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「視点」

前回は、投げやりの内容を書いてしまったが、今回は「視点」について個人的に感じることを語っていきたい。

最近、私は大学にあるジムに通っている。
そこで、面白いことを始めた。

私のボランティア団体の友人と部活の同期の友人と学部の友人を一つのLINEグループに招待させて、「筋トレ仲間」にさせたのだ。残り少ない大学生活なのもあり、「同じ意志の人間」を一つにさせたら、どうなるか?と考えた。

するとどうだろう。「同じ意志を持った人間」からは仲間意識が芽生え、一つになれたのだ。

このように、「同じ意志」さえあれば、人間は住む場所や環境が違くても共有することができるのだ。

さて、前置きが長くなってしまったが、ここからは「本題」に移ろう。

私は「大学祭の文化会の実行委員」をしている。
しかし、これは文化の一回生と協力して行うイベントであり、コロナ禍の影響で、私が大学一年の時は無かった。
ここで、2つの意見に分かれるだろう。

1つ目は、「私たちが一回生のときはなかったのに、なんで私たちが一回生の面倒を見なければいけないの?」という、ネガティブな意見だ。

2つ目は、「私たちが一回生のときはなかったから、一回生のみんな、一緒に楽しい想い出を作っていこう!」と一回生に投げかけるポジティブな意見だ。

この2つの意見で読者の皆様は、どちらの人間について行きたいと思えるだろうか?

私は、2つ目のポジティブな意見である。
なぜならば、1つ目の意見は、「自分のことしか考えられていない」からだ。確かに、私たちのときはなかった。

しかし、それは今の一回生も同じなのだ。丁度、私らが一回生のとき、彼らも高校一年生である。

私は、「ボランティアサークル」にて、とある一回生から「私らが高校生のときはコロナ禍にぶち当たって何も楽しい行事はなかった」と聞いていた。
私は、これを聞いて悲しくなった。私らの高校時代を思い返していただきたい。

確かに、大学一年生は何もなかったが、高校時代は「楽しい行事」が沢山あり、楽しく過ごせたのではないだろうか?

今の大学一年は、「その楽しみ」さえも経験してないのだ。
「その楽しみ」を僕らと共有しませんか?と先輩側から語りかけてあげたほうが、後輩たちも「安心」するのではないだろうか?と私は感じた。

なぜならば、私自身が「先輩」から話題を提供していただいたほうが心が軽く、楽しめるからだ。

私は、「される側」ではなく、「提供する側」にまわり、一緒に色々なことを楽しみたい!

それが、「先輩」としての役目だから。

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