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子どもが産まれた日

2023年12月、第1子を出産した。

忘れもしない、2023年12月24日。M-1グランプリを夫婦で鑑賞し、令和ロマンとヤーレンズの手に汗を握る展開を見届けた頃だった。

「なんかお腹が痛い気がする」「え?陣痛きた?」

前駆陣痛と本陣痛の違いがわからない初産婦の私でも、なんとなく嫌な予感がした。早めにお風呂に入り心を落ち着かせようと布団に包まるも、徐々に痛みの間隔が短くなっていくのがわかる。

0時を回った。間隔は6分弱になっていた。耐えられず病院に電話をするも「会話する余裕があるので、もう少し様子を見ましょう」と切られてしまう。十分痛いし、すごく不安なのに。旦那さんが優しく腰をさすってくれる。

痛みで眠れず3時過ぎになった。3分間隔に変わり改めて電話したところ「先程よりしんどそうなので来てください」と言われ、来院の許可が下りる。しんどさとしてはずっと変わらないんだけどな。陣痛タクシーを呼び、荷物をまとめて病院に向かった。

診察されるも「子宮口が開いてないですね」と言われ、結局家に帰されてしまう。2〜3分間隔になったら、入院して様子を見るって助産師外来で言ってなかったっけ?話が違う!と苛立つも仕方なく自宅へ後戻り。そのまま午後の予約診療まで、ベッドに座ったまま陣痛に耐える時間が続いた。

再度病院へ行き、よろよろした状態で受付を済ませると、気を利かせた事務さんが先に診察へ案内してくれた。夜間救急とは別の医師に「今日入院して産んじゃいましょう!」と伝えられ、やっと入院できることに安堵。帰らされそうになっても無理やり留まるつもりだったので、とても助かった。

しかし、ここからが長かった。陣痛室に来てもモニターをつけるだけで状況は前日から変わらない。分娩室に移動しても逆に痛みがおさまってしまう。ひたすら歩いたり動いたりしてみるも、出てくる気配なし。そもそもこの時点で頭の位置がわかるくらい上にいたので、本当に陣痛なの?と自分の感覚すら疑い始めていた。

また夜が来る。眠れない。もう丸2日寝ていないのに辛さだけ増していく。翌朝、バルーン処置をされた状態でお手洗いに行った。しかし、何かの衝撃で抜けてしまった気がして、慌てながら部屋に戻り助産師さんをつかまえた。

「大丈夫ですよ!子宮口が開いて自然に外れたんだね」優しい言葉がけに、緊張の糸が解けてしまい耐えきれず号泣。この助産師さんは腰をさすってくれたり、部屋の環境を整えてくれたりと最後まで付きっきりで助けてくれた。きっと一生忘れない。

その後も陣痛促進剤などを試したものの、子宮口が思うように開かず破水もなし。もう少し様子を見ようと言われていたが、ずっと食事が取れなかったので体力もなくなり限界だった。

医師に「元々赤ちゃんの大きさとあなたの骨盤の大きさが合ってなくて、骨盤に頭が通りづらい状況。当初の無痛分娩まで頑張るか、帝王切開にするか選択できるけどどうする?産まれ方じゃなくて、産まれた後の育て方が大切だから、それも踏まえて決断してください」と言われた。私は迷わず帝王切開を選んだ。意識が朦朧とする中、書類を渡され担当医から説明を受け、手術室に運ばれた。

我が子を見た瞬間、無事で良かったと心から思った。そして、生まれてきてくれてありがとう、と温かい気持ちでいっぱいになった。

一晩明けた午後、病室に息子が運ばれてきた。少し照れくさい感じがする。慣れない抱き方で母乳を与えた。一生懸命飲んでいてすごく可愛かった。

服をめくって足を見てみる。小さくて柔らかい。手のひらを足の裏に当てて驚いた。妊娠中にお腹の上から触っていた形と全く同じだった。この足でたくさん蹴ってくれていたんだね、と嬉しい気持ちでいっぱいになった。

先日、3ヶ月を迎えた我が子。起きたときにニコッと無邪気に笑ってくれる。甘えたいときや眠いときの声に違いが出るようになった。首が座ってきて、背中を押してあげるとコロンとうつぶせにもなれる。少しずつ、でも着実に成長している。

出産後、ふと思ったことがあった。もっと頑張れば普通分娩で産めたかもしれない。産後の回復に苦労することもなかったかもしれない。でも、息子の笑顔を見ると、そんな悩みなんて消える。ただ健やかに育ってくれたら、それだけでこんなに幸せなことはない。

お腹に入ったピンクの傷跡は、当時の努力の勲章だと、今なら胸を張って言うことができる。


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