」
「そこまでこだわる理由は、いったい?」
 アラードの問いに老修道士は逡巡の色を見せたが、目覚める気配のないオルトの顔をうかがうと、声を潜めてこういった。

「……あくまで推測でしかないが、この者は王族に連なる者ではないかとわしは踏んでおる」
「王族ですって!」
 思わず声を上げたアラードを手で制し再び少壮の院長に視線を向けるアルバに、グロスが囁きかけた。
「いかなる理由で、そう思われるのであろうか?」
「激したやりとりの中でただ一度、この者がミルチャと口走ったことがあったのだ」
「ミルチャ……。なんのことですか?」
「西部地域の王家だった一族だ。三十年前の内乱であるいは殺されあるいは離散し、幼子までもが各勢力に旗印として担がれたあげく、あたら命を散らしていった。そんな中でどれほどの村々が灰燼に帰していったことか……」
 アラードの問いかけに答えたボルドフの口調は苦々しげなものだった。赤毛の若者は思い出した。かの地の村を故郷とする師がその後の長き混乱の中で一度は従軍したものの、民を巻き添えに果てしなく続く内乱を嫌って脱走した過去を持つことを。そしてこの当代きっての剛剣の巨漢は大義ある戦いを望み、アルデガンにおける魔物との闘いに身を投じたのだ。

「ではオルト殿の目的は」
「……おそらく魔法研究によって救世の名声を得て、それを足掛かりに一族の再建を望んでおるのではと思う。そう考えれば得心のゆく点が多々あるのだ」
「でも、なぜアルデガンなのでしょう。どこかの国の助力を得るという道もあったのでは? あのガラリアンのように」
「それではその国の傀儡として担がれるだけだと考えたのだろうな。王位を簒奪され謀略に翻弄された一族ならそう思っても不思議はない。近年こそノールドとの関係が深かったとはいえ、本来アルデガンはまがりなりにも諸国の協力のもと魔物を滅するべく建立されたもの。特定の国に属するものではないだけに、安全の面でも大義においても申し分ない後ろ盾と見えたろう」

 そうアラードに答えると、ボルドフはアルバに向き直った。
「だがそうならば、アルデガンが破られたとの知らせは院長殿にとってこの上ない凶報だったことになるが?」

 頷き返したアルバがオルトに向けたまなざしは沈痛としかいいようのないものだった。
「その知らせを聞いたときのこの者の様子たるや言葉にするのも忍びない。あのときまでわしはこの者にとって、それがどれほど人生の重要事であったかわかっておらなんだのだけは確かじゃ。飲まず食わずで目も虚ろなまま、何日部屋に籠もっておったであろうか。目的も支えもなにもかも奪われ、人生そのものへの関心を丸ごと無くしておるのが傍目にも明らかじゃった。この者が自決せなんだのはそうする気力さえなかったからに相違ないとわしは思う。ともあれようよう食事だけはとれるようになったとき、見かねたわしは院長の地位を譲った。そんなものがこの者に意味など持たぬことはわかっておったが、たとえ目先の雑事であれ、虚ろな日々の埋め草がこの者には必要としか思えなんだ」
「ずいぶん院長殿に思い入れしておられるようだが、なにか共感するところでもおありなのか?」

 ボルドフの率直な問いに、アルバは無言のまま小さく頷いた。その顔がやにわに老いの翳りにやつれたように、赤毛の若者にはなぜか思えてならなかった。


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