ワイセンベルクのドビュッシー(MUSE2022年3月号)

 前回に続いてワイセンベルクの話題ですが、あれから彼の録音歴を調べると、DGへの録音は独奏曲のアルバム4点しかなく、僕がDGへの録音だと思いこんでいた小沢のガーシュインアルバムにおける『ラプソディー・イン・ブルー』の独奏はEMIへの録音でした。DGへのバッハ、スカルラッティ、ラフマニノフ、ドビュッシーの4枚ともどもCDが登場して間もない80年代の録音です。
 この4枚のうち彼の姿勢が端的に表れたものとして注目したいのがドビュッシーです。85年に収録されたこのアルバムは68年にRCAから出たやはりドビュッシーアルバムに続く2枚目にあたるものですが、なんとワイセンベルクはこの旧アルバムにて取り上げた曲目全てをDGへの再録音にも収録し、3曲から成る『版画』を冒頭に加え曲の並び順を変えて新たなアルバムとしているのです。
 膨大なピアノ独奏曲を遺したドビュッシーですから、再録音の機会があればまだ録音したことのない曲を選ぶケースがほとんどで、せいぜい得意曲を数曲添える程度だと思うのですが、それらに目もくれず前回の曲を全部録音しなおすなどというピアニストを少なくとも僕はワイセンベルク以外に見たことがありません。ならば旧録音が気に入らないから発売を差し止めようとしたのかといえばそんな噂も耳にしたことはないですし、確かめたくても旧録音は現在店頭から消えています。強いていえばピアノのソロアルバムはリサイタルのように曲順を組まれることが多いので、LP時代の旧録音は表面・裏面を意識した曲順になっていたかもしれず、CDという新たな器を得て構成を変えたのが再録音での工夫の一つだった可能性はあります。まあこの点はピアニストというよりプロデューサーの意向の方が大きかった可能性もありますが。
 ただこのDG盤を聴いて痛感するのは、CD最初期だからこそ録音の優秀さをアピールするアルバムでもあること。音の強弱の幅が広大で、コンサートグランドの威力が実感できる凄さです。そんな器をワイセンベルクは粒立ちのよい弱音から胴鳴りに圧倒される最強音までフルに満たし、ドビュッシーの楽曲が秘める力を解き放っているのです。こんな収録はアナログ旧録音では難しかったのではないでしょうか。ピアニストと録音陣双方の技術力に支えられ、即物主義と呼ばれる表現思潮のめざす境地が最善の形で実現された例の一つに数えられると思います。

 悲しいことにワイセンベルクはこの数年後にパーキンソン病を発症し、四半世紀に及ぶ闘病の果てに2012年に亡くなったのだそうです。僕にとって生涯忘れられないピアニストの一人です。

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