『隻眼の邪法師』 第12章の14

<第12章:修羅の洞窟 その14>

「なん……だと……?」
 絞り出すような相手の声にも、けれどグロスは臆さなかった。見上げた敵の顔は仮面に隠れていたが、その面には額から鼻まで縦にひび割れが走っていた。それは彼がリアに真の名を呼ばれた衝撃に取り落としたときの傷だったが、そんなことを知るべくもない白衣の神官はオルトとの戦いによるものだと、仲間が勇敢に戦った証だと思った。そんな彼の変わり果てた姿が瞼に浮かんだとたん、憤りが一気に突き上げてきた。憤怒にかられ気弾を敵の顔面に放ちざまに跳び退くや、躱しきれずに仮面を割られ素顔をさらしてのけぞる黒衣の魔道師にグロスは形見の石を高く掲げていい放つ!

「姉は赤子の私を狼から庇い死んだのだ! その尊さも知りえぬ分際で罪に穢れた手を出すな! 万死に値する咎人めがっ」
「まさか……そんな……」
 その呻きは、だが白衣の神官の耳に入らなかった。自分を凝視する右目や驚愕の表情よりも抉られた左目を中心に醜く歪んだ顔の印象ばかりが意識され、水源の村を全滅させオルトを無慈悲に殺した邪法師への怒りをかきたてるばかりだったから。気合いとともに放った気弾は敵が急に身を折ったせいで狙いが逸れたが、相手が血を吐いた驚きにグロスの集中が一瞬ゆるんだ。その隙に黒の術者は割れた仮面を拾い上げるや魔法陣の中へよろけ込み、吹き上げる赤光が瞬時にその姿をかき消した。
「逃げるか卑怯者!」

 駆け寄ろうとした神官を、だが悲痛な叫びが釘付けにした。
「オルト! ああ、なんたることじゃ……」
 振り返ったグロスの目が呆然と立ち尽くすアルバと、その前に積もった黒い灰を捉えた。


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 駆け込もうとした戦士たちの足を巌の巨人の影が阻んだ。床の魔法陣らしきものに身を屈め微動だにせぬ怪物に、剣をもがれた二人は唇を噛みつつも地獄の獄舎を見回し、先行した仲間たちの姿を求めた。だが目の届く範囲に人影はなかった。そして黒々と口を開けた牢獄の列のただ中で、ゴーレムの真後ろの牢獄だけが押し破られた鉄格子を床にさらしていた。その破壊された獄舎の奥から、再びあの幻聴めいた赤子の泣き声が聞こえてきた。

「まさか、師父たちはあの中に?」
「それにしては様子が変だ。戦った跡らしきものがない」
「やはり、あの泣き声自体が魔性の罠では?」
 アラードの言葉に頷くボルドフ。
「おまえも感じるか。あれは心を惑わす力があるようだ」
「ではやはり確かめるべきでは」
「だが油断するな。下手をすると挟み撃ちだ」

 頷きあうとグロスたちと同様ゴーレムの背後の壁伝いに通路を出たとたん、赤い光を吹き上げる魔法陣! 通路に跳び込み振り返った二人の目が、魔法陣から天井へ瞬時に飛び去る人影らしきものを捉えた。
「転移の術? ならば、あれは転移の魔法陣!」
「あれが洞窟の主か! ではグロスたちはきっとこの上か下だ。ここではない!」
「まさかゴーレムを送り込むつもりでは。戻りましょう!」

 戦士たちは身を翻すや、絡みつく泣き声を振り切り駆け去ってゆく。


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 最上層の薬置き場の魔法陣からよろけ出るやくずおれる隻眼の邪法師。得体の知れぬ思いばかりが渦巻く己が心を手放しかけたまま、空の壷が並ぶ棚を見るでもなくただ目を向けて呆然としていると、なま暖かいものがぬらりと頬を伝った。仮面を割られたときの傷かとなぞった手はだが傷口を探れず、指を濡らすものに色はなかった。信じることができなかった。自分が見たものを。それが目から、見つめる右目のみならず抉り取られた左目からも伝い落ちているという事実さえ。

 心に渦巻く混沌から浮かび上がった思いが言葉をなせぬ呻きとなりかけた瞬間、またもあの魔少女の声音のごとき心が届いた。地表近くにいるせいか、言葉と錯覚するほど明瞭に訴えてきた。それは証だと。本当の思いを、心を証しているのだと。
 それが形をもたらした。言葉をなせなかったはずの呻き声に。彼の耳はそれを聞いた。だが、それはあまりにも弱々しい掠れ声だった。自分の喉が発したとは信じられないほど、力なきものにすぎなかった。


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