転換点の交響曲 「宗教改革」小論 前編(MUSE2018年2月号)

 かつて大指揮者トスカニーニはメンデルスゾーンの交響曲では「宗教改革」が一番好きだといい、彼がモノラル時代にものした録音は当時まだ少なかったこの曲の代表盤としての地位を長い間保つものでした。今回はこの曲について少し書いてみたいと思います。

 この曲はメンデルスゾーンにとって2番目の交響曲でしたが、3番目にあたる第4番「イタリア」共々生前には出版されませんでした。交響曲作曲家としてのメンデルスゾーンは15歳で作曲した第1番と、若すぎる晩年に発表した第2番「賛歌」と最後の第3番「スコットランド」の3曲を発表した作曲家でもあって、「イタリア」も「宗教改革」も世に出たのは没後でした。生前のメンデルスゾーンは交響曲において、むしろ古典的な形式からの離脱を試みる改革者としての顔を見せていたのです。
 彼が20歳のとき書いたこの「宗教改革」という曲がルターの偉業を讃える式典で演奏するため書かれたものであることはよく知られていますが、LP時代の解説文では式典が開かれなかったため初演の機会を失い、改作された後に初演されたというものがほとんどでした。けれど最近の研究では、式典は開かれたものの作者がユダヤ人であったため、式典にふさわしいものとみなされなかったという説が有力になっているそうです。

 このことを考える上で重要なのは、ドイツに暮らすユダヤ人としてのメンデルスゾーン一族が辿ってきた足跡です。フェリックスの祖父モーゼスは啓蒙思想の流れを汲む哲学者であり、たとえキリスト教徒のただ中で暮らすのであれ、ユダヤ教徒にも信仰やアイデンティティを保ちつつキリスト教社会の中で生きる権利はあるとして市民権や信仰の自由が与えられるべきと説く思想家でしたが、その息子にしてフェリックスの父アブラハムはユダヤの出自を捨てずにキリスト教社会にとけ込むことは不可能であると考え、プロテスタントのルーテル派にまず子供たちを改宗させ、その後に自身と妻も続いたのでした。父モーゼスが貧しい身から独学で当時の代表的な思想家にまで身を立てたのに対し、兄とともに銀行を設立した息子アブラハムは一族を守る立場に立たされた分より現実的な対応を迫られた面もあったのでしょう。その上アブラハムはメンデルスゾーンという姓を捨てようとして親戚が住んでいる土地にちなんで名乗っていたバルトルディという姓に自分たちも変えようとさえしたのでした。一代で財をなした父も子も、にもかかわらずそれほどの圧力を感じて生きていたということが窺えるエピソードですが、それが不当だと正面から主張したモーゼスとは逆にアブラハムは信仰もアイデンティティも捨てるしか生きる道はないと感じていたのでしょう。父の側で差別にまともにさらされていた息子は、父が自分にしてくれなかったことを自分たちの娘や息子たちにはしてやらねばと信じていたのかもしれません。

 けれど彼の子供たちは、むしろ祖父の理想にこそ共感を覚えていました。彼らは父親の手前バルトルディの姓も名乗るようにはなったものの、ユダヤ的なメンデルスゾーンの姓を決して隠そうとはしなかったのです。今の我々がしばしば目にするメンデルスゾーン=バルトルディという表記にはそんな由来があるのです。だからフェリックスにとって、自らが改宗したルーテル派の祖であるルターにちなんだ式典に自作を発表するのは、ユダヤ人でもキリスト教社会の一員たれると説いた祖父の理想の実践としての意味があり、20歳の青年は前作よりはるかに手の込んだ力作で臨んだのでした。にもかかわらずこの曲は採用されなかったのみならず、その2年後に恩師ツェルターの死によって空席になった同じベルリンにおけるジンク・アカデミーの指揮者を選ぶ場たる演奏会において自らの指揮で初演しながらも選出されなかったのでした。このとき彼の姉と妹がその結果に抗議してアカデミーの会員を退会したといいますから、少なくとも彼らにとっては理不尽きわまりないものだったようで、しかもどちらの場合も勝者の作品が今の世には伝わっていないのは歴史の審判といえるのかもしれません。
 そんな苦杯を舐めさせられた体験はフェリックスを深く傷つけたらしく、その後この曲を彼が演奏することは二度とありませんでした。にもかかわらず、彼は時にはこの曲を破棄したいと漏らしつつも何度も改訂し続けたのでした。のみならず次作となった今では最大の人気作たる「イタリア」や「スコットランド」も果てしない改訂を経ることとなり、その結果「イタリア」は「宗教改革」ともどもついに生前には出版されず「スコットランド」も完成に13年もの歳月を費やすことになったのですから、いかにメンデルスゾーンの受けた打撃が大きかったかが偲ばれます。

 ともあれ我々が通常耳にする「宗教改革」は彼が改訂し続けてきた最終的な形に基づくもので、「イタリア」や「スコットランド」などと同様あとになるほど推敲を経ているのが聴き比べると実感されます。「スコットランド」の異版はシャイー/ゲヴァントハウスOによるデッカ盤が廃盤なのが惜しまれますが、有田正広/クラシカル・プレイヤーズ東京によるライブ盤が古楽器使用とあいまって聴きなれた盤との違いを際立たせていますし、「イタリア」ではガーディナー/ウィーンPOによるDG盤が現行版とより古い版を1枚にまとめた上で「宗教改革」の現行版も聴けるという貴重な1枚になっています。そして現行版では第3楽章と第4楽章を切れ目なく続ける「宗教改革」において、その間にカデンツァ風のブリッジが挟まれている旧版にはネゼ=セガン盤と村中大祐盤が出ているという具合で、近年のメンデルスゾーン研究の進展はこの人のイメージを大きく変えつつあるのです。

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