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3分クッキングに命を救われた

家の中を整理しようと、クローゼットを開けた。規則正しく積み重ねられたバンカーズボックスには、小説や参考書など大量の本が眠っている。一番奥に保管している重めの箱を取り出した。

そこには、暗闇から私を救い出してくれた月刊誌『3分クッキング』が綺麗に並んでいる。

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心が折れた日

忘れもしない、2019年4月1日。私は働いていた会社から裏切られた。詳細は割愛するが、簡単にまとめると「同僚から不当な告発をされた」のである。会社のため、そしてそこに勤めている人たちのためにと必死に頑張っていた分、かなり大きな打撃を受けた。

入社面接時には聞かされていなかった、苦手な車運転の業務を引き受け、出来る限り他の人の負担を減らせるようにと積極的に休日出勤をし、想定外の異動辞令が出てからは往復3時間の電車通勤にも耐えていた。大したことないと言われればそれまでだけど、私にとってはとても辛い毎日だった。それでも、自分の仕事が誰かのためになっているのならと、一生懸命働いていたのだ。

そんな日々を送る中で、人事部長に呼び出され、突きつけられた意味不明な言葉の数々。驚きと悲しみで、後半は何を言われたのか全く記憶にない。放心状態になった私は、早々に仕事を切り上げ、真っ直ぐ家に帰った。

帰宅後、しばらく経っても頭の中は真っ白のまま。ぼんやりと天井を見上げて考える。《今まで何のために頑張ってきたのだろう?これからどんな気持ちで働けばいいのだろう?》その瞬間、心の中で何かがプツンと切れた。本当に、本当にプツンと音が鳴った。

その次の日から、私は会社に行けなくなった。


救われたもの

会社に行けなくなってから、あっという間に状態が悪くなっていった。朝は起きられず、目覚めるのは12時で起き上がるのは15時過ぎ。食欲がなく、食べられるのはお粥やヨーグルト、スープ類が中心になった。一日中ベッドに潜り込み、動画を流したりSNSを眺めたりして適当に過ごした。

仕事を頑張る目的がなくなり、同僚も友達も誰を信じていいのかわからなくなった。この先に明るい未来なんてあるのかと、疑問を抱く日々。カーテンを開けるのをやめ、鏡で自分の顔を見なくなった。観葉植物の土の乾き状態も、目にかかる前髪の伸び具合も、もうどうでもよかった。

そんな生活を2週間ほど続けていたある日、珍しく11時頃に身体が起きた。意味もなくテレビのダイヤルを回していると、聞いたことのあるジングルが耳に入り、エプロンをした二人組が登場する。料理番組のキューピー3分クッキングだった。

その日のレシピは、チキンエッグバーグという、半熟卵入りのハンバーグ。画面に映る黄身の色鮮やかさと、フライパンいっぱいに溢れ出る肉汁に釘付けになった。

《美味しそう。私も作りたい…》そう思った。久しぶりに何か行動したいという自発的な感情が湧いたのだ。番組の最後に、月刊誌の発売について説明しているのを見た。《これを買わなくちゃ!》エンディング途中で上着を羽織り、徒歩5分の場所にある書店に向かって走った。

これが私と『3分クッキング』との出会いである。

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献立表のありがたみ

『3分クッキング』に出会ってから、私の中である習慣が生まれた。まず、テレビ番組『キューピー3分クッキング』が始まるまでに起きるようになった。放送時間は、毎週月〜土曜日の11時45分から11時55分までの10分間。決して朝早くはないが、夕方頃起床していた私にとっては、大きな一歩だった。

次に、スケジュールにしたがって料理をするようになった。月刊誌には毎月の放送カレンダーが記載されている。当時、物事の判断が鈍ってしまっていたのか、料理をするために材料を選び、献立を考えるという簡単なことができなかった。

カレンダーに沿って放送されるレシピを見て、月刊誌で食材を確認しスーパーに行くという一連の流れが日課となった。このことに、私自身非常に助けられた。

料理の味は、とても美味しかった。温かい食事に心が解されていく。次第に、痩けていた頬は丸くなり、紫だった唇の色も紅色に変わり、少しずつ元気を取り戻していった。

会社に行かなくなって2ヶ月後、私は退職届を提出した。それから、規則正しい生活を心がけ、気持ちを安定させるまでは『3分クッキング』を拠り所にしようと決めた。月刊誌の購入は、2020年9月まで続いた。心が折れた日から、1年半の月日が流れていた。

大げさに聞こえるかもしれないが、あのとき『3分クッキング』との出会いが私の命を救ってくれたのだ。


印象に残ったレシピ

久しぶりに月刊誌『3分クッキング』を開きながら、昔のことを振り返った。このままずっとバックナンバーを箱に入れたままなのもと思い、処分することに決めた。中でも気に入ったレシピをいくつか切り抜いて、3分クッキング専用ノートを作ることにした。

せっかくなので、印象に残ったレシピを3つほど紹介する。


野菜とちくわのとろみ炒め

野菜が盛りだくさんの中華の炒めもの。キャベツともやしのシャキシャキとした食感と、椎茸やちくわの柔らかさが口の中でバランス良く噛み合う。中華スープに片栗粉でとろみを付けた味付けもシンプル。炒める過程で投入するごま油も、盛り付け後まで香り高く、食欲をそそられる。


にらと肉みその混ぜそば

たっぷり載せた香味野菜と、数々の調味料を使った肉味噌が中華麺と絡み合ってとても美味しい。削りがつおの香りとシンプルな卵黄の旨味が癖になる。タレに入れるおろししょうがやおろしにんにくの量によっても、味をかなり変えられる。作業工程は少し多めだが、これからの季節にぴったりなので、ぜひ作ってみてほしい。


イタリアン肉じゃが

肉じゃがの材料にトマト、バジル、チーズを入れた斬新なレシピ。味付けにはしょうゆやみりんも入っており、ケチャップとの相性の良さがアクセントになっている和洋折衷料理だ。挽き肉を使って作るのがポイントで、玉ねぎの甘みと一緒に味が染みるので食べやすい。子どもも食べられるおすすめの料理である。

料理で心は温められる

私にとって料理は、今でも欠かせない日課であり、心が温まる至福の瞬間だ。毎日キッチンに立ち、食材と向き合うのがとても楽しい。明日は何を作ろうかとわくわくする。この先も生きようと思うことができる。

悩んだとき、落ち込んだとき、辛くて前を向くのが怖くなったとき、私は『3分クッキング』に出会えた。そして助けられた。今はその支えがなくても、自分で料理ができるようになったが、これから先ずっと、付箋だらけのこの本たちに感謝してもしきれないだろう。

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