ピアニスト2題(MUSE2022年2月号)

 今回はいただいた投稿で取り上げられた、2人のピアニストについてです。

 一人目は既に実績のある身でショパン・コンクールに参加した反田恭平さんが、なぜ今コンクールに出たのかと問いかけた日本人インタビュアーに答えた、自分にはアメリカのジュリアードやバークレーのような音楽院を日本に作りたい夢があり、コンクールに入賞すればその実現に役に立つと考えたという話についてですが、彼の話を紐解く鍵は音楽学校を、それも既存の日本の音楽大学のようなものではなく、アメリカのようなものを日本に作りたいというところではないかと思いました。音楽・芸術系に限らず日本の大学は欧米のそれらに比べて入学するのは厳しいが卒業するのは易しいと長らくいわれ続けておりますが、確かに日本人がコンクールに注目するとき、難関に挑戦して高い成績を示したこと自体が評価され、その後の学びや研鑽の内容までは関心が続いていかないところが多々あります。東大に受かったことで話が終わってしまい、そこで何をどう研究したかまでは話が続かないことと同じように。その結果、日本でコンクールの入賞者が話題になるときはより年少者が注目されがちで「入選あるいは優勝という成果をより若い年齢で勝ち取ったから凄い」みたいな話題にどうしても引っ張られる傾向を感じます。そしてそうしたスタートを切った演奏家は、若いうちこそその余波でもてはやされるものの、若さを失うにつれて関心が失われがちで、その後の研鑽の過程を見守り続けてくれる人となると限られてくるというのが実態のように思えます。忘れる側の我々は気楽なものですが、日本におけるコンクールの語られ方を見ていると、なまじコンクールで注目されたばかりにその後の反動に苦労している演奏家も多いのではとも思うのです。
 今回の記事も「なぜ若くもなく実績もあるのにコンクールに出たのか」という問いかけ方をしているわけですが、ショパン・コンクールがそんな彼を応募資格外とはねつけていない以上、コンクール側はある程度年長者でそれなりの実績を積んだ者が研鑽の成果を披露することも可としているのでしょうから、少なくとも地元ではそのことが大した話題になることもないはずで、彼の内心では我が国では反則っぽく見られがちであることを知りながらというより反則っぽく見られる風土自体に異議があるからこそ、外国のような考え方の音楽学校を作りたいという目標へと繋がる行動と意識されているのだろうとも考える次第です。

 お二人が話題にされたワイセンベルクについてですが、僕にとってこの人は、中学時代に初めてピアノ独奏曲のLPを自分で買った懐かしいピアニストです。それはムソルグスキーの「展覧会の絵」とラヴェルの「クープランの墓」を1枚に組み合わせたアルバムで、先にラヴェルによる管弦楽編曲版で聴いていた前者の原曲と、編曲者ラヴェルのピアノ独奏曲という筋の通ったカップリングに惹かれて選んだのでしたが、特にラヴェルが美しかった! 後から振り返ればいわゆるフランス風からは縁遠い演奏でしたが、まるでデザインの秀逸なクリスタルの器でも見ているような硬質の美しさで、とにかく形自体が美しいと感じ入ったものでした。オーケストラによる演奏をいくつか聴いていた「展覧会の絵」もそれらのような外付けの表情をいっさい感じさせない演奏で、僕はしばらくの間、ピアノで弾いているからこういう音楽になるのかと誤解したほどです。協奏曲はカラヤンとの組み合わせが数としては多いものの、それでもショパンの2曲の協奏曲をはじめとするピアノと管弦楽の作品集ではショパンと同郷の指揮者スクロヴァチェフスキーが起用されていたのでしたが、カラヤン以上にスタイリッシュな印象だったこの人でさえワイセンベルクの独奏に比べれば表情的に聞こえたほどで、ましてカラヤンなど同じ完全主義という形容で語られようと、ワイセンベルクほど徹底していないと感じたものです。おかげで彼の協奏曲録音は、普通なら伴奏より独奏が表情的に語りかけてくることの多いこのジャンルの通例とは逆に、伴奏以上にスタイリッシュで崩れも緩みもない独奏という佇まいを脳裏に刻み込んだものでした。
 これらのEMI録音の後、デジタル時代に入ると彼はDGに移籍して独奏曲中心に録音を発表してゆきましたが、EMI時代でも若手とは呼べなかった彼にとっては生命線の技巧的な完全性を保ちづらかったのか、いつしか録音活動から遠のいてゆき消息を聴くこともなくなってゆきました。全盛期などはるかに過ぎても演奏活動を続けたケンプと比べてそれも彼なりの道だったのかもしれないと、訃報に接した際にはしみじみ思ったものです。
 今も手元にあるそのLPは、いつの間にか傷も耳につくようになりました。それでも当時に出会った音楽が歳月を越えてそこに刻まれているのも確かなのです。

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