『隻眼の邪法師』 第11章の10

<第11章:暴かれし荒野 その10>

「尊師が吸血鬼の存在を示唆されたにもかかわらず、東のこの地は今日まで一応は平穏であった。恐怖の影が隠然たる力を持ち、黒髪の民を愚行へ駆り立てたにせよ、総じてこの地が安泰である以上、ラーダの教えを奉ずる者として喜ばしいことに相違なかった。だが、わしは……」

 頭を垂れた老修道士の言葉が途切れた。懺悔のようなその様子に、若き剣士はためらいがちに言葉を挟んだ。

「満たされなかったと、そうおっしゃるのですか?」

 答はすぐに返ってこなかった。ややあって聞こえてきたのは、風の音に紛れそうなほど微かな、独り言めいた声だった。

「……吸血鬼の脅威が去ったとの確証が得られぬ限り、きゃつらを滅する唯一の手だてを後代に伝える義務がわしにはある。だが侍祭どもには信仰心こそあれ破邪の気概なく、初歩的な癒しの技を人々に施すことで満ち足りるばかり。そしてこの者は……」

 目覚めぬ院長を見やる老師の声に無念が滲んだ。

「たとえ故あってのことであれ、これだけの志を持ちながら神を信じる心なく、僧侶系の術には適性もなければ関心も示そうとはせなんだ。なんとか教化しようにも、神に縋らねば使えぬ術など人間には無用と耳も貸さぬ始末。そんな日々がただ平穏に過ぎ、無為に年月を費やすうちにも老いはこの身に忍び寄り、いやでも終の日を想うようになった。このまま朽ちてゆくのかと。なにも成せずなにも残せず、空しくなるが定めかと……」

 高ぶろうとした言葉が再び途切れた。瞑目しつつ口の中で祈る老人を、三人は見守った。やがて祈りを終えたアルバに、またもボルドフが声をかけた。

「それで抜け殻のような院長殿を見るに忍びなかったといわれるのか。心に空虚を抱く思いを知るがゆえに」

「お恥ずかしい限りじゃ……」

 呻くように応える老修道士に、グロスがいかにも解せぬ表情で首を傾げつつ問いかけた。

「だが院長の地位を譲られたところで、それがオルト殿の励みになったとは思えぬが」

 アルバは頷いた。

「なにしろ覚えてもらわねばならぬことも多く、そもそも雑事で気を紛らわすことが狙いでもあったのだから、しばらくは付きっきりで面倒をみておったのだが、影法師を相手にしているも同然で、手応えのないこと夥しかった。そんな様子で一年ばかりたったとき、かの魔導書が魔導師の死体とともに僧院の裏手の川辺へ流れ着いたのじゃ」


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